無精者の隣働き

三鹿ショート

無精者の隣働き

 父親がこの世を去ったとき、私が悲しみという感情を抱くことはなかった。

 家の中での父親は横暴な振る舞いを繰り返し、私や母親がその肉体を傷つけられたことが数え切れないほどだったことが影響しているのだろう。

 だからこそ、父親を慕うような人間は存在しないと思っていたが、現実はそうではなかった。

 老若男女問わず、多くの人間が、弔問にやってきたのである。

 それだけではなく、彼らは生前の父親が如何に素晴らしい人間だったのかということを口にしていた。

 当然ながら、私と母親は彼らの言葉を信ずることなど出来なかった。

 だが、多くの人間が同様の言葉を吐いていたことから、おそらくそれは事実なのだろう。

 それでも、受け入れることはできなかった。


***


 母親が不在のとき、彼女が姿を現した。

 彼女は私の母親の姿が無いことを確認すると、父親との関係を私に話し始めた。

 私の父親に憧れていた彼女は、相手に家族が存在すると知りながらも、自身の想いを伝えた。

 しかし、私の父親が、彼女を受け入れることはなかった。

 妻と子どもを裏切るわけにはいかないと口にしていたらしいが、我々に対しては暴君だった父親がそのような言葉を吐くとは、信じられなかった。

 だが、不貞行為については思うところがあったのかもしれない。

 暴力行為と不貞行為にどれほどの差異が存在するのかは不明だが、父親なりの一線というものが存在していたのだろう。

 私の父親に拒絶された彼女だったが、その気持ちに区切りをつけるために、一度だけ身体を重ねてほしいと、頭を下げたらしい。

 それで諦めてくれるのならばと、父親は彼女の望みを叶えた。

 それから、父親と彼女が身体を重ねることはなかったらしいが、結局は裏切っているではないか。

 そのようなことを考えながら話を聞いていると、彼女が愛おしそうに自身の腹部を撫でていることに気が付いた。

 まさかと思い、私は彼女に確認した。

 私の問いに、彼女は首肯を返した。

 彼女は、その一件を伝えるために、この家にやってきたということだった。

 これは、私の母親にも話しておくべきではないかと告げたが、彼女は首を左右に振ると、

「自分の夫に隠し子が存在していたことを知れば、困惑してしまうでしょう。愛する夫を失った今、その心にさらなる打撃を加えたくはないのです」

「では、何故私には伝えたのか」

 その言葉に、彼女は口元を緩めると、己の腹部を撫でながら、

「この子と、仲良くしてほしいのです。裏切り行為によって宿った生命ですが、それでも、血を分けた関係ですから」

 そう告げた後、彼女はやおら立ち上がった。

 そして、自身の唇に人差し指を当てながら、

「このことは、内密にしてください。明かしたところで、良い思いをする人間など存在しないのですから」


***


 肉体的に成長した今ならば、私は父親に立ち向かうことができるだろう。

 しかし、父親は一方的に私と母親を傷つけ、逃げるようにしてこの世を去った。

 この怒りは、誰にぶっつけるべきなのだろうか。

 私が拳を握りしめていると、笑顔を浮かべながら近付いてくる人間が現われた。

 それは、彼女の娘だった。

 つまり、私の妹である。

 彼女の娘は、私が抱いている感情など知らずに、見た人間を幸福にさせるような笑みを私に向けていた。

 可愛がろうとしたが、私にはどうしても出来なかった。

 何故なら、相手は裏切り行為によって誕生した存在だったからだ。

 存在そのものが、罪であると言っても過言ではない。

 だが、子どもは親を選ぶことはできない。

 それを思えば、彼女の娘もまた、ある意味では被害者なのだろう。

 それでも、私は彼女の娘に対して、心を許すことができなかった。

 しかし、私の表面的な笑顔を見て、彼女の娘は輝かしい笑みを浮かべるのだった。


***


 報復ならば、父親にするべきなのだろう。

 だが、父親は既にこの世を去っているために、私が怒りをぶっつける相手は存在していない。

 私や母親に対する仕打ちを周囲の人間に告げることで、父親の本性が明らかになるのだろうが、そのようなことをしたところで、父親の悔しがる姿を見ることもできない。

 これでは、父親だけが得をしているではないか。

 そのあまりの不公平ぶりに腹を立てた私は、母親に対して、彼女とその娘のことを伝えた。

 夫に対して怒りや恨みといった負の感情を抱いているために、今さらそのような情報を与えられたところで、感情にそれほど大きな変化は無いだろう。

 そう思っていた私が、甘かった。

 私と母親では、立場が異なっているのである。

 妻である母親が彼女に対して私と同じような感情を抱くわけではなかったのだ。


***


 母親が彼女とその娘を殺めた後に、その場で自らの手でこの世を去ったために、私は一人と化してしまった。

 寂しさに支配されるかと思っていたが、想像していたよりも、私の気分は良かった。

 それは、私を悩ませる存在が漏れなく姿を消したためなのだろうか。

 精神的に余裕が生まれたものの、私が異性と特別な関係を持つことはなかった。

 私の身体に流れる悪人の血を、後世に伝えるわけにはいかなかったからだ。

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無精者の隣働き 三鹿ショート @mijikashort

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