55.燃えなければ毒は出ない
強烈な風と黒い竜の影が襲い、人族は慌てて逃げ惑った。ここにブレスを与えれば、三千の兵を倒すことが可能だ。同時に、焼かれた草が毒を撒き散らすだろう。
火竜のために用意された毒なら、当然、同じ竜族である魔王ガブリエルにも効果がある。魔神の加護があったとしても、無事では済まないはずだ。背に乗るシュトリをちらりと確認し、しっかり掴まるよう言い聞かせた。爪を立てて頷くシュトリは身を伏せ、ぺたりと貼り付いた。
「魔王陛下? この程度の敵、我らの敵では」
ありません、と続く言葉を遮る。
「火を使うな。奴らは毒草を持っている」
危険を手短に伝え、代わりの策を与えた。竜族は火と水に分かれるが、共通の力を持っている。空を飛ぶために風を操る能力だ。地面に叩きつけ、巨体を浮かせるほどの大きな風を生み出す。にやりと笑ったガブリエルの作戦に、火竜の若者は唸った。
なるほどと思う部分と、これは敵わないと首を垂れる部分が同居する。同じドラゴンであっても、魔王になる素質があるとは限らない。彼はそう感じて「承知しました」と従う旨を示した。
ぐっと息を吸い込み、吹きかける。ブレスではなく、温度のない風だけを巻き起こした。人族を舞い上げると、さらに魔力を足す。ほぼ見えない高さまで到達したのを確認し、魔力を打ち切った。
重力に引かれて落ちる人族の悲鳴や怒号が、微かに聞こえる。やがて山の裾野で肉の潰れる音が重なった。枯れ木が並ぶ一角に落とされた兵は突き刺さり、地面に叩きつけられ、岩で潰れる。赤く染まった大地の上を、高らかに勝利宣言を放つ竜が旋回した。
ガブリエルは魔力を込め、大地に叩きつける。ぱくりと割れた地面へ、兵士の死体を転がした。内側へ埋めて片付ける。これなら毒草もやがて土に還り、周囲を危険に晒す心配もなかった。念の為、地で生きる種族に危険地帯を知らせればいい。
「ひ、ひぃいい!」
わざと残した一握りの人族が、悲鳴をあげて逃げる。黙って走りさればいいものを、わざわざ声を立てる理由がわからない。今度、ブレンダにでも聞いてみよう。旋回しながらガブリエルはそう考え……己の変化に目を見開いた。
ブレンダは一時的に受け入れているが、憎い人族だ。勇者と同じ種族なのに、彼女に意見を聞いてみようと思うなど。自分の変化に驚いた。だが直さなければと感じない。
まだ空にいる火竜の若者は、この火山に住む同族を管理している。本来なら親の世代が長老を務めるが、失われてしまった。故に、魔族は全体に若返り、蓄えた知識を継承できていない。年老いた竜がいれば、ガブリエルより良い策を提案しただろう。
「きゅー!」
興奮して背中で遠吠えをするシュトリが、立ちあがろうとして転がった。風で巻き上げ、手で掴まえる。潤んだ目で「怖かった」と訴えるシュトリを、再び背中に乗せた。
「せっかくだ。敵を嵌めてやろう」
いい作戦を思いついた。そう呟いたガブリエルは、火竜の若者を呼び寄せて言葉を交わす。了承して飛んでいく同族を見送り、ガブリエルは火口近くに舞い降りた。黒い鱗は、火と水の両方を併せ持つ証だ。煮えたぎる火口の溶岩を眺め、ガブリエルは牙を見せて笑った。
せっかく敵が動いたのだ。数倍にして返してやろう。
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