45.痛む棘と広がる亀裂

 ブレンダの話を、ゼルクは理解しなかった。自分の経験が優先され、魔族は汚い連中だと罵る。その言葉にブレンダは「またか」と諦めの言葉を吐いた。いつものことだ。今回こそは、と期待したのが間違いだった。


 ブレンダはそれきり口をつぐみ、何も言わない。家族を目の前で殺されたゼルクも、そっぽを向いて膝を抱えた。魔族が子どもを助けた? あり得ない。だって、僕達の村は襲撃されて滅びたんだ。


 ただ、罵ったゼルクにブレンダの残した、小さな一言が棘のように胸に刺さる。


「だが全滅してない。あんたは助かってるじゃないか!」


 ブレンダの言う通りだ。あの時逃げ回り、神殿に駆け込んだ子どもは助かった。そう、生き残りは子どもと老人で戦えない。だから見逃された? 神殿に手出しできないだけだと思って、気にしたことはなかったが。


 ちらりとブレンダに視線を向ける。確認したいが、もし仮説が正しかったら? 自分は間違った正義を振り翳した可能性がある。子どもを殺さない魔族の子を、親の前で容赦なく切り刻んだ。見せつけるように……。


 違う、僕は間違っていなかった。そう思い込まなくては、ゼルクの精神は崩壊してしまう。ほつれ掛けた正義をかき集め、必死に抱き寄せる。僕は正しかった。魔族は非道で最悪な連中だ。神託が正義を証明している。何度も繰り返し、ゼルクはようやく落ち着きを取り戻した。


 この話をしたことで、二人の間に大きな亀裂が入った。取り返しのつかないヒビだ。もしゼルクが、ちっぽけなプライドを捨てていたら? 己の根底を見つめ直していたら。正義を疑う勇気があったなら。世界は新しい選択肢を与えたであろう。


 ぶつぶつと主張を口の中で繰り返すゼルクの様子に、ブレンダは距離を置いた。じりじりと離れ、手が届かない位置で火に枯れ枝を放り込む。勇者の肩書きに期待した覚えはないが、まともな奴だと思っていた。


 鍛えた体と剣技を誇る傭兵であっても、ブレンダは女だ。同じレベルの剣技を持つ男と戦えば、圧倒的に不利だった。体の構造が違う。筋肉のつき方や日々の体調だって。女性は子を宿す本能があり、どうしても数カ月に一度体調が崩れた。その時であれば、格下の相手にも負ける。


 同じ腕力を持つ男と組み合えば、襲われる可能性だってあった。だから常に警戒しているし、相手を吟味して付き合う。その本能が、この男は危険だと警告していた。神託で選ばれた勇者であっても、ゼルク自身はただの弱い男に過ぎない。


 精神が不安定な者と一緒にいることは、ブレンダ自身にとって危険を意味した。命懸けで戦う場にいなければ、寄り添うこともあるだろう。だがブレンダは戦場で生き、戦って死にたいと願ってきた。


「抜けるか」


 ぽつりと呟く。傭兵団が魔族と戦うなら離脱する。ゼルクは信用できない。となれば、夜明けに一人で抜けるのが正しい選択に思われた。普段から持ち歩くのは金と武器だけ。白々と明ける空を見上げ、ブレンダは決意を固めた。

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