30.滅びは足元に忍び寄る

 勇者が大量殺人を犯した。その情報は、あっという間に広がった。禍歌が作った暗い感情をベースに、人々の憎悪を煽る。


 たった一人が、あれだけ大勢を殺した。誰も逃げることができず、通りがかった三人が惨劇の跡を目撃している。魔獣に食い散らかされた現場の様子から、魔族と手を組んだのでは? と新たな嫌疑がかけられた。


 軍が太刀打ち出来ない実力を誇る魔王を殺した男なら、貴族や女子どもを殺すくらい容易だろう。様々な憶測が飛び交った。交易都市セルザムの領主が勇者を擁護したこと、恩を仇で返す形で惨殺されたこと。


 国王を含む王都への反発で、勇者を担いだ貴族の末路……そう吹聴されたことで、勇者への忌避感が高まる。魔王を倒した功績を絵本で読み聞かせた親達は、慌てて別の絵本を買い与えた。勇者に憧れたり、感情移入したりしないように。


「すべてが都合よく進んでおる」


 満足げに国王は笑う。豊かな王都への反発を溜め込む地方領主が、勇者を担いで叛逆を試みた。だが魔獣に食い殺される。その上、犯人は勇者だというではないか。


 策略として罠を仕掛けても、ここまでぴたりと嵌まらないだろう。運が良かった。魔族の暗躍を知らぬがゆえに、国王は己の幸運に感謝する。


「国王陛下、神殿から連絡が入っております」


「後で読む」


 そう返すものの、積み重ねた手紙はかなりの枚数になった。当初はきちんと読んでいたのだが、勇者の権威を守れだの、神託を下ろした褒美を寄越せだの。神殿は金の無心に余念がない。いい加減、相手をするのも疲れた。


 どうせ同じ内容なのだ。放置しても構わないだろう。そういえば、聖女となった女神官が塔に籠ったと聞いた。その辺も絡んで、何か要求してきたか。届いた書簡は一番上に重ねられた。


 新たな神託が記された手紙は、誰にも読まれぬまま放置される。国王に神託を直接下ろせない神の苛立ちも知らず、自滅への道を駆けていく。勇者という神の威を借る手駒は、機能しなくなった。


 勇者は当代に一人――この不文律は世界に刻まれた理だ。魔神が、圧倒的な強さを誇る魔王を作った。その時、魔王の暴走を恐れた神が設定した勇者は、魔王と同じ制約が働く。どちらも当代に一人だけ。候補が現れることはあっても、代替わりは出来なかった。


 勇者ゼルクが生きている以上、新しい勇者の選定はできない。魔王ナベルスが亡くなり、新しい魔王ガブリエルが生まれたように……ゼルクの死は神が関与するための条件だった。


「ここまで落ちぶれたのなら、追い回す必要はないな」


 側近にそう漏らした国王は、新しく娶った側妃と過ごすため閉じこもる。王都はまだ安泰だ。他の領地が襲われても、兵や騎士が多く集まる王都は襲われないはず。魔族にも犠牲が出るからな。


 同じ考えで、周囲からじわじわと補給を断つ魔王の作戦を知らず、国王は柔らかな女の肌に溺れた。

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