瑠狼弐騒動⑦

 血が滴り地面に一滴、二滴と垂れ落ちる。

軽傷とはいえ予想外の攻撃に躱し切る事ができなかった。

 麦は真正面に佇む少女に睨みを効かせる。


「貴女は確か………八上薫。“初代瑠狼弐”に所属していて、頼羽拳心の恋人ね」


 目前で冷たい瞳で武器を構える薫は不機嫌そうに麦を睨み返した。


「どいつもこいつも何でケンちゃんの邪魔をするの?」


 その声色には確かな怒りが込められている。


「ケンちゃんはお前達と違ってもう時間がない! そんな中で自分の最後の“人”としての時間を使って“亜人”を殺して回ってるのに………何で邪魔をする!」


 怒り、憎しみ、憤り。負の感情の込められた瞳に麦は真正面に向かい合う。


「犠牲者が出ているわ。私達はそれを見過ごして貴女達に戦いを任せる訳にはいかない」


 本当なら無視をしてでも連絡役の元へ向かうべきかも知れない。

八上薫の戦闘力はまだ分からないが避ける事だけに注力して逃げられない程ではないだろう。

だが麦にはそれができなかった。

するべきでない気がしたのだ。


「私は貴女を止めなければならない」


 大切な人を“亜人”に殺された。

そして大切な人が“亜人”になってしまった。

それはまるで突然バグを覚醒して父を襲った亡き兄を思い出させる。

兄が何故あの時父を殺してしまったかは分からない。

喧嘩の流れとはいえ人を殺す様な人ではなかった。

前に研究者の金田はバグも“亜人病”の一つだと言った。

ならばもしかしたら兄も本意ではなかったのではないだろうか。

だがそんな事はもう誰にも分からない。

なぜ。なんで。どうして。それを聞きたい時には常にもう聞ける相手はいないのだ。

そしてそれはきっと──……。


「貴女も頼羽もこの行為を本当に正しいとは思ってない筈よ。お願いだからもうこんな事は止めて」


 薫も拳心も同じく苦しんでいる筈だ。

だがまだ生きている。話す事ができる。

ならばちゃんと話して欲しいのだ。

 しかし薫の表情は和らぐ事なく激化する。


「……………そう言ってお前もケンちゃんを殺す為に動いてるじゃないか」


 薫は怒りを顕に叫んだ。


「結局殺すしか無いんだろ! ならケンちゃんがケンちゃんでいられる間だけでも自由にさせろ! どうせお前ら国の犬はいつもそうやって“秩序”を掲げてあぐらをかくだけだ! サボるだけだ!」


 地響きの様に空気が変わっていく。

それはまるで薫を中心に巻き怒る竜巻の様に。

薫はみるみる内に怒気だけではない雰囲気を纏い始めた。


「だから私は最後までケンちゃんの好きにさせる。そして私がケンちゃんを殺すんだ…! それが私がケンちゃんにできる最後の愛情表現だから!」


 尋常ならなざらない速度で駆け出す薫を麦はすんでの所で躱し大きく左に跳躍した。

薫の拳は空を切り地面に大きなヒビ割れを起こす。

それは本来人から出る筈のない一撃。

だが見た目の大きな変化の無い薫が先程の縁田と同じく謎の“亜人”になったとは考え難い。

だがそうなると答えは予想していないものが導き出される。


「貴女まさか……“不具合バグ”を…!?」

「私の力は! ケンちゃんの為に使うんだ!」


 止まる事ない雰囲気に麦も素早く銃を構える。

 本当は戦いたくない。相手が人間なら尚更だ。

しかしここで止まれば薫に殺される。もとい人殺しをさせてしまう。

それは駄目だ。越えてはいけない線というものがある。

 麦は小さく一呼吸して気持ちを整えた。


「まずは……落ち着いてもらう!」

「黙れ偽善者!」


 麦と薫の戦いに火蓋は切られた。













 大きな怒号の様な叫び声に空悟はドリフト気味にバイクをブレーキさせて急停止する。

流石に現場に向かっていて突然目の前に巨大な“亜人”が見えれば動きを止めざるを得ないというものだ。


「何やねんあれ!? “亜人”よな!?」


 それは重機程にまで巨大化した四本腕の化身。

当然普通の人間の訳もない。

その様には流石の英雄も驚きを隠し切れず黙って見上げてしまう。

しかし勉強嫌いの英雄と空悟と違い丸香だけは異変に気づいていた。


「あれは……何の“亜人”なの? 見た事無いよ……」


 神話上にも伝説上にも姿を確認した事のない謎の巨人。

そんな“亜人”などいる筈もないのだ。

 するとまるで疑問に答えてくれる様に大きく後退しながら跳躍する影が三人の前に降り立った。


「あれの正体は俺にも分からん。取り敢えず敵って事だけだ。それで? 次はお前達がここにいる理由を聞かせてもらおうか」


 マシンガンの様に背面で詰め寄ってくるのは鳴海。

戦闘中だというのに流石と言うべきか。

鋭い瞳はほんの一瞬でも三人に効果をみせる。

だが英雄もここで引く程度のつもりでは来ていない。

 英雄はバイクから降りて鳴海と向かい合った。


「戦闘中みたいなんで手短に言うぜ鳴海さん。」

「…………言ってみろ」

「俺はケンシンと話をしなきゃならねぇ。その為に来た…!」


 宣言通りの手短さ。

しかしその声色、覇気、本気度は伝わる。

何より相手は鳴海だ。誰よりも・・・・正確に聞き取れる・・・・・・・・

 英雄の言葉に鳴海も何かを言おうと口を開く。

しかし叫び伝える聞き馴染みのある声で遮られた。


「鳴海さん! 俺ッス勇仁ッス!」


 息を切らして走ってきたのは野苺勇仁。

英雄達よりも早くに特亜課に入った“ほぼ同期”の同年代組の一人だ。

英雄とは前に滝澤の元にいた時に顔だけ合わせている。

 急いでいる様な勇仁に鳴海はすぐに意識を向けてまず疑問をぶつけた。


「何故中継連絡役のお前がここに来た? 緋色とは会わなかったのか?」


 疑問とはそのままの意味。今回の作戦において勇仁は前線組の第一班の中継連絡役を担っていた。

数刻前麦を連絡に向かわせたのも勇仁がいるのを分かっていたからだ。

だが見たところ勇仁が麦と会ったという雰囲気はない。

そして鳴海の予想通り勇仁も首を横に振って答える。


「緋色? いやここ来るまでに誰とも会ってないッスよ?」


 会っていない。緋色が途中で任務を放棄するとは考え難い。

という事は道中で何かあったか。

 考え込む鳴海に勇仁は首を大きく振って思い出した様に叫び話した。


「いやいや! それよりも緊急の連絡があって来たんスよ!」


 来た理由を伝えようと勇仁が背中に背負っていた巨大な電話を準備し始める。

 現代の科学力は実に優れている。

本来ならこんな巨大な通信器具など持たずに連絡する事が可能だ。

だが特亜課は常に凄まじい戦闘スピードで戦う。

その為どれだけ落ちない様に、壊れない様にと耐久力や密着力を上げてもすぐに壊れてしまうのだ。

その為大規模な作戦の時は連絡役を中継地点に設置して連絡を取るというシステムになっている。

 鳴海は勇仁から通信器具を受け取る前に大きく前方に跳躍した。


「ぐぎゃあああああ!」


 的確に巨大“亜人”の鼻を突き刺し巨体が揺れる。

何かに痺れたのか巨大“亜人”は膝をついて小刻みに身体を揺らした。


「皮膚が硬く突き刺すのも楽じゃない。急所もどこか定かじゃないからな。だがこの剣には目に見えない神経系の毒が入っている。まぁあの巨体なら一分くらいは動けずいるだろう」


 一瞬で行われた鋭い攻撃。

最早何が起きたか分からない程だ。

これが“上位”の実力だというのか。

その場の全員が慄く中鳴海は淡々と通信器具を受け取った。


「鳴海です。何かありましたか?」

『鳴海くん!? 良かった連絡取れたわね!』

「青木さんか。オペレートルームから何か通達ですか?」


 慣れた様に進む会話。

しかし入りたての英雄と空悟はまさしくポカンだ。

そもそも自分達から色々聞きにいけば知っている情報だがそういう行動を起こさないのがこの二人とも言えるが。

 状況の掴めない二人に気づいた丸香は鳴海の通信の邪魔にならない様に囁く様に話す。


「今連絡がきた青木さんっていうのは特亜課の事務兼総合オペレートを担当してる人なの。ほら、作戦に参加してる人多いと総括する人が特務長や警視総監だけじゃ大変でしょ? その為の人なの。良い人だよ」


 末尾に「良い人だよ」と情報を付け加えるのは丸香の人柄故か。

端的な説明で理解した英雄と空悟は鳴海の通信に耳を傾ける。


「こちらもそれなりに緊急です。手短にお願いします」

『全く相変わらず葉月ちゃん以外には冷たいわね……まぁ良いわ。連絡事項は二つよ』

「はい」

『まず葉月ちゃんが班長の第二班、及び海にいる氷上くんが班長の第五班、特殊班の翼くんがいる場所に多数の“亜獣”が出現したわ』

「!?」


 冷静に伝えられる情報はあまりに聞き難い内容。

しかし尚も冷静に連絡は伝えられる。


『“亜人”も何体かいるみたい。それぞれが対応してるわ』

「もう一つは?」


 一つ目から相当な重量の情報が飛び出てきた。

だというのに鳴海は全く表情を変えずに次の情報を聞く。

青木も鳴海の質問に対して変わらない声色で答えた。


『もう一つは新人で作戦中監視対象の渦巻英雄が行方知れずになった事よ。麗蘭ちゃんの幼馴染みだって言うし相当の問題児ね……』

「………」

『滝澤さんに聞いても要領得ないし……取り敢えず鳴海くんは何か心当たりない?』


 鳴海は一切瞼を動かさずに英雄を見た。

英雄も真っ直ぐと見つめ返す。


「………ここにいます」


 まぁそうするのが合理的だ。

何せ英雄は本来前線を外された重要参考人。

ここにいるべきでない人間なのだ。


『はぁ!? ちょ! 渦巻英雄! 聞こえてるなら今すぐ持ち場に戻りなさい!』


 絶賛任務放棄中の新人に青木の声も荒げられる。

だが既に心の決まっている英雄は迷う事無く答える。


「無理です。俺は行く。行かなきゃならない」

『無理って……子供の我儘を聞く状況じゃないのよ! 貴方謹慎や始末書とかっていう簡単な話じゃないわよ!』

「分かってる」


 青木の怒号の様な説得でも英雄は曲がらない。

 鳴海は真っ直ぐと英雄を見ていた。

まだ未成年の少年の強い意思。その想い。

鳴海は誰にも分からない様に小さく笑った。


「……青木さん。始末書を用意して下さい」

『それゃ当然──……』

「二枚です。俺と渦巻の分」

『ちょ……!』

「俺は渦巻の戦線参加を許可します…!」



堂々と総合オペレートに宣言する鳴海。

まさか許可されると思っていなかった英雄はうまく状況を掴めずに目を丸くする。

 鳴海は優しい瞳で口を言った。


「特亜課にいる人間はみなすべからく後悔をしている。だからお前はもう後悔するな」


 鳴海の瞳には英雄の知らない過去が込められている様に感じた。

それはきっと英雄では知り得ない後悔。

鳴海にもあったのだろうか。忘れもしない、忘れる訳にはいかない記憶が。

 英雄は頭を切り替える様に首を振って大きく頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 英雄の珍しい丁寧な感謝に少しにこやかに笑うと鳴海は巨大“亜人”に視線を向け直す。

もう痺れも取れてきたのかゆっくりと身体を起こしてこちらを伺っている。


「渦巻。藍舘と共にすぐに最前線に迎え。恐らくこの先に頼羽はいる」

「はい!」

「りょーかいです」


 英雄は丁寧に、空悟は変わらぬ態度で答える。


「緑ヶ谷はここから西に後退して緋色を探せ。恐らく何らかの邪魔が入って苦戦している筈だ。野苺は今すぐこの謎の“亜人”について連絡して俺を手伝え。俺では一撃が足りん。火力役はお前だ」

「はい!」

「オッス!」


 実に的確で素早い指示。

流石東京本庁の現場指揮を任されるだけはある。

 ふと空悟は英雄がバイクに乗る間に鳴海に聞いた。


「さっき言うてた他のトコの“亜人”とか“亜獣”はへーきなんやろか? 鳴海さんあんま気にして無さそやけど…………」


 確かに少し気になるところだ。

青木の言い方からしてきっと他の戦線は穏やかじゃない筈。

だが鳴海は状況を聞いただけで全く気に留めている様には見えない。

 しかし鳴海はさも当然かの様に答えた。


「アイツラは全く問題ない。何せ“上位”だ。それに氷上も実力だけなら全く引けを取らんからな。それに──……」


 鳴海は少しだけ笑う。


「今回は“翼”がいる。何も問題ない」


 “翼”。確か会議に参加していた同い年くらいの少年だ。

麦いわく最年少の“上位”だという。

会議では寝ていたが一人だけ特殊班編成されるだけの実力はある筈だ。

何より鳴海がこれ程言うというのだからきっと相当強い。

 鳴海は鋭い口調で叫ぶ。


「分かったら早く行け! あんまし時間が掛かると翼が先に着くぞ!」


 どれだけ強いのか。

鳴海は東京本庁で最も高い位列の筈だからその翼という少年はそれよりも下の筈だ。

しかし鳴海がこれ程言うレベル。

一体何者だというのか。

 考えるよりも英雄はバイクに乗り空悟の背を叩いた。


「何でもいい! クウゴ! 急ぐぞ!」

「まぁせやな! ほな行こか!」


 丸香は後退、勇仁は連絡し、英雄と空悟は更に奥、拳心のもとへとバイクを走らせた。

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