海を愛する者③

 「あの子達まだいるよ。というか多分ココ来るよ」


 木野の言葉に氷上は船を出す準備をしながら空返事で返した。

しかしいつも通りの氷上の為木野もいちいち気にしない。


「ただでさえ人少ないんだし特亜課同士協力すればいいじゃん」


 英雄達と話す時より少しだけ柔らかい口調で木野は氷上に語りかける。

それは木野から氷上への信頼と信愛の証。

氷上の声色にもどこか他の人相手にはない柔らかさが込められる。


「協力する気はねぇよ。そもそも向こうは警視庁で俺は海上保安庁だ。所属が違うんだしそこまで仲良くする必要ねぇだろ」


 特亜課という組織は基本的に警視庁に存在し、そこに所属する者達も当然警視庁所属になる。

しかし氷上と木野は違った。

二人は特亜課に所属する前より海上保安庁に所属していたのだ。

その為現在特亜課ではたった二人の海上保安庁所属という異色の人間となっている。


 「そもそも“中位”の補佐だってリンネがいなきゃ付けてねぇーし。アイツラにこっちから寄り添う理由はねぇ」


 “中位”の補佐。それは特亜課に所属する八人の“中位”の内、“中位一席”海川奈美以外の七人に部下兼補佐として付けられている“下位”の人間の事だ。

海川は世界で唯一の治癒のバグを持つ人間の為、危険な任務には出ない。

その為補佐は付けていないのだ。

氷上の補佐役は木野がやっている。


「けど警視庁との連携は必要じゃない? 装備は向こうが用意するんだよ?」


 心配した木野の言葉に氷上は一瞬だけ冷たい表情を作って振り向いた。


「俺は海を守れればいい。海が綺麗であればいいんだよ」


 何度も言った言葉。

だが木野にはどこか変わりたがっている様な意思を感じる気がするのだ。

例え人を愛せなくても、せめて仲良くはなってほしい。


 「……けどあの子達はいい子だったじゃん」


 木野はじっと氷上を見つめる。

これは最終手段だ。

昔からこうして見つめ続けると氷上は折れる・・・

だって優しいから。

 木野の計画通り氷上は頬を掻きながら木野の頭を手を乗せた。


「……ハァ。仕方ねぇ……十分以内にあのガキ共が今回の敵に気付けたらだからな」


 照れた様な表情に木野は明るく笑う。

やはり彼は優しい。優しいから海を愛しているのだ。

そしてその五分後、船着き場に三人分の足音が近づいてきた。






 「んで? 何か用か?」


 先程までの木野との会話からは想像も出来ない程のサラリとした対応で氷上は英雄達に向かい合う。

このギャップが木野にとっては可愛いと感じるのだ。

 英雄は空悟との間にちょこんと立つ麦に視線を促す。

麦は自分に意識が向いたのを確認して話を始めた。


「ここにいるという事は氷上さん達も同じ予想……いえ、私達が辿り着けた・・・・・という感じでしょうか」


 麦の視線に氷上が分かりやすく舌を鳴らす。

その行為を肯定と取り、麦は話を続けた。


「恐らく今回の“亜人案件”はの正体は海での目撃例がある“地縛型亜人”の“人魚”が原因でしょう」


 “人魚”。それは誰しも聞いた事がある想像上の生物としても有名な存在。

半身が魚で半身が人間という特異な肢体をした見た目で知られ、神話上でもセイレーンなどが有名だ。

そして人魚は美しい見た目と歌声で人を誘い込み、喰らってしまうという。

現在“亜人”として登録されている情報によると“人魚”は男性のみを狙い、歌声で釣られた人間を喰らうとの事だ。

時刻・・に関しては諸説あり、個体によるものとされているらしい。

 麦は口を閉じて氷上を見た。

氷上と木野の反応からしても恐らく合っているのは分かっている。

ただ連れて行くかは氷上次第だ。

ここで突き放されてしまったら流石にどうしようもないのだから。

しかし氷上は何も言わず船に乗った。

何か言うべきだったか。麦が一瞬反省を頭によぎると氷上は背中越しでボソリと呟く。


「乗るなら乗れ。どーせやる事ねーだろうけどな」


 中々どうして大した態度だ。だがどうにか三人は同行の許可を得る事が出来た様だ。


「はい!」

「はーい」


 麦は元気のいい返事で船に乗り込み二人もそれに倣って船に乗る。

木野はやれやれといった様にニコリと笑った。






 夕刻の海はどこか神秘的で妙な恐ろしさを秘めていた。

これが逢魔が刻というやつか。

まるで別の異界にでも繋がっているのではないかと思い込まされる程の雰囲気には油断すれば気持ちが飲まれそうになってしまう。

しかし船は進む。

この異様な雰囲気の先に“亜人”がいるのがより現実味を帯びているからだ。

そんな中英雄が船頭に立った。

それ程大きい漁船では無い為、一人の人間の行動には視線が集まる。

視線の中英雄は静かに佇んで氷上を見据えた。


「……俺は家族を“亜人”に殺された」


 語り始めたのは英雄の特亜課に入るまでの経緯。

突然の自分語りだがそれは別に暇潰しでも謎の自慢でもない。

英雄がしかと感じていたアンフェア・・・・・さへの気持ちだった。


「ぶっちゃけ俺の復讐はもう三年前に終わってる。だけどこうして特亜課に入ったのはムカついたからだ。理不尽に殺される人がまだ大勢いるって事にな……」


 氷上は英雄から目を逸らさずに話を聞く。


「俺はフェアなのが好きなんだ。どんな事でもな。ボクシングでも生活でもフェアであるべきだと思ってる」


 英雄の視線は一度木野を一瞥して氷上に戻った。


「俺はアンタ以外の口からアンタの身の上話を聞いた。気にしてないと言った以上話された事を俺が言及するのは違え……だが俺が気に食わなかっただけだ。だから話した。興味無きゃ忘れろ」


 中々に暴君な理論だ。

しかし見方によっては英雄と氷上は性根が似ているのかも知れない。

 氷上は目つきの鋭いまま英雄と目を合わせ続ける。


「………鳴海に何か言われたか? フェアだからって俺ぁ人嫌いのままだぜ?」


 喧嘩腰での会話には常に火花が飛び散る。

これから敵の只中に行こうというのにこの状況だ。

人知れず空悟の背中は汗で濡れていた。


「いや、アンタと協力したいとか仲良くなりたいとかはミリとて思っちゃいねぇ。ただ俺には俺の理由があって強くならなきゃいけねぇんだ。」


 英雄はいたずらにニッと笑う。


「理由が必要ならコッチは勝手に強えらしいアンタから色々盗んで追い抜くっつー宣戦布告だとでも取ってくれて構わねぇぜ」


 何て好戦的で身勝手な物言いだろうか。

フェアじゃないのが嫌だからと自分の話を話し始めたと思いきやそれを宣戦布告とするとは。

だが氷上は愉しげに笑った。


「ハハハハハ! テメェ無茶苦茶なヤローだな! 面白え……テメェはムカつくが気に入ったぜ…!」


 それは産まれてまもなくの頃から寝食を共にする木野から見ても初めての表情。

笑っている。しかし木野に向けるのとは違う。

まるで友人との喧嘩を楽しんでいる様に。

氷上は無邪気な笑顔で笑った。

 どうにか落着したのかと麦は小さく息を吐く。


「あのー……楽しげなトコ申し訳無いんやけどもう敵さん見えとんで?」


 空悟が指を差した先にはクスクスと笑う人魚が岩場を陣取っていた。

辺りにはこの辺の海にはいない筈のフカが数匹回る様に泳いでいる。

氷上は英雄の横に並んで立った。


「本当は全部一人でやるつもりだったんだがな。テメェらに俺が何で海上保安庁で特亜課に入ってるかの理由を見せてやるよ。周りの雑魚は好きにしろ…!」


 そう言って氷上は敵のホームグラウンドである海に飛び込んだ。






 「え? 海中で戦うんは無理ちゃう!?」


 驚き慄く空悟に木野は優しく首を降る。


「大丈夫よ。アイツは海に愛されているから」


 木野の言葉に英雄は海を覗き込んだ。

氷上の周りには既に数匹の鱶と人魚が愉しげに泳いでいる。

海の中でこの速度を出せるとは流石人魚だ。

しかし氷上は異様な程に落ち着いて敵の数を確かめている。

その時氷上の肉体に変化が訪れた。

その肉体は先程までの人間の身体から徐々に姿を変えていく。というより進化を施していく。

まるで海に適応していく様に。

海中で半魚人の様な姿へと変貌していく氷上に三人の新人は目を丸くした。

言葉の出ない三人の代わりに木野は優しく答える。


「ノアのバグは【身体適応シンタイテキオウ】。あらゆる場所や環境に肉体を進化、変化させて適応した姿になるバグよ。身体バグの中でも特異な現在日本の特亜課で最も強い身体バグね」


 木野の説明を片耳で受け、すぐさま視線の向いてる方に集中する。

ニヤリと得意気に笑った氷上は海の中で波と共に姿を消して辺りの鱶を空中に蹴り上げた。


「速すぎんだろ……!」


 海洋生物の中で一番速く泳ぐのはバショウカジキだという。

それは時速九十キロの速度で泳ぎ車と比較しても勝る速度だ。

だが海中で目で追えない速度で泳ぐ氷上の水泳速度は恐らくその遥か上に位置する。

まるで点と点で物体を観測しているのかという程に氷上の姿は水中にいる・・という事しか分からない。

気づけば空中に多数の鱶と人魚は浮かび上がり水面から追い出されていた。

どう仕留める気なのか。英雄が一瞬考えると答えを持っていた木野が船頭に立ち大きく息を吸った。

ピタリと動きを止めて木野の小さな口から溜められた空気圧が飛び出す。

その様は正しく突風。

人の口から出されるにはあまりに強過ぎる空気圧は漁船の錨が降ろされていなければ船は飛んでいたのではと思わせる程の勢いを持っていた。




 【超強化肺チョウキョウカハイ】。常人のおよそ百倍程に発達した性能を持つ肺。肺活量も百倍の為台風並みの突風を局地的に口から吹き出す事ができる。海中でも長時間滞在が可能。




 突風というにはあまりにも強過ぎる空気圧で人魚と鱶は散り散りに霧散してしまった。

これが“中位二席”のコンビだというのか。

英雄は拳を握るだけのまま水中の氷上と目を合わせる。


「出番無かったな?」


 恐らく氷上のバグは海以外でも相当の効果を発揮する。

その上で守りたいと願う海に残るだけあり海での戦いに慣れているのだろう。

それでも本気は出していない筈だ。

まるで魅せるかの様に水面に叩き上げ、木野にチェックメイトを譲った。

 戦いを学ぶ?強さを盗む?

英雄はハッと自らを嘲笑する様に笑う。


(学べるレベルに……俺がいねぇ!)


 その広過ぎる実力差は現時点での英雄の強さを量る事すら難しい。

そしてその差に英雄は笑い麦は苦い顔をする。

何度でも再確認してしまうからだ。

この強さでも“亜人”は減るのではなく増えているのか。

その異様な感染力は少しでも傾けば世界の終わりに王手がかかる程なのかと。

英雄と麦は各々の考えで唇を噛み締めたのだった。






 結論から言うと行方不明となった十人は骨すら見つからなかった。

それというのも“亜人”、人魚は人を喰らう。

人魚が原因であった時点で行方不明者達の安否は確認の余地すら無くなるのだ。

 麦は帰りの車を待ちながら資料を見つめる。

その資料は行方不明となった男性達についての資料。

捜査時点で幾度となく確認したものだ。


「それ、秘匿資料なんだろ? 貸せよ燃やす」


 英雄が座る麦の横に並び立ち右手を差し出す。

合理的な態度なのか気を使っているのか。

まだそれを判断できる程渦巻英雄の事は知らない。

しかし麦の口から小さく弱音が溢れる。


「結局………“亜人”を倒しても助ける事はできなかったのよね………」


 特亜課の仕事は“亜人”の撃破。

今回の仕事は氷上と木野の功績といえど完了と言えるだろう。

しかし被害者は十人出た。

麦にとってこれを見ぬふりするのは本質的な手遅れを認める事になる。

それは麦の求め目指す姿では無いのだ。

毅然としていると思っていた少女の小さな弱音に英雄はじっと黙る。

すると麦の持っていた資料はパッと取り発火させて燃やしてしまった。


「………難しい事は俺には分からん。中卒だからな」


 英雄は麦に目を向けた。


「ただ現状にムカついてんなら強くなんねぇとな。俺もお前も」


 何て不器用な励まし方だろうか。

激励であり慰めだというのだろう。

しかし中々強制的で高圧的だ。

普通ならムッと顔をしかめ言い返すという選択肢もあるかも知れない。

だが麦は優しく笑った。


「……あなた女性の扱い知らないのね」


 優しい言い回し。嫌味とは違う。

不器用だったが今の麦には丁度良かった。

何せ事実、強くなる他この苛つきと落ち込みを治める方法はないのだから。

ガジガジと頭を掻きむしる英雄の視線に麦は立った。


「………んじゃあ帰るか」


 立ち直ったと判断した英雄も小さく口角を上げる。

しかし麦はニコリと顔を固定したまま英雄を見つめた。


「お前って言わないでもらえる? 渦巻くん」


 面倒を察知した英雄は踵を返し、言い分のある麦は背中を追いかけた。

初めて強さと弱さを知って。







 海の崖付近。その岩場近くに停留する船。

そこでは数名の海上保安庁の人間が崩れた岩場の後処理をしていた。


「いやぁ……やっぱ木野ちゃんって結構破壊率高めだよね」


 岩場は直接削り取られた様にボコリと欠けている。


「それでどーすんスカ? 報告書」


 軽そうな後輩が聞くと先輩はサッと答えた。


「そこは楽なんよね。局地的な竜巻にしようや。実際似た様なモンだし」

「多いっスネ。竜巻」

「警視庁と合わせると今の日本は竜巻と爆発大国だからな」


 数名の海上保安庁による後処理は夜が更けていった。

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