海を愛する者②

 「捨て子……」


 呟く様に声を漏らす英雄。

別段特別な意図はない。

ただ身近にいないリアルな重み・・で口が開いたのだ。

木野には先程までの明るさは無くなり、悲しげな表情で三人を見る。


「コミックみたいに「実は理由があって」とか「本当は助けるつもりで」とかだったら良かったんだけどね………ただ理由も無く親の愛情が受けられない人もいるんだよね……世の中には」


 何か言葉で返そうと麦は少しだけ顔を上げた。

しかし言葉はそんな簡単に味方をしない。

こんなほんの少しの会話で氷上乃亜という男を知った気になるつもりはない。

だがそれでも聞いた以上思うところはあるものだ。

 ふと会話が途切れると木野の背後から家に入ってきた男の声で意識が集中した。


「拾った奴らも別に助けてくれた訳じゃねぇ。奇跡の子だ海神様だと祀り上げて俺をおもちゃにしただけだ。リンネ以外全員な」


 海から上がった氷上が淡々とそう口にした。

怒っているのではない様に見える。悲しんでいるとも違う。

ただ事実を述べているだけ。そんな印象だった。


「ノア…! ごめんね私さ……」

「いいよ、どうでも。隠してる訳でもねぇしただの事実だ」


 氷上は大きめのタオルで身体を拭きながら奥の部屋に足を運ぶ。

 あれも環境にいいタオルなのだろうか。

麦はふとそんな事を考えながら氷上を見る。

そして少し違和感に気づいた。


(身体がふやけてない……)


 氷上は麦達三人が来る前から海に入っていた様に思える。

それもつい先程までだ。

普通それだけ潮水に浸かっていたら身体に何らかの影響が出そうなものだが、氷上のその兆候は見られなかった。

幼い頃から海と共に生きた故なのか。それとも……。


(そういうバグ……?)


 麦が一人逡巡していると氷上は部屋に入る直前で振り返った。


「ああ、因みに俺の母親は俺の発見の後すぐ見つかったらしいぜ。十七歳のガキだったそうだ。捨てた理由は「いらないから」。ゴミだろ?」


 氷上は淡々と続ける。


「俺ぁ人間嫌い……というよりはクソどうでもいいんだよ、人間なんざ。俺を守って愛してくれてるのは常に海だけだ。分かったら帰れガキ共」


 言いたい事だけを言って去る。

人嫌い故か持ち前の性格か。

氷上はそれだけ言って扉を閉じた。






 「ああ………綺麗な歌声だ……」


 また一人、漁師が海に消えていった。

残るのはいつも謎の歌声だけ。

綺麗で儚い透き通る声だけ。

今月だけでもう十人目となる行方不明事件だ。






 「なるほどな。まぁアイツは簡単に心は開かないだろう。それで? 帰ってくるか?」


 随分と意外性のある適当な言い回しだ。

鳴海なら「どうにかしよう」と言うかと思っていた。

それを言わないのは氷上への配慮なのか。

それともこちらの意思の尊重なのか。

どちらかは分からないが答えは決まっていた。


「帰る訳がない。仲良くなる気は更々ないが雑に扱われて帰るだけなんざゼッテーあり得ねぇ」


 なんとなく電話越しに鳴海が笑った気がした。


「………まぁ、俺達はアイツの力だけを借りてしまっているからな……好かれてはいないだろう……」


 声色が少し悲しげな鳴海。

英雄は電話越しにちゃんと聞こえる様に鼻で失笑に付す。


「何言ってんだよアンタ。だから俺はアイツと仲良くなる気はないぜ。アイツの鼻を明かしてぇだけだ」


 また鳴海は電話越しに笑った気がした。


「すまないな。今こっちの手が離せなくて顔を出せないんだ」


 完全に置いていかれたものと思っていたが一応正当な理由があるのか。


「何か大変?」


 端的な質問で電話越しにはてなをぶつける。

近い性格の鳴海も的確に返した。


「ああ。最近特亜課以外に無許可で“亜人”と戦う組織があるらしくな。そっちの対応と調査があるんだ。まぁお前はまだ特に気にしなくていい」


 まだ、特に。という事はいずれ関わる事もあるのだろうか。

分からないが恐らく鳴海は意味のない事は言わない。

英雄は「ああ」と一言言った。


「まぁいい。任務についてはこなす限り任せる。それに氷上は強いからな。いい勉強にもなるだろう。それと………」


 含みを持たせた様な間を開けて鳴海は言葉を溜める。

何かと英雄をより耳を預けた。


「敬語を忘れるなよ。俺は上司だ」


 ブッ。と太い縄が千切れる様な音で通話は途切れた。






 朝が来て、空に日が指す。

朝焼けは暖かく実に肌にいい。

そんな中麦はよく陽射しが当たる岩場で書類を捲った。


 『以下、現在東京竹芝桟橋付近で起きている行方不明事件について。

   被害者は全員十六歳以上の男性のみ

   年齢幅は十六歳から五十歳までと広く統一性はない

   全員必ず沖まで何らかの方法で出ており、その後行方不明となっている

   噂によると謎の美しい歌声が聞こえた日だという

  以上行方不明事件の事件ファイルより。』


 最近この東京竹芝桟橋付近で起きている行方不明事件。

今回はこの事件に“亜人”が関与している可能性が高いとして特亜課に話が回ってきたという。

 麦は書類をじっくりと見て頭を凝らす。

やはりまずは事件についてを詳しく知らねば。

情報の一つもなしに事件解決の糸口は掴めない。

ふと麦は砂浜に視線をやる。

そこでは空悟が情報収集と称したナンパに興じていた。

「まずは足で稼ぐんや!」などとのたまうので放っておいたらこのザマだ。

全く男という生き物は……。

ちらりと見渡しても英雄の姿はない。

いないのは分かっていたがいないとなると先程の言葉が蘇る。


「不良とか。ああいう奴らは無駄に情報通だったりすんだよ」


 確かにと思う程麦は不良の事を知らない。

とはいえ仮に情報通だったとしてもどういう風に収集するというのか。

予想される方法は穏やかなものでもない。


「やっぱり止めるべきだったか………」


 小さく呟く様に言葉が漏れる。

すると短い付き合いながらも聞き馴染んだ声に後ろから声を掛けられた。


「誰を?」


 低く淡々とした話し方に少し威圧的な物言い。渦巻英雄だ。


「………危険人物」


 麦はジト目で英雄を睨む。

 英雄は麦の口元のへの字口からしても怒りで睨んでいるのではないと分かる。

何より本気で怒りで睨む奴はもっとドギツい気迫が籠もっているものだ。

試合中がそうだった。

こういう時は怒ってるのではない。

前に麗蘭が言っていた。女子のこういう視線は怒りではなく“不満”があるのだと。

 英雄は不器用に睨み返す様な目つきで麦と視線を交差させる。


「んだよ?」


 どう見てもヤンキーのそれだ。

英雄と麗蘭のボクシングの師匠はそれはそれは出来た人だった。

怒るのではなく悲しみ、叱るのではなく諭す。

そんな聖人君主の様な師匠だった。

だがその弟子である英雄と麗蘭はどっからどう見ても立派なチンピラだ。

何を学んでこうなったというのか。

しかし対する麦も警視総監の母を持つ特異な経歴の持ち主だ。

気弱で慣れた睨みが相手の時に慄くような女ではない。

 麦は視線を変えずに英雄を見つめ続けた。


「それで? 情報は得られたの?」

「ああ。けどあんまし期待できるモンはねぇ」


 無いと言われては困る。とでも言いたげな麦は小さく頷く。

するといいタイミングで砂浜から見知った男が歩いてきた。


「オメーはどうだった? クウゴ」


 英雄の言葉に首を振りながらトボトボと歩いてくる空悟の足取りから何となく情報収集の結果は察する事ができた。

恐らく芳しくなかったのだろう。

情報収集と言っても知らない土地。簡単なものではない筈だ。


「ありが……」

「あかんわ。東京の女のコはみんなガードかったいわ。全然引っかからん」


 予想を超えてきた。

この男は今の今まで何をしていたというのか。


「いやー……やっぱし東京は凄いんやな。大阪はホイホイ来んで?」

「お前関西人に助走つけてぶん殴られんぞ」

「ちゃうねんちゃうねん。関西人は軽いんちゃうんよ。ノリがええねん」


 ヘラヘラと回る口にムカついてきた。


「あ」

「え? ちょちょちょ!」


 取り敢えず殴る事にした。






 色々あったが行方不明事件の共通点を幾つか得る事ができた。

まず一つは元々分かっていた『男性のみが狙われる』という事。

聞き込みそっちのけでナンパに興じていた空悟だが一応複数の女性に話は聞けたらしい。

そもそも女性達は噂の一つである“謎の美しい歌声”を聞いた事すらないという。

次にそれらの事件が全て『夕刻頃に起きている』というもの。

時間が固定されているという状況から幾つかの可能性が推測される。


 一、特定の時間にのみ出現する“時間固定型亜人”。

 二、特定の場所にのみ出現する“地縛型亜人”。

 三、何らかの自然的な原因で発生している渦潮などに巻き込まれた。

 などが列挙される。


 三は自然災害だ。可能性を挙げ始めたらキリがない。

だが一の“時間固定型亜人”は国内外でも幾つかの目撃例が報告されている。

ドイツの朝焼けの時間に現れる“パイド・パイパー”に始まり、日本でも逢魔ヶ時に“イヤミ”や“口裂け女”などが報告があった。

今回もその可能性は充分にあるだろう。

次に二の“地縛型亜人”だが、報告例は少ないが海という特殊な環境故に可能性は高い。

先日の山で現れた“樹木子”も“地縛型亜人”に分類される。

被害者が軒並み漁に出ていた事という事実。慣れた漁師にならいつも決まった漁場などもあるだろう。

そこに“亜人”が現れ今回の行方不明事件が発生したと考えるのが一番アリ・・そうだ。

 麦はそこまで考えると二人に視線で合図だけ送って船着き場に向かった。

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