渦巻英雄:ビギニング③

 「ねぇ聞いた? また“亜獣”が出たって!」

「まじ? じゃあ今日学校行けねーじゃんラッキー」

「けど遊びに行くとこなくね?」

「はい…はい…そういう訳で駅近くは全面封鎖していまして……はい…はい…今日は有給消化します」

「亜獣とか俺ら悪くねえし大学の講義も公欠にしろよなー」

「ほんそれー。二十四時間待つのもたるいしー」


 “亜獣”。この言葉はいつの間にか世間に溶け込んでいた。

それはあの“血の雨の日”から突如世界中で起きた未知の病“亜獣病”。

突然凶暴性を増し、まるでおとぎ話の怪物のように姿を変容させてしまう病気。

最初こそは世間を恐れさせたが今ではもう景色の一部だ。

何故なら亜獣には二十四時間暴れ回ったら勝手に消失するという生態がある。

だから警察と自衛隊、S・A・Tなどが辺りを広い範囲で隔離し、二十四時間経つまで待つ。それが亜獣の対処法だ。

その方法が確率されてからというもの、日本人の特徴なのか世間はもう亜獣を生活のちょっとした危険程度に認識している。

それが今の世界の普通なのだ。

だから俺もその日は、普通に仕事して普通に帰宅した。

そして時間が解決しているのを知っている俺は深夜にコンビニに出掛けた。

多分。それが俺の分岐点だったのだろう。





 英雄は大きく息を吐く。


「今日の現場キツかったな……」


 慣れてきた最近は逆に疲れが溜まる様になってきた気がする。

これが社会に出るという事なのだろうか。

英雄はコンビニで買った缶コーヒーをゆっくりと啜った。

ふと、通り道の交番に目が行く。

この交番はこの街に一つしか無い交番。

そしてここは麗蘭の勤務地でもある。


「こんにちは」

「ハイこんにちはー! 時間も時間だから気をつけてね?」


 散歩しているであろう老人が挨拶をし、それを交番の警官が返す。

実に微笑ましい光景だ。

だが麗蘭はいない。

暫くいない。という訳ではない。

ただ時折何故か本来勤務時間である筈の時間に交番にいないのだ。

だが交番には当然のように代わりが立っていて当たり前のように仕事をこなしている。

パトロールに行っただけなのだろうとも思える。

というよりそう考えるのが普通だ。

だが何か、何か違う気がするのだ。

いわゆるただの勘でしかないのだが。

とはいえ答えなんて考えてたって出やしない。

ずっと隠しているのかもと思っていたが気になる想いの方が強くなってきた。

今日帰ったら聞いてみればいいのだ。

 そう考えながら歩いていて、また今日も英雄はいつものように実家に来てしまっていた。





 「毎日毎日………何やってんだ俺……」


 理由も分からず毎日ここに来る。

罪悪感?それはある。

喪失感?それもある。

けど復讐はもう終えた。奴が何者であろうと確実に家族の仇は打ち終えている。

それなのに何故だかここに来る。

 その時ふと、音がした。

耳に一瞬だけ入る小さな音。

しかしその音の根源は土煙と轟音と共にすぐに顔を出した。

地響きのような音は大きな震動で英雄の足場を揺らす。


「は? なんだ?」


 徐々に晴れていく土煙。しかしその中で立ち尽くす存在には流石に英雄を目を疑った。


「……鬼?」


 筋骨隆々の肢体に額には目立つ角。

全身の肌は赤い血の様な色を誇り、その目はどう見ても普通じゃない。

これは赤鬼かな?青鬼ではないな。などと変な方向に冷静になる思考に首を振る。

そんな事を考えていると英雄はしか・・とその鬼と目が合った。

スポーツとはいえボクシングという格闘技も場合によっては死を体感する。

無敵を誇った英雄でさえ常に見えない何か・・・・・・と隣り合わせである感覚はあった。

だからこそ鬼と目が合った瞬間に浮かんだ鮮明なイメージ。


(あ……俺死んだ)


それはまるで未来予知の様な感覚。

経験と目前にそびえ立つ存在感が次なる光景を彷彿とさせる。

英雄はゆっくりと目前に歩いてくる鬼に身体が動かなかった。

そして間違いなく死ぬであろうその目先についた拳ーーーーは横からの一点の衝撃で吹き飛んだ。

怒号のような銃声と局地的な衝撃。

それら全てが同時に目の前で起こり先程まで目前に迫っていた鬼は英雄の遥か左手側に転がっていった。


「は?」


 次々と起こる謎の状況。

しかしその後に現れた存在が最も英雄の脳を揺らした。


「ヒデちゃん!? 何でここに!?」

「………レイラン?」


 見た事の無い銃を握った麗蘭は引き金を手に握り歩いてきた。





 小さい頃の記憶だ。

二歳とかその辺の頃。

記憶というには曖昧で。けどそれにしては覚えているという確信もある。

鍵の掛かった南京錠の様に固く閉ざされている。そんな感覚。

けれども最近は南京錠は錆びついて小さく記憶が漏れ出している。

確かあの日は……赤い雨が降っていた。


 「レイラン? 何だよ……これは?」


 再度引き金を引いて麗蘭は重い銃弾を鬼に撃ち込む。

流れる様に英雄の前に入ったその背はまるで質問を拒んでいる様にも見えた。

しかしそれだとしても今英雄には謎の方が圧倒的に多いのだ。

ここで理解を拒む方がよっぽど出来ない。


「コイツは何だって聞いてんだよ! “亜獣病”が人にも感染するなんざ聞いた事ねぇぞ!」


 詰め寄る様に英雄は麗蘭に叫ぶ。

しかし麗蘭は下唇を噛み締めて黙り込んだまま銃を構える。


(結局……そういう運命なのか…!)


 変わらない運命に麗蘭は怒った。

わかっていた事だ。

だが遣る瀬無い。

せめてほんのひとときの間だけでもと願ったが、巡る様に必ず辿り着く。

麗蘭もそうだった・・・・・・・・


「………この後話すよ」


 鋭い目つきで麗蘭は鬼を見据える。

まずはコイツを倒そう。

麗蘭の空いていた左手の甲が赤く“銃”の文字で光り輝いた。

すると麗蘭の左手の中でガチャガチャと銃が構築されていく。

どう見ても異様な光景。まさしく異能。

麗蘭は創り上げた銃を握って鬼に向かって大きく跳躍した。

起き上がる鬼に暇を与えない勢いで引き金を引き絞り続ける。

手慣れた連射は鬼に一切の猶予を許さない。

しんと静まった空間は一方的な戦闘の終了を理解させる。

あっという間の銃撃戦。

麗蘭の両手にあった銃はまるで処理されたバグの様にノイズが走り消え去った。

ゆっくりとまるで覚悟を決める様に振り向く麗蘭と英雄は目を合わせる。


「………話せよ」


 麗蘭を姉の様に慕い育った英雄は彼女に似て中々に心にゆとりのある性格だ。

しかし麗蘭にとって自身の嫌な所でもある勝ち気さと頑固さも似てしまった。

頑固さは父親譲りな気もするがあの心優しい母からこの勝ち気な少年が生まれたのが不思議でならない。


「レイラン…!」


 英雄に名を呼ばれて麗蘭は大きく息を吐く。

そして今度こそちゃんと英雄の目を真っ直ぐと見つめた。


「まず……大前提として、日本国内で“亜獣病”と呼ばれている病気は世界的には正式名称で“亜人病”って呼ぶ」


 驚きを隠し切れない英雄をよそに麗蘭は話を続ける。





 十五年前、世界各地で“血の雨”が降り注いだ。

これの原因は判然としないが何らかの地球外からのウイルスではないかと予想されている。

そしてこの“血の雨”はあらゆる動物に異様な変化をもたらした。

それがいわゆる“亜人病”。

血の雨を浴びた動物は殆どが例外なくその凶暴性を暴走させた。

個体によってはその姿すら変容させ、まるで神話や伝説上の怪物に似た姿になる存在もいた。

そしてそれは当然人間も例外ではなく、血の雨を浴びた人間達はその姿を変容させた。


 「………それが世界の常識ってことかよ」


 英雄の質問に麗蘭は頷く。


「なら何で日本国内じゃあ“亜獣病”って名前になってる? 俺ぁ今日まで人間も罹る病気だって事を知りもしなかったぜ」


 その言葉にも麗蘭は淡々と答えた。


「日本で今“亜人病”関連を取り締まっている組織があってね。その創設者で現トップの人が情報規制を決めたんだよ」

「情報規制? いくら何でも十五年間も日本国内全域で隠し切るのは無理だろ?」


 少し声が荒げた英雄の言葉に麗蘭は横に首を振る。


「出来るんだよ。それがあの人の“不具合バグ”だから」

「バグ?」


 新しいワードに英雄は首を傾げた。

麗蘭は右手の甲を赤く光らせて答える。


「アタシのこれと同じやつ。これをアタシらの間じゃあ“バグ”って呼ぶのさ」


 麗蘭の右手の上ではカチャカチャと銃が構築されていく。

二度目とはいえ信じられない光景だ。

夢でも見ているかの様だ。

しかし現実として起こりうる事であり、事実それを幼馴染みの麗蘭が実行している。

英雄は頭を落ち着かせる為に一度小さく息を吐いた。


「それは……つまり何だ?」


 端的でシンプルな質問。

麗蘭もシンプルに答える。


「これも“亜人病”だよ。ただ普通のと違うのはこれを得た人はたまたま抗体を持っていたってところかな」


 麗蘭の言葉に英雄は大きく息を吐いた。

 困ったものだ。

雰囲気的に“亜人病”も“バグ”とやらも説明はあらかた終わった様に思える。

だが理解できない。

というよりできる筈もない。

だってこんなのコミックや創作の中の様な話だ。

こっちだってすぐに受け入れられる程子供でもないのだから。

英雄が複雑な表情で呻っていると麗蘭は少し気まずそうに。しかしどこか真面目な雰囲気で口を開いた。


「この力の原因は“血の雨”。それを浴びた人間はたった一人の例外を除いて“亜人”になるか“バグ”を得る………」


 話しながら言い淀んでいく麗蘭。

しかし未だ完全な理解とまでは及ばない英雄は麗蘭の言葉を待った。

麗蘭は再度口を開く。


「あの日……アンタも………」


 しかしその瞬間麗蘭の身体はまるで蹴られたゴム毬かのように大きく吹き飛んだ。


「麗蘭!?」


 名前を叫んだ瞬間。英雄も気づいたら血を吐いて地に伏していた。


「がはっ……!」


 飛びかけている意識の中英雄は先程まで麗蘭と話していた位置を見据える。


「ギャグオオオオオオオ!」


 そこには熊?の様に見える巨大な怪物が立っていた。

だがその全長は巨大な重機程のサイズでありどう見ても熊ではない。

今ならちゃんと分かる。これが“亜人病”に罹った熊であるという事が。


「ヒデ………ちゃん……!」


 掠れる様な声で名を呼ぶ麗蘭。

英雄は血だらけで遠方に倒れている麗蘭と目が合った。

見たら分かる。

あのままでは死んでしまう。

そして麗蘭が何を言おうとしているのかも分かった。


「逃げて………」


 脳裏に浮かぶのは見つけた時には動かなくなっていた家族の姿。

間に合っていたら助けられただろうか。

分からない。分からないが………今は少なくともまだ麗蘭は生きている。

英雄はフラフラと立ち上がり熊の亜人と向かい合った。


「駄目だ………ヒデちゃん……!」


 血を吐きながら訴える麗蘭の声。

身体が震えているのも分かる。

だが英雄は力強く拳を握った。


「死なせねぇよ……誰も」


 その瞬間。英雄の肩に赤い文字が浮かび上がる。

“焔”その文字は赤く光り輝き、英雄の右腕を燃やした。

だが英雄の肌は灼けていない。

理由は簡単だ。

これが英雄の能力。英雄の“バグ”だから。

 あの“血の雨”が降った日。

二歳の英雄は公園の屋根の無い場所で遊んでいた。

そしてその時屋根の下に抱えて走ったのが麗蘭。

あの日。英雄も“血の雨”を浴びたのだ。

 英雄は拳を握りしめて振り抜いた。


「ぶっ飛べ」


 意思に呼応する様に燃え盛る火炎は爆裂し、熊の亜人を燃やし尽くした。

凄まじい一撃。

人外の拳。

それで何となく分かった気がした。

亜人化していないのに“バグ”を持つ人間が“亜人病”に罹っていると表現された理由が。

この拳は確かに人のものではない。

亜の者と呼べる異質な力だ。

 英雄は息を切らして背中越しの麗蘭に聞いた。


「………母さん達を殺して……俺が殴り殺したのも……亜人か?」 


 麗蘭は倒れた身体をゆっくり起こしながら答える。


「うん。あれも亜人だ」


 やりたい事なんてない。

そう思ってた。だが英雄は燃え切った空を眺めて言った。


「そうか………じゃあ取り敢えず俺は、人を助けるよ」


 渦巻英雄の第二の人生は、想像しないところへと向かっていった。


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