第六話 面白い話。10

 まだひとり「ふーっ、ふーっ」猫みたいに興奮している吉川さんを何とか雨梨がなだめてから、改めて雨梨が口を開いた(その間、あたしが煽りまくったのは言うまでもない)。

 位置的に真ん中にいる吉川さんは、自分の前を通り過ぎていった今の言葉を、不思議そうに眺めるようにした。眉根を寄せて何もない空間をただ一点集中。凝視している。

 その様子をなんとはなしに眺めてから口を開く。

「雨梨のあたしに対する愛の深さがあれば、どうにかなるかなって」

「ぬかせ」

 その言葉と表情はどう捉えていいんだろう。恥ずかしいのだろうか。だったら、雨梨を弄くり倒せる面白い武器が手に入ったと喜ぶべきところだが。ものがものだからな。振り翳せば、あたしも同時にダメージを負いかねん。

「どういうことですか?」

 吉川さんが通じ合っているみたいなあたしたちを見て尋ねた。

「桜子の話にはツッコミどころがある」

「ツッコミどころ?」

「うん。それもいくつも。ひとつひとつは幾らでも解釈できそうなことなんだけど、それも複数あるとちょっとね。言葉の綾とか言い回しとかじゃ納得できないというか。わざとやってるとしか思えない」

「?」

「順番にいくけど」

 疑問を呈す吉川さんの首がそろそろ梟みたいになってきたので、雨梨がとりあえずというように解説を始めた。あたしは黙って聞くことにする。

「ひとつめ。桜子のした話。『十年前、ひとりの少女がおりました』開始早々、冒頭のこの言葉の時点でわたしは違和感を持った。桜子は直前で『正確に言うならせいぜい八年前。十年もいってないよ』って、自分から訂正していたんだよ? それを自ら十年前って言い直しているのは変じゃない?」

「キリが良かったからでは?」

 悩むようにして吉川さんが呟いた。

「かもね。まあ、キリが良いにしても二年サバ読むのは違和感ない? しかも、直前で自分が訂正したものをだよ? そもそもわたしはこの『十年前』って前置き自体が桜子の話を思い返すと特に必要が無かったように思う。むしろ邪魔?」

 雨梨は指を一本立てて、結局また折った。ずっと立ててることになりそうで面倒だとでも思ったのかもしれない。

「ふたつめ。わたしらが住んでいるのは市であって、町ではない。桜子の話中、『町』という言葉が計三回も出てきている。特に一回目のは少しわざとらしかった。出し方がね。『十年前』って言葉と同じく、あそこで出さなくても良かった。無くても問題ない」

「自分の住む場所を市町村に限らず、町、と表現してしまうのはよくあることでは?」

 この町にはなんでもある、俺の住む町では、吉川さんが言いたいのはその手のよくある表現の一つのことだろう。

「あるね。でも、十年前って時系列まで最初にわざわざ指定してきてるのに、そこんとこぼかすかな? わたしなら市町村名までぼかさずにはっきりと口にするけど」

「うーん?」

 納得のいってないという顔。そこに雨梨が被せる。

「桜子って名乗っている辺りも怪しいんだよね。十年前もそうだけど。はっきりさせたいの? ぼかしたいの? どっちなの? 曖昧にするんなら最初に言ってた『少女』ってだけで伝わったはず。なんかちぐはぐなんだよね」

「……言われてみれば?」

「さっき吉川ちゃんとこいつが喧嘩してたときもそう。歯に物が挟まったような物言いじゃなかった?」

 指差された。

「ああ、何か違和感はありましたね。何が、と言われれば説明できないのですけれど」

「それはね? 喧嘩してたとき、桜子は一度も『あたしが』って言ってないからだよ。一人称が無かったから喋りに違和感のある箇所があった」

「あ。確かに。でも、それが何なんですか?」

「捲し立ててけど後半は特に酷かったね。勢いで誤魔化そうとしてたみたいだけれど」

 吉川さんの質問には答えずに雨梨はあたしを見た。

 まあね。あそこで『あたしが』って言ったらそれこそちぐはぐで整合性取れなくなっちゃうし。悪魔でもそこはフェアでいきたかった。自分とは切り離していたかった。

『だから桜子はバランス取ってあげた』『桜子は身を守っただけ』なんて言うのも変だもんね。

「みっつめ。『近所の女の子』『彼女はいつもひとりぼっちでした』『友だちはひとりもいません』『いつも本ばかり読んでいます』ここはまあ、わたしを差しているんだろうけどさ。『友だちはひとりもいません』この。この部分。ねえ、小学校が別なのに、どうして桜子は、わたしがひとりも友だちがいなかったって断言できるの? 桜子に会った時点でそれは桜子側からは分からないはずでしょ。僅かな帰り道の時間しか会わないんだし」

「直前に雨梨さんのした恋バナに引きずられただけでは? 友だちがいなかったと自分で言っていましたし。それか当時、自分から桜子さんに話していたとか」

「かもね」

 雨梨は特に否定することをしなかった。

「よっつめ」

「ん」

 よっつめ? まだなんかあったっけ。あれこれ勢いで喋っていたから、そりゃあ雨梨の言ったようにツッコミどころは多々あったろうが、意識してやったやつはそれくらい

「これは桜子も意図してないと思うんだけど」

 と、雨梨はあたしの思考を断ち切った。

「意図してないこと?」

「アバズレ、ヤリマン、その言葉を吐いたときの桜子の表情がどうもね。吉川ちゃんは桜子が下ネタ嫌いなの気付いている?」

「ああ、そういえば」

 頭上を見上げて吉川さんは呟くようにした。先程のことを思い浮かべているのか。そういえば、あたしも強く反応してしまっていたな。

「自分から彼氏に言わせたっぽいのに、あんの嫌そうな顔。笑っちゃいそうだったもん」

 …………なんも言えねえ。

「だいたいさあ」

 雨梨は続ける。

「桜子の話を信じるんなら、その十年前? つーと幼稚園保育園? あー違うか。小学校一年生かそこらのガキが、ユーモアに富んだ言い回しをして? アバズレヤリマンなんて言葉を駆使して? 同じ一年生のガキを泣かしたっていうんでしょう? どんなマセガキだよ。その幼馴染も幼馴染だよ。言っても伝わらんから」

「まあ、この現代社会、ネットで調べればすぐにでも……。それに、その幼馴染の女の子も、言葉の意味は分からずとも少し前まで仲が良かった子に、そんな汚い言葉を吐かれたことに対するショックで泣いてしまったのかもしれませんし」

 何故か吉川さんがあたしをフォローするような感じになっとる。

「自殺未遂したとかいう子だってそうだよ。そんな子がいたら一回くらい聞いててもおかしくないって。桜子の小学校近いんだし。てか隣だし。そこから来てる子も多いよ」

 チラ、と雨梨が居残り組に目をやった。何人かが目を逸らしたり、ひらひらと手を振った。んな奴いねーよとでも云わんばかりだ。お前ら少しは演技しろよ。付き合えよ。

「聞いたことありませんね」

「んで桜子に彼氏? ハ」

「なにゆえ鼻で笑う」

「恋バナでこれだけ喰い付いてくる年頃が。そんなもん桜子にいたのなら、幾ら本人が隠してたって、一度くらいそれっぽい噂でも耳に入って来ておかしくないっしょ。吉川ちゃん聞いたことある? つかいると思う? こいつに」

「いいえ!」

「なにゆえ即座に否定できる。なんだその元気な否定は。なんであんたそこだけそんな口調きついんじゃ」

 嫉妬か? と続けようしたが、なんとなくやめた。

「以上のことから」

 あたしの言葉には応えず、雨梨は勝手にまとめだす。


「桜子の話は嘘」


「嘘? 全部がですか」

 吉川さんがきょとんとした。幾らなんでもといった顔だ。対して雨梨の顔はどこか得意気であった。

「全部が。でっちあげ。それっぽい作り話をあたかも自分の過去のように偽って語った。直前でしたわたしの恋バナ絡めたり、自分が以前した発言を引用していたけれど、それは木を隠すなら森の中的な意味合いがたぶんあったんだろうね。架空のお話、嘘を、それっぽい情報で塗り固めてバレにくいようにしただけ。悪魔でも桜子が話したのは、桜子とは関係のない、架空の桜子のお話。時系列が違うのも、場所をぼかしたのも、知るはずのないことを知っていたのも、全部意図してやったこと。狙って偽ったんだ」

「何故、そんなことを」

 呆れるような目を向けられた。

「言ってたじゃん。万人受けしそうな恋バナに対抗するには、こういう、受け手の解釈に委ねるような、評価の別れるもんでもぶつけるしかないって」

 市場が熟成したところに新たにイノベーションを起こすには多少なりとも冒険しなきゃいけないからね。特に今回は、雨梨というレジェンドのせいであたしの株が若干下がっていたことと(元はと言えばあたしのせいだが)、吉川さんがルールに禁じ手盛り込んだことと、吉川さんの出したお題が難易度高かったこともあり、普通にやっていてもなかなかウケなかったろうからね。

「……悪質です」

 ぶすっ面吉川である。

「面白かったっしょ?」

「感情が昂ぶったのは事実ですが」

 試すようなあたしの言葉に、吉川さんは顔を顰める。

「わたしは面白かったけどね。探せば気付くようなツッコミどころを最初から用意していたことも含めて。わたしが指摘しなきゃただの不快な話で終わったけどさ」

「あたしと雨梨の愛の結晶とも言えるね」

「下ネタ?」

「死ね」

「ふくっ」

「そこ! 笑うな!」

「あ。ごめんなさい。今の桜子さんの滑稽な顔で初めて面白かったです。少しだけ溜飲が下がりました」

 溜飲て。口語で使う奴始めて見たわ。

 くすくすと笑う――いや、嗤う? 吉川さんを見てようやくあたしは安心する。知らず緊張していた肩の力を抜き、「で? どうなの?」と、雨梨に視線をやれば、

「ま。個人的には百点あげたいけどね」

 と、言った。

「そ」

 なんて気のない返事をしながらも、あたしは心の中で小さくガッツポーズする。やった。百点だ。雨梨からの百点。

 それだけであたしは良い。なんかもう満足。このまま帰りたい気分。

 しかし、雨梨はそれで終わらす気はないようで、


「じゃ、みんなはんてーい!」


 と、教室中に響く大声を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る