第六話 面白い話。6
事前に伝えていただけに、吉川さんは驚きこそしなかった。唇をきゅっと引き結び、それだけで他に反応は見せなかった。
「近所だってことはお互い何となく分かってたんだけどさ。帰り道だけで、一緒になって遊ぶってことはしなかったんだよね。わたしは先入観っていうか思い込み? 違う学校の子と遊んじゃいけないってのが頭にあって……違うか」
首を振り、上を見上げ、自ら吐いた言葉を自ら否定する。
「断られたらどうしようっていうのが頭にあって誘えなかったんだ。男女だって思ってるわけじゃん? そういう風に思われたらどうしよう? 好きだってバレたらどうしようって。ずっと不安で誘えないままだったんだよ。そうして、時だけが過ぎていった」
一呼吸置いてから雨梨は言う。
「小三の夏。桜子君がわたしの前に現れなくなった」
「……」
気まずい。
やめろ。みんな。こっちを見るな。
「本当に突然だった。帰り道、そりゃあ今までも二日三日会わないことはあった。そんな日は残念だったけど、でも明日なら、また明日なら会えるって想ってやっぱり会えたんだよ。でも、一週間二週間もそれが続いた……。わたしはどんどんどんどん不安になっていった」
ぽつりぽつりと雨梨の言葉は続く。
「どうして? なんで? 何か嫌われることしちゃったかな? そんな言葉を内心ずっと繰り返して、わたしは馬鹿みたいに馬鹿みたいな格好で通学路を歩き続けた」
前傾姿勢でのっそのそ歩くあの頃の雨梨が頭に浮かんだ。時折、ちらちらと視線を上げてはあたしが向こうの角からやって来るのをただ待っている。しかし、何時まで経っても何時まで待っても現れないあたし。表情は固くなり、やがては塞いでいって――。
反面、あの頃のあたしはハッピーだったな……。
うん。短い十四年余りのあたしの人生、折れ線グラフで表すと、間違いなく絶頂だった……。だって、ねえ。社宅からの念願のマイホーム&自分の部屋だからね。そりゃもう絶頂よ。
え? 雨梨? 忘れ
「高学年、四年生に上がった頃、わたしはもうあの子とは会えないんだって悟った」
うむ。
雨梨がずっと想い続け、やがて悟ったのとは逆に、あたしは引っ越して二週間ぐらい経った頃に「あ。やっべ。雨梨に言うの忘れてた」とようやく思い出していた。引っ越しの件もそうだけど、自分が実は女なんだってことも、遂に告げずに行ってしまっていたことをそのときになってようやく気付いた。「ま、いっか」と思ったような。
「ぐすんっ」
驚いて顔を向けると、メガネさんが瞳に涙を浮かべていた。まじかよ純粋過ぎる。感じ入り過ぎだろう。まるであたしが悪いことやったみたいじゃないか。
雨梨が自嘲気味にふっと笑った。
「桜子君と感想の共有しているうちに、多少喋るようになったわたしは、その頃には友だちも出来た。馬鹿みたいに馬鹿みたいな格好で帰り道を歩くこともしなくなった。一緒に帰る友だちも出来たしね? ……でも、やっぱり心のどこかではずっと引っ掛かったままだったんだ。――高学年に上がるとさ。みんな、好きな男の子の話で盛り上がったりするでしょ? 恋バナとかそういうの。わたしはずーっと聞き役でね? そういうときは嫌でも思い出しちゃうんだよ。桜子君のこと。ふたりで一緒に歩いた帰り道のこと。
学区の縛りが失くなったのは何時頃だっけ?」
誰にともなく雨梨が唐突に訊いた。
吉川さんが思い出すように。
「小学校五六年生くらいじゃなかったですか? 地域に関係なく自由に中学を選択できるようになりましたよね? 田舎だった私は、人の集まる学校に行ってみたいと、この学校を受験したわけですが」
小中学の学校選択制。都会じゃ珍しくないんだろう。市町村、地域ごとに違うと聞く。言ったように、数年前からこの地域一帯で導入された。
「わたしもそんな感じ。桜子君がいなくなって本の話をする仲間にも飢えていたしさ。人の集まるところに行けばもしかしたらって考えて」
ちなみにあたしがこの学校を選んだ理由は近かったから以外にない。
小学校の隣だからね。
「……そして?」
吉川さんの促すような言葉に雨梨が頷いた。
「うん。そして、ここで桜子君と再会したんだ」
「ぐすんっ」
瞳をうるうるさせているメガネさんを一瞥し、雨梨は言う。
「ま。桜子君じゃなくて桜子さん、だったけどね?」
向けられた悪戯っぽい瞳に再会したときのことを思い出す。まだこの教室に入る前の、入学式終わりの廊下での出来事。そういえば――、あのときも、今も、小学生のときも、雨梨は会う度印象が違っている。それは、あたしが雨梨にやったことのせいなのだろう。雨梨のあたしに対する想いの変化が、そうさせていたのだろう。
『雨梨!』
『……っ』
『あ。覚えてない? あたし。桜子桜子。よく一緒に帰ってたじゃん』
『お、おう』
『? いやあ懐かしいねえ。十年ぶりぐらい? あたし正直、あの頃のことあんまり覚えてないんだけどさー。雨梨、髪型は変わっちゃってたけど、パッと顔見た瞬間すぐ分かったよ。表情でね。もうその表情で。その無愛想な表情で』
『……なんで何にも言わずにいなくなっちゃったの?』
『あれ? 言ってなかったっけ? 引っ越し引っ越し』
『はあ。まあいいや。またよろしく。――桜子』
他が静かに新たな教室に向かって歩んでいる中、あたしたちだけかなり煩かったから、今このクラスにいる中にも、もしかしたら覚えている人がいるかもしれない。
『お、おう』って返事。こんな喋り方する奴だっけ? とそん時思って、その後は特にそんな喋りをすることもなかったから、今までスルーしてたけれど……アレ『桜子(おうじ)くん』って呼ぼうとしてたんだな。
「正直、薄々気付いちゃいたんだけどさ」
思考を雨梨が断ち切った。
「わたしと話すとき、俺とか僕とか一人称定まってなかったし。時々普通にスカートはいてくるし。訊けば本人は今はジェンダーレスの時代ーとか覚えたての言葉使って喚き散らすし」
「聞けば聞くほど変わってないんですね」
「それでも心のどこかで期待してたっていうかさ」
「今でも、その、好きなんですか? 桜子さんのこと」
雨梨のその様子に躊躇いがちに吉川さんが訊いた。
なんてこと訊きやがるとは思うものの、話の流れ的に訊きたくなる気持ちも理解できる。あたしは聞いてみたいようでもあり、聞いてみたくないようでもあり。
「さあ?」
「さあって」
「わたしの話はこれでおしまいかな。わたしが桜子のことを今はどう想っているのか。そんなの、あらためて明かすのも野暮ってもんでしょ? 明かさない方が良いこともあるってこと。思い出は思い出。秘密は秘密。今は今ってね。過去の思い出話の一つ。
……面白かったかどうかは分かんないけどね」
そう言って雨梨は肩をすくめた。
「……そう、ですか」
納得するように吉川さんは微笑んだ後、その顔のままあたしの方へと向いた。
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