第六話 面白い話。7
「では。次は桜子さんの番ですね」
「え」
「え?」
え? この雰囲気の中で次やるの? 次やらなきゃいけないの? この、良い感じに締めたっぽい雰囲気漂っていて、微妙にあたしが悪者っぽいような中で?
あたしは雨梨を見る。してやったり、みたいな表情を返してきた。
くそぅ。あの頃の意趣返しってやつか?
ちくしょー。というか今の話、最後の締めについてはけっこうツッコみどころがある。恋に恋してたあの頃の思い出っぽく語っていたけれど、後半明らかに気付いていただろって件だ。
「それでも心のどこかで期待してたっていうかさ」なんて言ってるが、そんな雰囲気微塵もなく気付いていただろとあたしは言いたい。再会後は単に驚いていただけ。
だんだん思い出してきたぞ。
『まだやってるの? いい加減飽きない? それ? 普通にスカートはいてんじゃん。スカートはいてんのに男の子なわけないでしょ』
『ふふ。知らないの? 今の世の中はジェンダーレスなんだよ。男の子がスカートはいたっていいの。スコットランドではみんなが当たり前にはいてるんだよ?』
『あれは民族衣装だからまた違うでしょ……。言うならメンズスカートとかもっと他にあるでしょ……』
『ハリーポッターどこまで読んだ?』
『アズカバ……やめて言わないで!』
まあ、いいや。とりあえず一旦終わりか。見れば周囲もどこか弛緩した空気になっているし。雨梨=レジェンドの話がやはり満足いくものだったと見える。これを超えねばならないわけだ。
さて、ね。
締めに相応しい話ね。相応しい面白い話。
なんにも材料のない中で。ゼロから作り上げる面白い話。
……被せるか?
要はあたしも過去話をするわけだ。幼き頃の思い出を語る。天丼じゃないから、吉川さんから事前に禁止にされてはいない。アリと言えばアリ。
しかしなあ。
被せるってことは似たような雰囲気を持つ過去話をやらにゃならんわけで。ぽんぽんぽんぽんみんなが過去話をするっていう流れならまだしも、一対一の勝負事でそれをやるとなると、単純にクオリティの問題になってくる。より、どちらがっていう。この話の後でそれは出来るなら避けたい。
だったら。
悲劇、なんてのはどうだろう?
面白い話っていうと、その言葉の響きから、なんとなくプラスの側面ばかり、喜劇を連想しちゃうけれど(雨梨の話は一旦置いといて)、マイナス=悲しい気持ちに焦点を当てても良いわけだ。
そこで悲劇だ。
よく言うじゃないか。人を泣かせるのは簡単だが、人を笑わせるのは難しいって。誰が最初に言い出したかは知らんけどさ。
言葉通りに受け取れば、じゃあ、人を泣かせることは簡単なんじゃないのかってこと。
そして、あたしはここに一つの可能性を見つける。レジェンドに対抗し得る可能性を。
恋バナ。なるほど。中学生にとってこれほど感心を惹かれるものはないだろう。何も付き合った、もうやってるやってない、そんな次元の話じゃなくていいのだ。誰が好き、誰それが気になってる。過去に、こんな初恋をしていた。それだけでいくらでも盛り上がれるお年頃なのだ。これが高校生にでもなってしまえばまた違うんだろうが。
そんな恋バナに対抗し得る唯一の可能性が悲劇なんじゃないか? というのも、悲劇ってほら、つまんないって言いにくいじゃん? ガチな雰囲気って低評価を下しにくいじゃん? 真面目な話している奴を一言で切って捨てるのもどうかなって少しは考えちゃうじゃん?
……いけるか。
が。
ここで問題なのは、皆があたしの性格的欠点を(敢えて自分で言うが)完全に知っている上で悲劇を語ることの難しさである。
人間性に問題のある奴がいくらあたしって可哀想でしょう? なんて言っても「あーはいはい」でおしまいである。
例えば、芸能人の浮気がスキャンダルとして時々世間を賑わせるが、そんな浮気を起こした張本人が涙ながらに「もうしません」「私は間違いを犯しました」「これからは自分を見つめ直し」なんて言っていても、どうせ○年後には~心の内では~裏で美味しい想いした癖に~なんて思ってしまうのが人間という生き物だ。
いくら可哀想な姿を見せたって響かないのだ。
そんな状況に陥っているのが今のあたしと言えよう。とはいえやらねばならぬという。
ならば?
――完全に皆が創作だと分かる悲劇か。
無茶振りゲーム。そのゲームの特性故に、どうしても語る内容は、自らの経験談っぽくなることが大半。いいや、ほぼ百パーセントと言っていい。自分の口を使うわけだから、無理もない話なんだが。
振られる内容も内容だけに。他人の話を自分事のように語るのもなかなか難しいため、自然と自分の経験談っぽくなってしまうのだ。
『桜子さあ。ほら、あの話してよ。ほら、あの――雪山でイエティと闘ったときの話』
『そういえば、桜子、昔カートゥーンアニメになってたけど、あれ、なんだったん?』
『雨梨って昔、狸合戦に参戦してたんだよね?』
『いい加減認めたらどうなんや。お前が十年前に犯したあの罪、まさか忘れたわけじゃねえんやろう』
『探しものはなんですか?』
比較してみると、名前や二人称で体験談として語れと最初から指定されているお題が多いのが分かる。先週やったお題に関しては先週も思ったように自由度が高いけれど……、それでもお題が質問形式なため、その場で答え=探しものを示すことが要求される。自然、当事者のように話してしまう。
自分じゃなく、他人が探しているんだが……なんて、わざわざする意味も薄いからだ。
それでは、今回のお題をもう一度思い出してみよう。
『面白い話をしてください』
うむ。なんでもありだ。今ままで以上になんでもありだ。別に当事者として経験談っぽく語る必要もなければ、質問に答えを示さなくてもいい。
切り離せるのだ。自分とは。
……とはいえ、いきなりまるで関係のない赤の他人の話を始められても、聞く方も困惑するだろう。ここは、それとなく如何ようにも解釈できるよう話す、そう、三人称で話すべきなんじゃなかろうか。
今朝からやってる遊びが生きてくる。そして、ここ最近したあたしのあの発言やあの発言も使える。冷静になってみると、悲劇、というにはかなり胸糞悪い話になりそうだし、あたしの評価も心配になってくる。が、なあにこんなもの、手遊びでやってるたかが放課後の遊び。後でいくらでもどうにかなる。それに、このくらいしないとレジェンドには遠く及ばない気もする。
やるか。
「十年前、ひとりの少女がおりました」
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