第一話 イエティ。3
「はあ」
「はあ」
どうしよう。微妙だ。
実に反応に困る。
ずんぐりむっくりから連想したのだろうか。もしこの清楚そうなお嬢様からむさいおっさんとかそういうあたしがしたみたいな意外性のあるワードがいきなり飛び出てきたらそれだけで吹いた自信があるのに。実に勿体ない。出てきたのが『パンダ』とあっちゃあ、可愛らしさが抜け切れていなくて、ともすればぶりっ子とも取られかねない、笑いの前に反感を買うような危険ワードだとあたしなんかは思うんだけど……、その路線で一体どうするのだろうか? いけるか? いけるのか? ええ?
あたしの心配が伝わったかのように雨梨は慎重に尋ねる。
「パンダ?」
「ええ。パンダです。桜子さんが言うように、高みを目指す柔道部員のむさいおっさんの群れが、その場の状況と上手くそぐわず、イエティなる集団幻覚として語られていた――そういう事情もあるでしょう。理解できますし、私も耳にしたことはあります。しかし、事実は違うのです。イエティはパンダ。これはゆるぎのない事実」
「おお」
がっつり言い切るね。かなり自信があると見える。あたしみたいに考え考え喋るのと違い、がんと言い切る感じは見ていて気持ちがいい。が、逆に不安にもなる。
やってみると分かるのだが、これ、ある程度余白を残して喋る方がやりやすいのだ。説明は難しいが、方向性をはじめから決めすぎると難易度がはね上がる、みたいな? あっちにも行きつつ、けれどこっちにも舵切れるようにしておく。そんな感じ。
自分が振られるとあらかじめ知っていたわけでもないだろうしね。大丈夫かな?
「生息地は桜子さんの仰ったのと変わりません。イエティ……いえ、野生のパンダ、彼奴らはおふたりともが知るよう中国にある八甲田山で――」
「……ん?」
「中国?」
流石にスルーできなかった。
中国? あたしは雨梨と顔を見合わせる。
「八甲田山って青森じゃないの?」
「そうだよ? あ、違うか。なにか狙いが――」
ふと視線を吉川さんに戻した。
顔が赤くなっている。
「…………」
微妙な雰囲気の沈黙。どうやら素で間違えたらしい。割り込んじゃったけれど、何か話の進行上の狙いがあって、それを邪魔しちゃってたら悪いなと思ったんだけど。
「九華山(きゅうかさん)や五台山(ごだいさん)や四姑娘山(スーグーニャンシャン)と勘違いしたとか? それとも中国地方のこと言ってるの? どっちにしたって間違えてるけどさ」
「あんたじゃあるまいし。そんなの知ってる奴いる? 数字入ってるくらいしか似ている要素ないじゃん。勘違いするようなもんでもないでしょ。六甲おろしの方がまだ似ているよ」
「六甲おろしはもっと違うと思う」
「パンダって文脈的に中国地方じゃなくて中華人民共和国の方じゃないの?」
「あ理解った。イエティに関する伝説ってヒマラヤ山脈発祥だったでしょ?」
「知らんが」
話の腰が折られて沈黙している吉川ちゃんを置いて、あたしたちは吉川ちゃんの放ったワードの分析を進めていく。
「そうなの。けど、ヒマラヤ山脈ってブータン、インド、パキスタン、ネパール、中国の五国に跨ってるんだよね。で、桜子が八甲田山なんて言ったもんだから、漢字を使うだったら中国にある山だろうって勘違いしちゃってそれで『中国にある八甲田山』って言ったんだよ。たぶんそう。てか、絶対そうっしょ」
中途半端な知識が却って仇になったってやつかな。そういえば、最初、こちらに呼んだとき吉川さんの反応は妙だった。訊き返すでもなく、何か知ってる風で。
「ああなるほどなるほどそういうこと~。さっすがインテリヤンキー。なんでも知ってるー」
「インテリヤンキー言うな。で? どうなん? 吉川ちゃん?」
「中国にある八甲田山では――」
「ああ、ゴリ押しでいくんだ……」
「けっこう強引だよね、吉川ちゃん」
なんだかゴリ押し吉川を生温かく見守る感じになっちゃってるが。
可哀想なのでこのまま見守ることにしよう。
「野生のパンダが生息しています」
ふむ。
まあ、中国にある八甲田山にならいるだろう。野生は絶滅の危機に瀕しているらしいが、八甲田山にならばいるかもしれない。なにせ青森じゃなくて中国にあるから。
「彼奴らは草食動物ですよね?」
「いや、違うけど……?」
「けっこう有名な話だよね……? それって」
確認をするようにこちらに話を振ってきた吉川さんを置いて、あたしたちはお互いの認識が勘違いじゃないか確認する作業に入る。とりあえず知ってそうな横のツインテに尋ねることに。
「あれって竹食べてるだけなんでしょ?」
「らしいね。主食が竹ってだけ。哺乳綱食肉目クマ科。ジャイアントパンダ科ってのもたしかあったかな? ま、食肉ってカテゴライズされてるね。諸説あるらしいけど、言った通り、生育環境の関係で竹食ってるだけみたいよ。けっこう雑食らしいよ? 動物園でだって果物くらいは与えるし。りんごや人参とか。そもそも、中国の野生のパンダって、たまに家畜襲ったりするらしいし。他にも昆虫食べたり、動物の死骸食べたり」
「わー。イメージ壊れるー」
「それでも、ほとんどは竹食ってるらしいけどね? でも、羊や馬みたいな草食動物の腸が体長の十倍二十倍なのに対して、パンダの腸は四倍から六倍。実際食べてるのは竹なのにね」
「ふうん。変な動物」
「割と謎が多いらしいよ? ただ、その生態も最近の研究でやっと理解ってきたとか……あ」
そこでやっと気付いたようだ。脱線(?)してその話に夢中になっていたことに。恥ずかしながらあたしもである。
「ごめん。で、なんだっけ?」
「ほら。パンダが草食動物ってところだよ」
「そうだそうだ。たしか中国の」
「そう。中国の八甲田山にいるパンダが草食動物だってところ。うん。間違ってないよね? 中国の八甲田山にいるパンダは草食動物ってところで話止まってたはず……ごめんね? 吉川さん。お話、続けていいよ?」
雨梨が雑に言ったので咄嗟に丁寧にフォローする。
おかしいな? 吉川さんが見たこともない表情をしているぞ。唇を引き結んでめちゃくちゃに睨んでくる。かわいい顔が台無しだ。もっとかわいい顔して!
「…………パンダは肉食動物です……」
そのままの表情で苦痛に耐えるかのように吉川さんは言葉を吐いた。
「変えてきたね」
「どしたの? 吉川さん。なにその変顔。あ。変顔で笑わせるのはルール違反だからね」
なんでそんなに睨むの?
「しかし、草食動物だと勘違いされるくらいに草食なのは事実です」
「ふむ」
まあねえ。あたしなんかはクマが草食ってどうなん? ってところで疑問を持って少しだけ調べた口だが、疑問を持たなければ知らないことかもしんない。知らないのは悪いことじゃない。これから知っていけるということだから。
何の話だっけ、これ。
「イエティ――その正体がパンダというのは既に述べました」
ああ、そっかイエティだ。イエティ。
「イエティはヒマラヤ山脈の比較的高い地域で目撃されています。そして、野生のパンダも実はかなり標高の高い地域に生息しているのです。パンダに随分お詳しいおふたりならこのくらいのことは既にご存知かもしれませんけど」
「そうだねー。三千メートルくらいの山でもいるらしいね」
のん気に返答している雨梨を他所にあたしはひくっとなる。吉川さん、一瞬目がとんでもなく怖かった。すぐに元の優しげな瞳に戻っていたけれど。
「パンダは基本的に竹ばかり食べていますよね? あぐらをかきながら器用に竹を持ち、ひたすらにむしゃむしゃ食べる姿はテレビなどで見たことがおありでしょう? 私たちはその愛くるしい姿に癒やされ、心惹かれます」
かわいいよね、パンダ。
「しかし所詮は熊。飼育されているならともかく野生とあっては大変危険。肉も喰います。家畜も襲います。人も襲うでしょう」
怖いよね、パンダ。
「そんな野生のパンダが人を襲っている姿を、現地人ならいざ知らず、遠く、異国の地からやってきた登山家が見たらどう思うでしょうか?」
「……う、ん?」
あたしは吉川さんの云わんとすることが分からなかっ――たならまだ良かったんだけど、この時点でだいたい予想が付いてしまった。うーん。どうなんだろう。
「つまり?」
「あんなに愛らしいパンダが人を襲うはずがない! だって、パンダは草食動物のはず! 彼らは竹だけを主食としているはず! そんな人々の愚かな思い込みが作り出したのが未確認生命体イエティという幻想です! イエティの目撃談が極端に少ないのは、おふたりとも何故だか知っていますか?」
「知らんが」
横にいる奴は知っていそうだが。
吉川さんはあたしの答えを受けて、怪しく微笑んだ。
「食べられているからですよ――目撃者が」
「はあ」
先ほどとはまた違った恐ろしげな顔、具体的には稲川淳二がしそうな笑みを浮かべてくる。そして心なしドヤ顔に見えた。
吉川さんはポケットから自分のスマホを取り出した。そして何か操作をして、こちらに見せてきた。画面にはイエティと思われるモンスターがたくさん映っている。イエティで画像検索したのだろう。
「こうして見てみると、イエティのイメージは雨梨さんが仰ったような白いゴリラのようなものから、茶色の毛並みに覆われた巨人、スマートなものからずんぐりむっくりしたものまで様々ですね。このどれもがパンダと言われればそう見えなくもない……と、思えませんか?」
「思えねーわ」
「無理ある」
スマホに雨梨と顔を寄せて言い、視線を吉川さんへと向けるが、吉川さんはこちらの応えなど聞いていないかのように満足そうに鼻から息を吐いた。
「長くなってしまいましたが以上のことからっ、私はイエティ=パンダ説を唱えたいと思いますっ」
あたしが効果音担当だったらここで太鼓のひとつでも鳴らしてあげたのに。残念ながらあたしは太鼓もボンゴも持ち合わせていない。
「…………あのー、如何だったでしょうか?」
胸張ってた吉川さんが急に丸くなっておずおずと訊いてきた。
「あ、終わり?」
あたしはどうなん? と、首で雨梨に振る。あたしは当事者だ。判定するのは聞き役側の雨梨だろう。振りを受け、雨梨は「うーん」と悩んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「嫌いじゃないんだけどな……」
まあね。必ずしも笑わせなきゃいけないってわけじゃないからね。これが大喜利ならば、テレビなどでも見られるように、どうにかして笑いに持っていかなければならないのだろうが、あたしたちがやってるのは無茶振りだ。振られたお題に対して、適当に話を合わせたり、作ったり盛ったりしているだけである。もちろん、笑いに持ってたりしたっていいし、今吉川さんがしていたようにオカルトオチに持ってったっていい。
問題はクオリティーである。
あたし含め。
遊びも本気でやらにゃつまらんでしょう。
「八甲田山って最初言ってるのに、ヒマラヤ山脈でのリアルなイエティ目撃談絡めてきたりしたのがなー。そのせいで史実の相違も気になっちゃったし、パンダ説にしてももうちょっと細部凝ってくれればリアリティ出て面白くなったかもしれないけど。余計なことに突っ込んでったせいで、現実でのイエティの扱いとか、野生のパンダの扱いとかそういうんまで気になっちゃったし…………うーん、六十点で」
「あれ、意外と高くない?」
いつもあたしの話には三十点四十点とか付ける癖して。
「オカルトオチ嫌いじゃないし。努力は認める方向で」
「ふーん」
「よかったあ」
安心するように息をつくお嬢様を見、あたしは訊く。
「最初はどうするつもりだったの?」
たぶん、当初考えていた話よりあたしたちが茶々入れたせいで大分路線変更したと思うんだけど。
「パンダが肉食と草食に分かれたってことにして、そこから似たようなオチに持っていこうかと思っていました」
どっちにしてもって感じらしかった。
「じゃ、みんなはんてーい!」
雨梨は突如教室中に響く大声を上げた。そうして、さっきからトランプに興じていた男子共がこちらに顔を向け、駄弁っていた女子たちもスマホから顔を上げた。勉強グループも帰り支度をしつつ、こちらに近寄ってくる。ていうか、みんな聞こえてたんだね。
「え……? 白黒付けるの? パンダみたいに」
「やかましいわ。はい、じゃあみんなどっちか手ぇ挙げてね」
雨梨が言う。
「桜子がいいと思う人!」
ぽつぽつと男子と女子の手が挙がる。
「まあまあ」
「オチは微妙だけど」
「最初の勢いはね。認めざるを得ないよね」
「わたしは好きだな~」
続けて、
「吉川ちゃんがいいと思う人!」
ぽつぽつと男子と女子の手が挙がる。
「正直、雨梨と桜子のツッコミありきだけど」
「オチは微妙だけどね」
「パンダかわいいし」
「なし寄りのありで」
つまり?
あたしは雨梨に顔を向けた。
なんか一人二人気になる感想があったが、いちいち観客(?)の感想に噛み付いてたらキリがない。
雨梨は蓮っ葉に笑いながら判定を下す。
「ドローで」
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