第一話 イエティ。2

 ふたりは暫しぽかーんとなんとも言えない表情をしたあと、

「はあ」

「はあ」

 とだけ、声を揃えた。呑み込むのに時間が掛かっているようだ。

「イエティはですね。柔道部のお人なんですよ」

「いや……、丁寧に言い直されてもわかんないけど。お人って、人なの? イエティって未確認生命体って括りだけど、もっとこう動物みたいな感じだと思ってたんだけど……」

 振っといた癖して(振ったからこそ?)詳しい雨梨である。あたしは「ないない」と手を振って示した。

「違うよ。みんな勘違いしてる。アレは毛深くてむさい男達が白い柔道着を着用していることによって見せている幻想の一種だよ。こーんな高い雪山にそんな奴らがいるはずないって誰しもが思うでしょ? ね? そんな状況の際、脳が勝手に辻褄合わせをして、白いゴリラやずんぐりむっくりしてるけったいな動物を映し出すんだよ。よくよく近づいて見たら分かる。なんだよ、柔道着着た毛深いおっさんじゃんって」

「云わんとしていることは分かりますが……」

「言うほど分かる?」

「何故、雪山に柔道着を着用したむさいおっさんの群れが?」

 吉川のツッコミを無視して吉川さんが身を乗り出してきた。群れて。

「吉川さん。分かる? 柔道ってのがどういう場所で行われるのか」

「柔道と言ったら、広い、屋内の、体育館みたいな場所で……」

「違う。違う。足。足元だよ」

 自分の足元を指差す。

「あ……畳ですか!?」

「そう」

 ぱんっ、と柏手を打った吉川さんに我が意を得たりとばかりにあたしは指差す。

「いや。だからなんやねん」

 雨梨のツッコミが関西弁になった。

 あるよね。ツッコむときは自分が関西人でもないのに関西弁になっちゃうやつ。あたしはなんとなく恥ずかしいからやらんけど。

「ふ。ここまで言って分からない? 畳と言えば――」

「滑る!」

「そう!」

 再びの柏手&我が意を得たり指差し。続けてお互いぱちりと手合わせ。案外ノリがいいのだ、この子。つるんでて楽しい。吉川さんは驚きの眼でそのまま言葉を紡ぐ。

「そういうことですか。柔道とは畳の上で行うスポーツ。当然、畳の上は滑ります。足を取られることもあるでしょう。そんなときに」

「そんな時に彼らは雪山に登るのよ。どんな足場でも耐えられるように。敢えて。敢えて裸足で登るのよ。雪山を。雪の山を」

「あぶないなあ」

 雨梨が素直な感想を漏らした。若干しらけている雰囲気が漂っているが、あたしは自分の話に若干興奮してきた為、このまんま続けることにした。

「具体的に言えば八甲田山に」

「なんで八甲田山……」

「雪中行軍と言えば八甲田山でしょ」

「女子中学生の知識じゃないような……」

 あんたに言われたかないやい。

 インテリヤンキーめ。

「? しかし、どうしておっさんのイエティばかり? 若いイエティはいないのですか?」

「吉川ちゃん。その言い方だと雪山にいる柔道着の人、イコールでイエティみたいな感じになっちゃってるけどさ……いや、まあ、そういう話なのかな?」

「若いイエティもいるよ?」

 ツッコミというより、若干混乱している雨梨を無視して、あたしは吉川さんの質問に応えることにする。

「だけど彼らはそれこそ柔道の段位を上げたり、試合に挑んだりで忙しいからね。雪山行軍はなんていうのかな――その先にある修行っていうか。もうそういう段階はとうの昔に超えてしまったイエティが行う修行っていうのか」

「足を取られないためじゃなかったの?」

 無視。

「その、先にあるとは?」

「吉川さん。光の速度を超えたら人間どうなる?」

「人間の技術力じゃ一生持ってしても不可能だとされていますが」

「じゃなくって。超えたらどうなるかって訊いてんの」

「はあ。時間跳躍のことを仰っているのですか? 超光速航法だとか」

「そうそれ。つまりはそういうことね。遥か高みに至るために。不可能だと分かっていても彼らは挑まずにいられない。それが柔道部、雪の八甲田山行軍」

「そんな言うほど不可能?」

 無視。山舐めんなって話よ。

「はああ~。なるほど~」

 吉川さんは少し感心している。適当に始めて少しだけ繋がった感が出ただけでも良しとするべきか。いや、まだだ。オチを付けねば。

「でもすごいね。そんな高みに至ろうとしてる柔道の達人たちを引き分けとはいえ、バッタバッタ投げ飛ばしたわけでしょ。ていうかなんで勝負するはめになったの?」

 感心したような声を上げる吉川さんに尻目に雨梨は訊いた。

「あいつらのテリトリーに入ったんだろうね。怒ってた。さしづめあたしは道場破り? 道場じゃないけど。それとべつに投げ飛ばしたわけじゃないよ?」

「そんなことで怒るような人たちが高みに至れるなんて到底思えないけど……じゃあ何で勝負したの?」

 ふたりに視線を走らせ溜めを作ってからあたしは答えた。


「もち腕相撲だよ」


「……はあ」

「……はあ」

 微妙な反応だった。……あれ? 外した?

「女子の体格じゃあどうやったってかなわないでしょ? だからあたしが提案し、自分のテリトリーに持ち込んでね。バッタバッタと二十六戦繰り広げたってわけで。残念ながら三日目の夜にして食料が尽き、あたしは山を下りざるを得なかったんだけど――」

「吉川ちゃんはちなみにイエティに会ったことある?」

 雨梨がガン無視して被せてきた。

「……ありますよ?」

「うおーい無視ー! って、乗っかってくるんだ」

「あるんだ!?」

 ぶっちゃけ助かる。柔道部員なのに相撲で決着を付ける。それも何故か腕相撲で。女子一人に対し、むさいおっさんが集団でという構図にあたしはあたしなりに面白さを見出していたわけだけど、普通に滑った(そのまま柔道やるとか相撲やっちゃうって手もあるっちゃあるんだけど、男女の組み合いだと笑いの前にエロが連想されちゃうから正直そこは本意じゃない。だから腕相撲って意味合いもあったりする)。序盤インパクトがあっても、後半尻すぼみというのは、女子中学生が放課後に行う他愛もないふざけ話としても落第点だ。これじゃあ芸人にも噺家にもなれない(なるつもりはないが)。

 そこを友だちが引き継いで掬ってくれるとあっては感謝せざる得ないだろう。このお嬢が一体どんな話を繰り広げるのか。あたしの興味は既にそっちに移っている。

 お嬢はあたし同様、溜めに溜めてから言った。


「イエティは、パンダなんですよ」

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