第9話 戦争準備と三人の女の子
キッドは、ルルーをはじめとした紺の王国の幹部達を王の間に集めた。
紫の王国が戦争準備に入っていることをキッドは以前から掴んでおり、皆にも今日までにその旨は伝えてある。そのため、キッドによる緊急招集で、その話を聞くまでもなく彼らもその意味は理解していた。皆の顔には緊張の色が浮かんではいるものの、誰もがすでに覚悟を決めた眼差しをしている。
そんな戦う者の顔をした皆を見渡した後、ルルー王女の許可を得て、キッドが口を開く。
「紫の王国から兵が出ました。国境付近で通行人を襲う一団に紺の王国が関与しているため、というのが大義名分のようです。もちろん、でまかせですが、戦争に勝てば後で証拠はいくらでも用意できるでしょうから、今はそのことをどうこういっても意味がありません」
不条理な攻め入る理由だが、皆は何も言わない。黒の帝国が最初に覇を唱えて以降、各地でこのような争いは怒っている。平和な時代が終わったことを誰もが理解していた。
そのため、彼には紫の王国の戦争理由よりも、気になることがあった。それは、自分達が相手をせねばならない、その相手の戦力だ。
「相手の兵数はわかりますか?」
将校の一人が代表するかのように口を開いた。
キッドは皆にわかるようにうなずく。
キッドが持つ冒険者ネットワークは、冒険者による情報収集力だけでなく、魔法による光信号や、魔法で使役した鳥なども用いるため伝達速度にも
「兵数はおよそ900。内訳は、騎兵50、重装歩兵700、魔導士150と思われます」
「魔導士150!?」
戦いの覚悟を決めていた将校達だったが、相手の兵の数、その中でも特に魔導士の数に驚愕の声を上げた。
魔導士は戦争においては、遠距離高火力兵器ともいえる。その数が戦局を左右するというのは、もはや常識だ。
その魔導士を、大国と呼ばれる黒の帝国や白の聖王国、青の王国あたりならともかく、小国に毛の生えた程度の紫の王国において、150人も動員できるというのは、驚き以外の何物でもなかった。
「それに対して、こちらが迎撃に出せるのは、歩兵450、騎兵100、魔導士50の計600といったところです。単純な兵数で相手は1.5倍。魔導士一人で兵5人分の戦力と言われますので、それを踏まえれば、戦力的には800対1500。二倍近い戦力差ということになります」
絶望に近い戦力差に、皆は言葉を失い、その顔には悲壮感が漂い始める。
だが、その中でうつむいていない者が三人いた。キッドとルイセ、そしてルルーだった。
「キッド様、勝算は?」
そのルルーがしっかりと顔を上げたままキッドへと問う。
それはこの場にいる皆も聞きたいが、怖くて口に出せないことだった。
「俺達は勝ちますよ。そのために俺はここに来たんです」
キッドは敢えて軽い調子でそう答えた。まるで、何を当たり前のことを聞いているのかとでも言うかのように。
「皆さん、今の言葉を聞きましたね。我らが軍師が勝つと言ってくれました! この戦い、女神が微笑むのは私達にです! 各自、事前に伝えていた通り、至急出兵の準備にとりかかってください!」
大の男達よりも、まだ少女というべきルルーの方が凛とし、よほど大きく見えた。
そして、彼女の顔は、軍師と同様、自分達の勝利を少しも疑っていないようだった。
王女のその姿に、その場の男達は自らの焦りを恥じ、瞳に戦士の光を湛えて顔を上げる。
「はい!」
将校達は、力強く王女に応えると、戦争の準備のため、意気軒高たる顔でそれぞれの場所へと散っていった。
皆が去ってから、キッドはルルー王女へと顔を向ける。
「ルルー王女、ありがうこざいました。嘘でもあそこであなたが勝利を信じて疑わない姿を示してくれたおかげで、彼らもその気になってくれました」
事前に頼んでいたわけではない。不安がる将校達を前に、彼女ならきっと、そういう態度を見せてくれるとキッドは信じていた。
「嘘でもと言われるのは心外ですよ。私は本当にキッド様なら勝利に導いてくれると信じているんですから」
微笑むルルーの瞳は真剣そのものだった。嘘偽りがないことは、その目を見ただけで伝わってくる。
「そりゃどうも……。そう言われると、ますます勝つしかないですね。……まぁ、負けるつもりはありませんが!」
キッドもとびきりの笑顔で応えると、自身も
ルイセが静かにそれに続く。
その二人の背中に向けて、ルルーは静かにつぶやく。
「……頼みますよ。……さてと、私も準備しないとね」
◆ ◆ ◆ ◆
兵達をまとめるのは、各隊の部隊長に任せておけばよい。キッドにはほかにすべきことがあった。
王の間を出て、キッドはそのままその用に向かうつもりだったが、その前にルイセに背中から呼び止められる。
「キッドさん、いいですか」
「ん? 構わないが、手短に頼むな」
キッドが振り向いてルイセに目を向けると、彼女はいつになくシリアスで神妙な面持ちだった。
「……戦力差は大きいです。作戦は理解していますが、苦戦は免れないと思います」
「おいおい、一応軍師補佐なんだから、戦う前から弱気になるのはやめてほしいんだけどな」
キッドは少しおちゃらけたように肩をすくめてみせるが、ルイセの方はそれに反応せず、表情一つ変えてくれない。
「……この戦いを簡単に終わらせる方法が一つあります」
ルイセの様子から考えて、冗談を言っているようには見えなかった。キッドは静かに、彼女の次の言葉を待つ。
「相手の王が急死すれば、向こうの兵達はすぐに引くことになるでしょう。……キッドさん、あなたが紫の王国の王の暗殺を私に命じれば、この国の兵達を戦わせる必要もなくなります」
ルイセは能面のような表情で、淡々とそう告げた。
キッドにはわかる。ルイセのその言葉が、驕りから出た言葉ではなく、ましてや冗談などではないことが。
彼女なら、本当に紫の王国の王の暗殺をやってのけてしまうだろう。それは、暗殺者シャドウウィンドと実際に戦ったことのあるキッドが、誰よりも理解している。
しかし、キッドには、それと同時にもう一つわかっていることがあった。
暗殺を頼めば、彼女は必ず成し遂げる。けれども、彼女は二度と自分の元には戻ってこない。
何か理屈があるわけではない。ただ、直感的にそう確信していた。
だから、キッドの答えは決まっている。たとえ、この戦いに負けるとわかっていても、キッドの答えは一つしかない。
「ルイセ、俺が君にそんな命令をすることはない。今だけでなく、今後もだ。俺が仲間にしたのは、暗殺者シャドウウィンドじゃない。目の前の、ルイセという、少し斜に構えたところもあるけど、真面目で一生懸命な女の子なんだから」
ルイセの顔に、今日初めて感情の色が浮かんだ。驚きと照れが混じったような、何とも言えないような感情の色が。
それは、今まで見せたルイセの表情の中で、最も普通の女の子を思わせる顔だったかもしれない。
「……この人は、バカなのかなんなのか、わからない人ですね」
ルイセは少しうつむき、キッドに聞こえないくらいの小さな声でつぶやいた。
「ん? 何か言ったか?」
「……いえ、何も」
「それより、ルイセもしっかり準備してくれよな。今度の戦いは、ルイセの働きが何より重要になってくるんだから」
「……わかっています。望むだけの働きはしてみせますよ、キッド君」
そう言うと、ルイセは背を向けて、自分の向かうべき場所へと向かった。
「おう、頼むぞ」
見えていないとわかっていても、キッドはルイセの背中に向けて手を上げ、自分の期待の気持ちを示す。だが、ふいにキッドは首をかしげ眉をゆがませた。
「ん? あいつ、俺のこと君付けで呼んでたっけ?」
戦場では敵のわずかな戦意の変化にさえ敏感なキッドだが、元暗殺者ルイセの微妙な心の変化には気づいてはいなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
ルイセと別れたキッドが、向かうのはミュウの元だった。
ミュウはこの国にとって部外者なので、先ほどの王の間には呼んでいない。
彼女に状況を伝えるには、キッド自身が伝えるしかなかった。紺の王国の軍の情報といえど、軍師たるキッドが伝えるのならば、誰も咎めるものはいない。
だが、キッドがミュウの部屋に行くまでもなく、その途中にあるキッドの執務室の前で、扉に寄りかかり腕を組んだ姿でミュウは待っていた。
「ミュウ! ちょうど部屋に行こうと思ってたんだよ」
キッドを敢えて笑顔で、軽く手を上げてミュウに呼びかける。しかし、キッドに気づいて視線を向けてきたミュウの表情に笑みはなかった。
「紫の王国が動いたのね」
キッドが伝えるまでもなく、ミュウは状況を察していた。紺の王国と紫の王国との間の緊迫した状況は、ミュウの緑の公国も掴んでいたのだろう。そこにきての、城内のこの慌ただしさだ。頭のいいミュウなら、何が起こっているのか理解するなど容易なことだった。
「ああ。兵数は600対900といったところだ」
「……私は手を貸せないよ」
ミュウはどこか悔しそうだった。
「わかってるよ」
キッドの顔には、驚きも不満の色もない。
それはキッドも承知していることだった。
ミュウは緑の公国からの使者であり、紺の王国の人間ではない。もし、彼女が戦場に出て直接この
「騎士達に訓練をつけてくれただけでもミュウには感謝している」
実際、あの日以降も、ミュウは積極的に騎士達に訓練をつけてくれていた。むしろ、キッドよりも積極的に訓練場に顔を出し、剣技だけでなく、戦術的な動きに関してまで、いろいろと指導をしてくれたほどだ。
正直、騎士達も、キッドから教えられるよりも、ミュウから教えられる方が嬉しそうで、キッドとしては少しやるせない気持ちになっていたほどだ。
「……することもなかったから、それはいいのよ」
変わらずミュウはどこか不機嫌そうだった。
緑の公国に連れ戻しにきたはずのキッドが、一人戦地に向かうのに、自分がそばで守れない、そんな悔しさが彼女にはあった。
そしてまた、訓練をつける中で愛着を感じ始めていた騎士達の指揮を自分が取れないことにも無力さを感じる。自分が指揮をすれば、きっと損害を最小限に抑えられる、そんな事実とも言える自信がミュウにはあるだけになおさらだった。
「……変わってないな」
そんなミュウを見て、キッドは懐かしそうに微笑む。
彼女は人に戦わせて、自分は奥の安全なところで安穏としていることなどできない女の子だった。そのことはキッドが誰よりもよく知っている。
「……そうだ!」
ミュウの姿を見て、キッドはあることを思いついてしまった。
一度思い立てば、実行するのに迷いはない。キッドはミュウの腕を取ると、執務室の中へと引っ張り込んだ。
「ちょっと!? なに、急に!?」
慌てているが、ミュウはさしたる抵抗もなくキッドに連れられ、執務机の前まで引っ張られていく。
机の前には、紺の王国と紫の王国の地図が広げられていた。そこには、予想侵攻ルート、それに対する迎撃ルート、そしてそれに対応した補給路も詳しく書き込まれている。
「ミュウ、今から俺の戦略とそれに必要な補給について説明する。しっかり頭に叩き込んでくれ」
「え!? いきなり何を言いだすのよ! 私は紺の王国にとって部外者だよ!?」
「大丈夫、城の中にいれば何かしてたって、よそにはわからないから」
「それはそうかもしれないけど……」
「ミュウにはこの城で、補給線維持の指揮をとってほしいんだ」
「はぁ!?」
元々大きな目をさらに見開いて、ミュウが驚きの声を上げるのも当然だった。
補給線確保など、戦争において最も重要な部分の一つだ。それを、他国の人間に任せるなど常識的に考えてあり得ない。そもそも、こんな地図を広げて作戦を教えること自体、情報漏洩とも言えた。
「俺もルイセも戦場に出るから、補給に関する問題が最大の懸念事項だったんだが、ミュウに任せられるのなら何の心配もない!」
あり得ない頼み事だったが、自分が尊敬する相手からここまで信頼を向けられて、嬉しく思わないはずがなかった。抑えようとしても、ミュウの顔には、嬉しげな表情が浮かんできてしまう。
「どうして私が……」
言葉ではそういいながら、その口調に不満げな音色は見られない。それどころか、彼女の青い瞳は、目の前の地図をなぞり、地形や書かれた情報を頭に叩き込んでいく。
「……城にある物資の一覧とかはないの? あと、補給に使える兵の数とかわかるものも」
「これに全部まとめてある」
「さすがね……」
キッドが差し出した紙を受け取ると、ミュウはその情報を踏まえて、すでに頭の中でシミュレーションを始めていた。
口ではなんのかんの言いながら、ミュウは、たとえ所属する国は違っても、キッドにとって誰より頼れる女の子だった。
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