第8話 三種類の魔法と王女

「どうぞ」


 キッドは、淹れたての紅茶をルルーの前のテーブルに置くと、自分のに戻り、自らのカップに口をつけた。


「ありがとうございます。……もしかして、邪魔しちゃってますか?」


 ルルーはカップを手に取り、少し不安げな表情でキッドの顔をうかがう。まるで巣穴から顔を覗かせる子リスのようで、その仕草にはどこか愛らしさが漂っていた。


「ちょうど休憩しようとしていたところですよ。ルルー王女こそ、こんなところで時間を潰していて大丈夫ですか?」


「私も、何か役に立てるようにと思って、キッド様に魔法を教えてもらおうかと……なんちゃって」


 自分で言って恥ずかしくなったのか、ルルーは紅茶のカップを持ち上げ、顔を隠すようにして一口飲んだ。


「魔法に興味があるんですか? 霊子魔法はともかくとして、元素魔法ならルルー王女にも使えるかもしれませんが……」


「霊子魔法? 元素魔法?」


 初めて耳にする言葉に、ルルーは空になったカップを手にしたまま、首をかしげた。


「あ、そうですよね。魔導士でもなければ、魔法の種類なんて知りませんよね」


「魔法って、いろいろな種類があるんですか?」


「ええ、そうですね。……興味あります?」


 キッドは、自分が山にこもっていたここ数年、まともに魔法について話す機会がなかったことを思い出した。もともと魔法オタクの傾向があるキッドにとって、こうして魔法の話をするのは嫌いではない。


「はい。キッド様が使う魔法なら知りたいです」


 ルルーの言葉に、キッドは嬉しそうに微笑む。


「では、ルルー君に、キッド先生が簡単に説明してあげようじゃないか」


「よろしくお願いします、キッド先生」


 ルルーは、君付けにも気を悪くすることなく、むしろ嬉しそうに微笑みながら、カップを机に置くと、生徒のように手を膝の上に置き、背筋を伸ばしてキッドを見つめた。その姿が可愛らしく、キッドは顔がほころびそうになるのをぐっと堪え、真剣な表情を保ちながら話し始めた。


「ルルー君は、火・風・水・地の四大元素について知っているかな?」


「はい。世界は火・風・水・地の四つの元素で構成されているという昔の考え方ですよね?」


「そうだ。今ではその考え方は否定されているが、自然が人間の力の及ばない大いなる力であることは事実。そして、火・風・水・地がその自然の中でも、特に力の強い要素であることも間違いない。そこで、昔の魔導士達はその力を利用する方法を探求し、結果として生まれたのが元素魔法。いわば、最初の魔法だ」


「その魔法を使えば、火を出したり、風を吹かせたりできるのですか?」


「そうだね。しかし、元素魔法には制約があるんだ。元素の力を利用するため、それらの元素がない場所では魔法を使うことができない。たとえば、火の魔法を使うには、たき火のような燃えている火が必要だし、風の魔法を使うには風が吹いている場所が必要だ。つまり、屋内では風の魔法は使えない、といった具合にね」


「……それは、なかなか不便ですね。たき火があれば火の玉だって作れるのに、火がない場所では、たき火を起こすための火種さえ作れないってことですよね?」


 ルルーの鋭い質問に、キッドは満足げに大きくうなずいた。


「さすがルルー君、理解が早いね。元素魔法は少ない魔力で行使できるという利点はあるものの、威力はさほど高くはないし、何より汎用性に欠けている。ちょっと便利な力としては使えるが、不確定要素が多すぎて、戦術的には使いにくい。そこで、次に魔導士が目をつけたのが、あらゆる物質に含まれる希少元素、マナだ」


「マナですか?」


 またもや知らない言葉に、ルルーは細い眉根を寄せた。


「そうだ。この世のあらゆる物質には、マナという元素が少しずつ含まれているんだ。魔導士達は、四大元素の代わりにこのマナを使う方法を編み出した。ただし、このマナは、四大元素ほど簡単に使うことができない。マナを使うためには、高度な呪文や、それをマナに伝える媒介としての魔法杖が必要になる。しかし、マナはあらゆる物質の中に存在しているので、場所や条件に縛られずに魔法を使えるという大きな利点があったんだ。そして、このマナ魔法が広まったことで、元素魔法は次第に廃れていき、今では元素魔法を使う魔導士はほとんどいない」


「なるほど。それはそうですよね、マナ魔法があれば、わざわざ不便な元素魔法を使う理由はないでしょうし。……あれ? でも、キッド先生が魔法を使う時って、杖は使ってないし、長い呪文も唱えてないですよね?」


 ルルーはキッドが魔法を使う姿を思い出し、首をかしげた。

 その様子が小動物のようで、キッドは失礼とは思いつつ、微笑ましく思ってしまう。


「その通り。私はマナ魔法なんて使ってないからね。それどころか、今の魔導士でマナ魔法を使っている者なんていないんだ」


「え? どうしてですか?」


「マナ魔法は確かに便利だった。使えるようになるには高度な学習が必要だったが、覚えてしまえば、誰でも少ない魔力で、どこででも魔法が使えたわけだからね。だけど、便利すぎたんだ。多くの魔導士が好き勝手にマナを消費し続けた結果、マナは消費し尽くされ、今ではもうマナ魔法を使ってもほとんど効果が現れなくなってしまった」


 キッドの語りは穏やかだったが、その言葉には重みがあった。ルルーは眉をひそめ、何かを考え込んだように目を伏せた。


「それはなんというか……為政者として身につまされる話ですね」


 彼女の声には微かな悲しみが滲んでいた。狩り尽くして絶滅した動物、切り過ぎて荒れ果てた山林――王女として、ルルーはそうした取り返しのつかない過ちをいくつも見聞きしていた。

 キッドはそんな彼女をじっと見つめ、優しく微笑む。


「王族としてそういう反応ができる時点で、ルルー君は立派だと思うよ。この話を聞いても、他人事、あるいは昔の人間のバカな話としてしか捉えない貴族も少ないないからね」


「そうなんですか……。でも、そうすると、キッド先生は今、何の魔法を使っているんですか?」


 ルルーは素直な疑問をぶつけた。元素魔法でも、マナ魔法でもないことは彼女にもわかった。では、どんな魔法を使っているのかと首を傾げる。

 キッドはそんな彼女を嬉しそうに見つめ、口を開く。


「それが次の話だよ。マナを使い果たした魔導士達は考えたんだ。どこにでもあって、しかも使っても減らない、あるいは使ってもまた新しく湧いてくるような魔力の源となるものがないかと」


「そんな夢みたいなものがあるんですか?」


 ルルーの疑問は当然のものだった。彼女の大きな瞳には、興味と疑問が交錯している。

 キッドはその反応を予想していたかのように、穏やかに笑みを浮かべた。


「少なくとも、魔法を使おうとした時に、必ずその場にあるものが一つだけあるんだ。ルルー君、わかるかな?」


「え? そうですね……。太陽は昼しか昇っていませんし、空も雲に覆われることがあるし、そもそも建物の中では空は見えないですし……むむむ」


 ルルーは額に手を当て、真剣に考え込み始めた。

 熱心な生徒が悩んでいる可愛らしい姿を見ると、自分から問題を出していながら、先生としてはついつい助け舟を出したくなってくる。


「世界のどこにでもあるものを探す必要はないんだよ。魔導士が魔法を使う時に、必ずそこにあるものを考えて」


「魔導士が魔法を使う時に必ずそこにあるものですか? ……あっ」


 突然、何かを閃いたようにルルーは顔を上げ、キッドをまっすぐに見つめた。その瞳には、答えをみつけた確信が宿っていた。


「気づいたようだね」


「はい。魔法を使う時、必ず魔導士自身はその場にいる……そういうことですね?」


 キッドは満足げにうなずいた。


「正解だ。どんな時でも、どんな場所でも、魔導士自身だけは必ずそこに存在している。だから、魔導士達は考えたんだ。人間が生きている限り、常に生み出され続ける力が何かないかと……そして、見つけたんだ。霊子という力を」


「霊子ですか?」


 ルルーは新たな言葉に疑問を抱きながら、興味深そうにキッドを見つめる。彼はその視線を受け止め、説明を続けた。


「人間の想像力は、無から有を生み出す。想像の力は、世界にそれまでなかったものさえ、思い描き、頭の中に作り出すことができる。そこには、とてつもない力があるのではないか、そう考えた一人の魔導士が見つけたんだ。人が想像するとき、思考するとき、感情を動かすとき、人の心から溢れ出す霊子という力を。そして、その魔導士は、その霊子の力を、マナの代わりに使う方法にも気づいた。それが霊子魔法の始まりだ」


「マナの代わりに……すごいですね」


 ルルーはその話に感嘆し、少し夢見るようにつぶやいた。

 キッドは頷きながら、続ける。


「ああ。霊子魔法は、マナ魔法でできることのほとんどが再現できるんだ。しかも、杖も呪文も使わずに」


「それって、まるで奇跡のような力ですね」


「ただし、問題もあるんだ。霊子は心の力。使えば使うだけ、心、つまり精神力を消耗する。使い過ぎても命を落とすようなことはないが、疲労は蓄積し、やがて気を失ってしまう。消費の激しさ、それが霊子魔法の最大の問題点なんだ。また、霊子の量には個人差があるため、術者によって威力が大きく変わるという課題もある」


 そうは言いながら、霊子の量とその使い方において、キッドは世界有数の実力を自負していた。その才で、キッドは、世界でいまだキッドしか使えない魔法さえ生み出している。

 想像力が無限のように、霊子魔法は無限に近い可能性を秘めているのだ。


「なるほど……。でも、だとすると、私にもその霊子があれば、魔法を使えるってことですか?」


「ルルー王女にも霊子はあるんだ。というか、人間なら誰もが霊子を持っているというか、生み出している。もちろん、人によって霊子量の多寡はあるけどね」


「じゃあ、私も魔法が使えるんですね!」


 ルルーの瞳は、期待に満ちて輝いていた。その無垢な目でキッドを見つめ、魔法の可能性に胸を膨らませている。しかし、キッドはその期待を裏切るように、静かに首を横に振った。


「残念ながら、霊子は誰もが持っているものの、誰もが魔力として使えるわけではないんだ。霊子による魔法は、マナ魔法のように決められた呪文を唱え、正しい動作を行えば使えるというわけじゃない。センスがある者なら、他者の霊子魔法を見るだけでその方法を感覚的に掴んでしまうが、言葉で説明できるようなものではないんだ。だから、もし俺が魔法を使うのを見て、それをイメージしてみても何も起こらないようなら……残念ながら、霊子魔法のセンスがなく、魔法を使えないということになる」


「む……」


 さっきまで目を輝かせたルルーが、今や頬を膨らませながら唇を尖らせていた。その姿は王女として不相応かもしれないが、年頃の女の子として見れば、自然なものだった。加えて、これほど怖くはなく、むしろいとおしいとさえ思える怒った顔はなかなかないだろう。


「なんだかずるいです!」


「そんなことを言われても……」


 キッドは困ったように頭をかくが、拗ねたようなルルーの表情は変わらない。

 彼は苦笑いを浮かべながら、ルルーの大きな瞳と視線を合わせた。


「そんなに魔法が使いたいですか? それなら、ルルー王女が魔法の力を必要とする時、いつでも俺があなたの代わりに使います」


 先生から軍師へと戻ったキッドの真摯な言葉に、ルルーは思わず息を呑む。

 彼の瞳には揺るぎない信頼と優しさが宿っていた。


「ですので、ルルー王女には、王女としてあなたにしかできないことをしていただきたい。あなたには、俺にもできない多くのことができるはずです。そして、あなたならきっと世界を変えられる……俺はそう信じています」


 その言葉を聞いたルルーは、一度深く瞳を閉じ、思考を巡らせる。そして、静かに居住まいをただし、凛とした姿勢でキッドに向き直る。その姿からは、彼女の中に宿る覚悟と決意が感じられた。


「……はい。キッド様のおっしゃる通りです。今回は、よい勉強をさせていただきました。そろそろ、政務に戻りますね」


 ルルーは静かに立ち上がった。その姿に、魔法に対する未練のようなものは感じられない。


「私は王女をやります……。ですが、もし私が道を違えそうになったときは、キッド様、その時は正しい方向に導いてくださいね」


 その言葉には、さきほどまでの少女の無邪気さはもう見当たらなかった。ルルーの瞳には、王女としての誇りと覚悟が深く宿っていた。

 キッドはその意志に応えるように、力強くうなずく。


「……はい。私に出来る限りのことをして、あなたを立派な王にしてみせます」


 ルルーは微笑むと、出口の扉へと向きを変えた。


「頼みましたよ……私の軍師様」


 彼女が去り際に残したその言葉は、小さく、キッドの耳にはほとんど届かなかったが、その信頼は確かに伝わっていた。

 ルルーが去った後、キッドはしばらくの間、名残惜しげに扉を見つめ、決意を新たにする。


「さあ、気合いを入れなおすか!」


 キッドは机に広げた地図に再び向かい合い、策略を練り始めた。


 それから十日後、紫の王国の軍が、紺の王国に向けて出兵したという情報が、冒険者ネットワークを通じてキッドの元へと届いた。

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