第7話 騎士達の訓練

 ミュウの来訪の翌日。キッドは今日も訓練場に立ち、騎士たちに指導を行っていた。軍隊としての統制、互いの連携、指示が下された際の迅速な行動――これらを徹底的に叩き込む姿は、もはや訓練場の日常風景となっていた。しかし、その光景には昨日までにはなかった違和感があった。


 訓練場の一角。そこには、王国の紺色の軍服とは異なる、白地に緑の意匠が施された軍部を身に纏った一人の女性がいた。緑の公国の使者、ミュウ。その姿が、騎士たちの動きを微妙に硬直させていた。


 キッドは、彼女と顔を合わせるたびに、「国に戻れ」と言われるのではないかと密かに身構えていた。だが、意外にもミュウはそれを口にしなかった。あのやり取り以降、一度も彼に帰還を促す言葉を発していない。

 それでも、ミュウはほかにすることもないのか、まるで影のようにキッドの後をついて回った。何を考えているのかわからない表情で、ただ彼の行動を見守る。その視線が気にならないわけではなかったが、戦場を生き抜いてきたキッドにとって、些細なことに気を取られるのは致命的なミスに繋がる。彼は意識の端でミュウの存在を認識しながらも、騎士たちの訓練に集中していた。


 しかし、騎士たちの様子は全く違っていた。

 緑の公国の三英雄、その名は紺の王国にも轟いている。特にミュウは、戦場を誰よりも速く駆け、誰よりも鋭く剣を振るう女騎士として知られていた。まるで御伽噺のヒロインのような存在が、今まさに自分たちの訓練を見つめているのだ。

 結果として、騎士たちはいつも以上に動きがぎこちなく、硬直していた。


「困ったもんだな、これは……」


 キッドは呆れたようにため息をついた。

 戦場に出れば、ミュウのような名高い戦士と対峙することも珍しくない。特に黒の帝国との戦争にでもなれば、帝国四天王と呼ばれる猛者たちと刃を交える可能性もある。その時、相手の名声に気圧され、まともに動けなくなるようでは話にならない。

 そんな困り顔のキッドのもとへ、ふと足音が近づいてきた。


「ねぇ、キッド」


 澄んだ声に振り向くと、ミュウがキッドの方へ歩み寄ってくる。


「ミュウ、今は訓練中だ。話があるなら後に――」

「どうして魔導士のキッドが、騎士団の訓練指導をしているの?」


 それはミュウにとって、実に素朴な疑問だった。緑の公国では、キッドが戦場で騎士団を指揮することはあっても、騎士たちに直接鍛錬をつける光景など見たことがなかった。

 そのため、この光景は彼女にとって異質に映ったのだ。


「……ほかに人がいないんだからしょうがないだろ。それに、軍隊としての動きや戦術なら、俺でも問題なく教えられる」


 キッドは肩をすくめながら答えた。

 ルイセも腕は立つが、彼女は元暗殺者。対人戦には秀でているものの、軍隊としての組織的な動きに関しては、さすがに指導できるほどではないだろう。そう考えると、紺の王国で騎士団に部隊としての高度な動きを教えられるのは、キッドしかいなかった。


「それはわかるけど、剣術についてはどうするの? さっきから見てれば、組織的な動きの指導ばかりで、個々の剣技については完全に放置じゃない」


 ミュウに指摘されるまでもなく、その点はキッド自身が一番よくわかっていた。剣技については、キッド自身が教えるほどの技量を持ち合わせていない。そのため、騎士たちの技量向上に関しては、半ば諦めざるを得なかったのが実情だった。

 ルイセも戦士としては優れているが、彼女の武器は短めの双剣だ。騎士たちが使用する長剣とは技術が異なり、彼女に指導を任せるのはあまり効率的とはいえない。それならば、その分を魔導士たちの指導に充てるほうがよほど効率的だった。


「しょうがないだろ、時間も限られているし、そもそも剣術を教えられる人間がいないんだから。それとも、ミュウが騎士たちに指導してくれるのか?」

「何言ってるのよ。どうして私が、他国の騎士に指導しなくちゃいけないのよ」


 ミュウの反応は至極当然だった。緑の公国と紺の王国の関係は中立的であり、場合によってはキッドの身柄問題によって、両国の関係は悪化する恐れさえあった。ミュウが紺の王国騎士たちに剣術を教える義理はまったくないのだ。

 しかし、キッドの言葉を受けて、騎士たちの方は目を輝かせていた。


「あのミュウ殿が剣の指導をしてくださるのですか!?」

「ぜひとも、その腕前を拝見したい!」


 期待に満ちた声があちこちから上がり、兵は食い入るようにミュウを見つめる。


「ちょっと待ってよ!? 勝手に変な期待しないでくれるかな! 他国の騎士にわざわざ剣を教えるバカがどこにいるっていうのよ! あなたたちだって、紺の王国の騎士としてのプライドってものがあるでしょ!?」


 ミュウは呆れたように言い放ったが、騎士たちはますます熱を帯びた眼差しを向けるばかりだった。


「緑の公国の三英雄の剣技をぜひ見せてください!」

「公国の戦乙女と称されるミュウ殿の剣さばき、どうしても拝見したいのです!」

「あなたの剣を目にすることができれば、騎士としてこの上ない幸せです!」


 次々と声を上げる騎士たちの熱意に、ミュウは思わずたじろいだ。まるで憧れの英雄に出会った少年のような純粋な眼差しに、彼女の頬がわずかに紅潮する。


「……まあ、そこまで言うのなら、一度くらいは」


 観念したようにつぶやきながら、ミュウは腰に提げた愛剣を抜き、流れるような動作で構えた。

 その瞬間、ざわめいていた騎士たちの声がぴたりと止む。まるで凪いだ湖面のように、静寂が辺りを包んだ。

 ミュウは深く息を吸い、静かに剣を振るった。ただ一閃。風すら斬ることなく、剣は大気と一体となるように流麗な奇跡を描いた。

 それだけだった。

 だが、騎士たちはその場に立ち尽くした。息を呑み、ただミュウの剣を見つめる。

 剣と人が一体となった究極の動き。

 剣を振るうとは、こういうことなのか――。

 その場にいた誰もが、無駄のない動作の中に秘められた膨大な鍛錬と、積み重ねられた技の結晶を見た。これまで自らが磨いてきた剣技が、どれほど無駄の多いものだったのかを痛感し、己の未熟さを思い知らされる。


 一人の騎士が、そのイメージを追うように剣を振った。

 だが、何かが違う。自分の剣はどこかぎこちなく、あの流れるような美しさとは程遠い。何度も繰り返すが、その違いを埋めることはできない。


「腰の使い方がダメだね。それに、腕に力を入れ過ぎてる。剣を腕で振るイメージは捨てること」


 その騎士に、声をかけたのはミュウだった。


「腰をもう少し落として、剣先から足の先まで、一つの剣だと思って振ってみて」


 まさか公国の戦乙女から直接助言をもらえると思っていなかった騎士は、一瞬、呆けたように立ち尽くした。しかし、ミュウの真剣な眼差しが自分に向けられていることに気づくと、驚きを飲み込み、ゆっくりと剣を握り直す。


「……こうでしょうか?」


 騎士は深く息を吸い込み、ミュウの言葉を反芻しながら剣を振るった。

 それでも理想とするミュウの剣には遠く及ばない。だが、それでも先ほどよりもずっと鋭く、流れるような動きになっているのを自分でも感じた。


「おっ! 今の動き、すごく良くなったじゃない!」

「あ、ありがとうございます!」


 憧れの女騎士に褒められて、騎士の頬がわずかに紅潮する。嬉しさと興奮を抑えきれず、彼らはさらに剣を振るい始めた。その様子を見ていた周囲の騎士たちの心にも、同じ熱が灯る。


「私の剣も見てください!」

「自分もお願いします!」

「私も!」


 ミュウの前で次々に剣を振り始めていく騎士たち。彼らの熱意が広がる様子に、ミュウは「仕方ないなぁ」といった顔をするが、その目は嬉しそうに笑っていた。


「あー、わかった、わかったから! みんな、ちゃんと並んで、お互いにしっかり距離を取って振ること!」

「はい!」


 見る間に、整列して剣を振る騎士たちと、それを一人一人チェックしながら指導するミュウという構図ができあがっていた。彼女の真剣な表情には、先ほどまでの拒否感はもはや微塵もない。

 その光景を少し離れて見ていたキッドは、ふっと笑みをこぼす。


「さっきまで『他国の騎士にわざわざ剣を教えるバカがどこにいるっていうのよ』とか言っていた人間とは、とても思えないな」


 呆れたような口調ではあったが、そこに揶揄の色はない。むしろ、どこか微笑ましさと頼もしさを感じていた。


「なんだかんだ言って、世話焼きなんだよな」


 キッドは肩をすくめると、騎士たちの訓練をすっかりミュウに任せ、魔導士訓練場へと向かった。




「おっ、やってるな」


 キッドが訓練場に足を踏み入れると、そこではルイセの指導のもと、騎乗しながらの魔法戦闘訓練が行われていた。かつては頼りなかった彼らの動きも、今では随分と洗練されたものになっている。まだ若干の不安定さは見受けられるものの、以前に比べれば驚くほどの成長ぶりだった。


「これなら実戦でも使えそうだけど、あと直すとすれば――」


 ある魔導士の動きに気づき、助言しようと足を踏み出す。しかし、それより早く、ルイセが静かにその魔導士へと歩み寄り、短く何かを伝えた。

 魔導士はうなずくと、再び騎乗し、指示を受けた箇所を意識しながら魔法を放つ。その結果は――見事な修正だった。

 キッドは感心したように目を細める。ルイセが長々と説明していたわけではない。だが、その簡潔な指摘が核心を突いていたのだろう。


「……もしかして、俺よりも指導のセンスがあるんじゃないか?」


 思わずそんな言葉がこぼれる。

 訓練は順調に進み、無理に口を挟む必要もなさそうだった。キッドは軽く息を吐くと、静かにその場を離れる。


「……もしかして、俺って用無し?」


 つぶやいた言葉は、春の風に流されて消えた。

 キッドは少し寂しそうに背中を丸めて、自分のために用意された軍師の執務室へと向かった。

 軍師の役割を与えられてはいるが、実際のところ、騎士や魔導士の訓練に多くの時間を割いてきた。そのせいで、肝心の執務室にはほとんど足を運んでいなかった。しかし、彼のやるべきことは山積みであった。


「せっかく時間ができたんだ。補給路の確保について考えをまとめておくか」


 扉を押し開け、久々に軍師である自分の執務室へ足を踏み入れる。真新しい木の机の上には、各地から集められた地図や報告書が広げられていた。キッドは椅子に腰を下ろし、地図の一点を指でなぞる。

 戦いにおいて、兵力と同じかそれ以上に重要なのは、安定した補給線の確保だった。どれほど精強な軍勢を抱えていても、補給が途絶えれば戦は継続できない。勝利のためには、戦場の剣だけでなく、影で支える策が必要になる。

 だが、限られた時間の中で、自ら現地へ赴いて地形やルートを確認する余裕はない。

 そこで彼が活用したのが、かつての冒険者時代に築いた独自の情報網だった。傭兵や交易商人、旅人たち――さまざまな立場の者と築き上げたギブアンドテイクの関係を利用し、彼らの足と目を借りることで、多方面から生きた情報を集めていた。


「ふむ……こことここは、先日報告を受けた危険地帯か」


 手元の報告書と照らし合わせながら、キッドは慎重に地図へと情報を落としこんでいく。無駄のない補給線を構築するためには、細かな調整が必要だ。


 トントントン


 集中していたキッドの耳に、軽やかなノックの音が届いた。


「はい、どうぞ」


 返事をすると扉が開き、その隙間から、二本のおさげを揺らしながら可愛いらしい少女の顔が覗いた。

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