第10話 出陣

 キッドの指示により、近い時期での紫の王国の侵攻を予期して備えていたため、紺の王国軍の出兵準備は早かった。

 数時間で兵達は戦支度を整え、王宮内の広場に集合を始めている。

 軍師用執務室でミュウへの補給に関するレクチャーを終えたキッドは、自室で軍服の上に軽めのボディアーマーを身に着けた。

 霊子魔法では、マナ魔法のように呪文や特定の動きを必要としないため、魔導士も騎士のような重武装をすることができる。しかし、動きやすさや魔導士の戦い方を考えると、重武装よりもこのような軽装備の方が有効であり、キッドもそうしていた。

 キッドが自室を出ると、ルイセが待ち構えるように廊下に立っていた。


「キッド君、魔導士達を始め、騎士達も皆準備完了です。すでに広場に整列しています」


 報告をするルイセも、キッドと同様、軍服の上にボディアーマーを身に着けていた。そして、その腰には二本の双剣を下げている。

 その双剣には見覚えがあった。かつて命の危機を何度も感じた、シャドウウィンドの使用していた、独特の形状の白と黒の二本の剣だ。

 その剣を持ち出してきたことから、彼女が真剣の真剣さが伝わってくる。


「報告、ありがとう。……魔導士隊はルイセに率いてもらうことになる、そっちもよろしく頼む」


「ええ、わかってますよ」


 ルイセのうなずきを受け、二人は広間へ向けて歩き出す。

 しばらくして、二人の前にミュウが姿を現した。

 戦場に出ないミュウは、武装をしていない。いつまでも外交用の服を着ているわけにもいかないので、今は紺の王国の軍服を借りて、それを身に着けている。


「それじゃあ、ミュウ、ちょっと行ってくるよ。後はよろしくな」


 散歩に出も出かける気軽さだったが、二人の関係にはそれで十分なことは、二人が一番よくわかっている。


「補給に関しては任されてあげるから全力でやってきてよね」


 ミュウの顔にも悲壮感はなかった。

 そのミュウが、キッドの隣のルイセに視線を向ける。二人は何度か顔を合わせているものの、騎士と魔導士、指導する相手が違うため、これまでまともに会話したことはなかった。


「ルイセさんだっけ、キッドのこと、よろしくお願いするね」


「はい。この身に代えて」


「おおげさね」


 ミュウはルイセの顔に向けていた視線を下げていき、腰に提げられた二振りの剣で目を止める。


「……あれ? その双剣って……」


 ミュウは再び視線を上げ、まじまじとルイセの顔を見つめる。


「――――!! その顔、そしてその双剣! あなた、シャドウウィンド!」


 今まで、ルイセの顔を見ていながら、気づいていなかったのに、かつてキッドと共に相対した暗殺者の武器を見て思い出すあたりがミュウらしかった。


「……なんのことですか? 私はただのルイセですが?」


「あなた、そんなことでごまかせると思ってるの!? その剣、実際に戦った私が忘れるわけないじゃない!」


 ルイセは顔色一つ変えず、とぼけて見せるが、さすがに無理があった。

 ミュウはキッと睨むような視線を、キッドの方に向ける。


「キッド、どうしてシャドウウィンドがこんなところで、軍師補佐なんてやってるのよ!」


「それがまぁ……食堂でウェイトレスしているとこをたまたま見つけてな、スカウトしたんだ」


「そんなわけないでしょ! 私にも正直に話す気はないってこと?」


 怒ったようなミュウの顔が、キッドに迫ってくるが、何一つ嘘を言っていないだけに、キッドは心底心外だと言いたげな顔を浮かべる。


「本当なんだけどなぁ……。でも、少なくとも腕は確かだぞ」


「腕が確かなのは、私もイヤというほど知ってるわよ。……まぁ、誰かを狙ってるわけじゃないみたいだし、これから戦争なんだから、いまさらここでどうこう言うつもりはないけど……」


 そうやって割り切ってくれるミュウのことを、キッドは本当にありがたく、そして良いパートナーだと思う。

 一方、ミュウの方は再びルイセへと顔を向けた。


「ルイセさん、あなたとはほとんど話もしていないから、あなたがどういう人なのか、そして、信じられる人なのか、私はまだよくわからない。でも、あなたの腕が信用に足るものだってことは、私自身が一番わかってる。……キッドのこと、よろしくお願いします」


 ミュウは深々と頭を下げた。誇り高き騎士が、かつて命のやりとりをしたこともある暗殺者に向かって。

 その姿に、ルイセは思わず息を呑む。


「……私もまだあなたのことをよく知りません。……ですが、これだけは、もう一度言っておきます。キッド君はこの身に代えても守ります。それだけは約束します」


 静かだが、確かな想いのこもったルイセの言葉を聞き、ミュウは顔を上げ、右手を差し出した。

 それを見て、ルイセも右手を差し出し、二人は固く握り合う。

 二人はそれ以上何も語らなかった。だが、二人の交し合った視線は、言葉以上に何かを語り合っているようにキッドには見えた。

 やがて、どちらからともなく手を離す。


「じゃあ、私はキッドの執務室に戻るね。……あの部屋、キッドがいない間、使わせてもらっていいんだよね?」


「もちろん。補給に関しては任せた。城に残す者にも、ミュウの指示に従うように言い含めてあるから、好きに使ってくれ」


「そうさせてもらうね」


 手をヒラヒラさせながら、ミュウは軍師用執務室へと向かって歩いていった。


「ルイセ、俺は王の間に行ってルルー王女に声をかけてくる。広間には、先に行っててくれるか」


「ええ、わかりました」


 ルイセもキッドから離れ、足早に広間へと向かった。


「さてと、ルルー王女に挨拶してくるとするか。しばらく会えなくなるが、まぁ、この城にはミュウが残ってくれるんだ、そんなに心配する必要もないかもな」


 この戦い、キッドに負けるつもりはない。だが、想定外のことが起こるのが戦場の常だ。最悪のケースはいくらでも想定される。そんな時、緑の公国の人間とはいえ、この城にミュウがいてくれるのは心強かった。彼女なら、どんな状況になっても、ルルー王女の身を守って逃げ延びてくれると信じられる。

 ルルーとの最後の挨拶にするつもりはない。それでもしばしの別れとなるのは間違いない。その挨拶をしようと、キッドは王の間に向かった――だが、そこはもぬけの殻だった。


「あれ? 兵達を見送るため、あるいは激励するために広場に向かったのかな?」


 キッドはこれ以上ルルーを探すのを諦め、仕方なく兵達の待つ広場へと向かった。


◆ ◆ ◆ ◆


 広場へと続く王城内の通路へとキッドはやって来たが、そこにも王女の姿はなかった。


「我が姫様はどこに行かれたのやら……」


 キッドは通路の陰から広場の兵達を覗き見る。

 王宮内の広場には武装した騎士や魔導士達がすでに集まっていた。ルルーの姿はやはりそこにもなかったが、魔導士達の先頭にはルイセの姿があった。

 ルイセを除けば、この国の兵達にとって、実戦らしい実戦はこれが初めてだ。短期間ではあったが実のある訓練で、彼らの腕が確実に上達していることは、彼ら自身も実感しており、それは自信にも繋がっていることは間違いない。だが、それでも訓練ではない、本物の戦いに挑む緊張感からか、皆の顔は固かった。


「無理もないか……」


 兵達の姿に、キッドは少し困惑気味に独りごちる。

 いざ戦いが始まってしまえば、緊張している余裕もなくなり、彼らの固さも取れるだろう。しかし、戦場では、その緊張が解ける前に命を落とすことも珍しくない。緊張は、人から冷静な判断を奪う上、訓練でできていた動きの半分すらできなくする。本来の力も出せぬまま、戦場の塵となった兵の数など、歴史の中では枚挙にいとまがない。

 戦場で敵と相対するまでに、彼らの緊張をどれだけ解きほぐせるのか、キッドにとってはそれが、ルルーを探すことよりも重要な目下の課題だった。


「なんとかするしかないよな」


 自分に言い聞かせ、キッドも兵達の元へ歩き出そうとしたところで、その背中に声がかけられた。


「キッド様!」


 鈴を転がすようなその声は、ルルー王女の声だ。もはや聞き馴染みのある声となったが、何度聞いても心が落ち着くような気がする。

 ようやく別れの挨拶ができると振り返り、予想していなかったルルーの姿にキッドは固まる。


「……ルルー王女、その恰好は……何ですか?」


「似合いませんか?」


 ルルーは、紺の王国を象徴する色である紺色の縁取りをした、白く輝く鎧に身を包んでいた。キッドがかつて戦場で目にしたミュウの鎧姿は、まるで物語にある戦乙女のようだったが、目の前の少女の姿は、おとぎ話に出てくる愛らしい女神のようだった。

 ミュウとは違う意味で似合っている。似合ってはいるが、キッドにはルルーがそんな恰好をしている意味がわからなかった。王女は城に構えて、勝利の報告を待ってくれていればいい。こんな武装をする必要など全くないのだ。


「……似合ってます。……似合ってますが、どうしてそのような恰好を……」


「これから戦場に赴くのですから、鎧を着るのは当然かと思いますが?」


「…………」


「…………?」


 困り顔で沈黙するキッドに、ルルーは可愛らしく微笑みながら首をかしげた。


「……今、戦場に赴くと聞こえたような気がするのですが?」


「はい、そう言いましたよ」


「……誰が、戦場に行くのですか?」


「もちろん、私が、ですよ」


 どこに自ら戦場に出る王がいるのですか、と言いかけてキッドはその言葉を飲み込む。

 そういった王がいないではない。友である緑の公国の公王ジャンならば、王になっても間違いなく自ら戦場に出るだろう。それに、白の聖王国の聖王も、兵を鼓舞するため自ら戦場に立っていると聞く。

 だが、それらは稀有な例だ。剣も魔法も使えない、王女であることを除けば普通の女の子でしかないルルーが、戦場でできることなどなにもない。護衛しなければならないことを考えれば、むしろマイナスだ。


「……ルルー王女、俺達は演習にいくわけでも、ましてはキャンプにいくわけでもありません。命のやりとりをするいくさの場に行くんです。王女はこの城で吉報を待っていてください」


 諭すようなキッドの言葉に、ルルーはゆっくりと目を閉じた。そして、数秒の後、目を開き、曇りも迷いもない強い光を宿した瞳で、真正面からキッドを見据える。


「キッド様、私は剣も魔法も使えません。戦場に立っても、戦力としては何の役にも立たないでしょう。ですが、私は王女です。兵達の王女に向ける想いは理解してつもりです。その王女たる私が戦場に出れば、兵達の士気は上がるはずです。見れば、兵達は今、自分達がこれから向かう命懸けの場を前に緊張し、心に恐れを抱いています。ならば、この私を使ってください。戦力としては使えずとも、王女としてならば使い道があるでしょう」


「ルルー王女……」


 キッドは先ほど、彼女のことを、「王女であることを除けば普通の女の子でしかない」と考えた自分を恥じた。彼女は王たる資質を持った女の子なのだ。。もはや取り除けないほどに骨の髄まで王たる女の子なのだ。

 この人は止められない。いや、止めるべきではない。

 キッドはそう実感した。

 ならば、もう悩む必要はない。


「わかりました。共に参りましょう」


「はい」


 キッドの言葉にルルーは力強く応える。

 だが、微笑むルルーの顔は、いつものあどけない少女のものに戻っていた。


 キッドは、ルルーと共に通路を進み、兵達の前に姿を見せる。

 キッドと共に鎧姿のルルー王女の姿を認め、兵達の間にどよめきが起きた。

 彼らも王女がこの戦いに同行するとは露ほども思っていない。


 整列する600人もの兵達の前に、ルルーと共にキッドは進み、立ち止まる。

 そのままキッドは、ゆっくりと全員の顔を見渡す。ルルーの姿の見た驚きで、兵達の緊張の色は、いくらか薄くなっているように見えた。だが、それは緊張の代わりに動揺の色が浮かんだだけだ。これでは意味がない。

 キッドはそんな兵達に向かい、軍を率いる軍師として、口を開く。


「我が軍の勇者たち! 今日、我々は戦場に向かう。いよいよ決戦の時だ。我々の国、我々の大切な人、そして我々の未来がかかっている! 勇者たちよ、敵は我々に恐れを知らしめようとしている。しかし、我々は怯まない。今日、我々は歴史に名を刻む。我々の勇気と誇りが、未来の世代に伝わることだろう! 今、ここで、皆に約束しよう! 世界に名を馳せた魔導士として、そして、紺の王国の軍師として、必ず皆を勝利に導くことを!」


『おおっ!』


 キッドに声に呼応し、兵達が一斉に声を上げた。

 キッドは満足げにうなずくと、その勢いのまま、さらに続ける。


「そして、この戦い、我々には勝利の女神がついている! ルルー王女が我らと共に戦場に向かってくれるのだ!」


 歓声と驚きの声が兵達の間で湧き上がる。

 皆の注目を集める中、キッドの隣に立つ、凛々しい鎧姿のルルーが、一歩前へと進み出る。


「勇敢なる騎士達、魔導士達よ、私も皆さんと共に戦場に向かうことを決意しました。私自身は、戦場では力のないただの王女かもしれません。ですが、皆さんと共に歩み、共に戦うことを約束します。皆さんにだけ命を懸けさせはしません。この身も皆さんと運命を共にする覚悟です。我が騎士達よ、我が魔導士達よ、私たちは、もはや運命共同体です。戦場において、私たちは一つの心となり、一つの意志で戦いましょう。紺の王国の未来は、この戦いにかかっています。共に戦い、共に勝利を掴もうではありませんか!」


 その姿は年端もいかない少女には見えなかった。

 兵達には、命を懸けて悔いはないと信じられる王の姿に見えた。


『おおおおっ!』


 キッドの呼びかけた時に倍する歓声が兵達から上がる。城に残った者達は、その声で城が揺れるのを感じたほどの声だった。

 兵達の顔に、緊張の色も動揺の色も、もはやどこにもない。

 戦場に向かう上でのキッドの懸念は、これでなくなった。

 自分が何かするまでもなく、すぐ斜め前にいる女の子が払拭してくれた。


(ルルー王女、あなたに仕えることになったことを、俺は誇りに思いますよ。……必ずあなたを勝たせてみせます)


 キッドは改め胸の中でルルーのために勝利を誓った。


 そして、歩兵450人、騎兵100人、魔導士50人の計600人の紺の王国の軍が、戦いへと向かった。

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