第2話 再会

 紺の王国の王城に着いたキッドは、予想を遥かに超える歓待を受けた。正直、彼はこの勧誘がルルー王女の独断によるもので、城の内部には外様である自分を快く思わない者が一定数存在するのではないかと考えていた。最悪の場合、大多数が反対している可能性さえ想定していたのだ。

 しかし、予想に反して、ルルー王女を始め、大臣や騎士達もみな、温かくキッドを迎え入れてくれた。病床に臥している現国王にも拝謁できたが、王からは「娘とこの国を頼む」という言葉まで賜った。

 この厚遇にキッドは驚き、そして安堵した。まずは反対勢力を取り込むことに労力を割かねばならないと考えていたが、その心配は杞憂に終わったのだ。

 これで、彼は純粋に戦力の整備に集中できる。キッドはまず、この国の兵力の確認から始めた。資金や穀物収穫量といった国力の基盤も同時に確認していく。兵力については、自分の目で直接確認することが何より重要だと考えたキッドは、半ば無理やりついてきたルルーと共に、兵士達の訓練の様子を見て回った。


「どうですか、我が国の兵達は?」


 訓練場で鋭い目を光らせるキッドの隣で、ルルーが期待を込めた表情で尋ねてきた。


「士気は、低くはないですね。王や、ルルー王女、あなたのために戦おうという意気込みが見えます。きっと、あなた達の人柄のおかげでしょうね」


「ありがとうございます」


 ルルーの顔がほころぶ。それは自分が褒められたことではなく、兵士達が称賛されたことを心から喜んでいるのだと、キッドはなんとなく感じ取った。


「しかし、練度は決して高いとは言えません。この国はこれまで外交交渉を主とし、実戦経験のある優秀な将校が不足しているのが原因でしょう。いくら士気が高くとも、指揮官がいなければ戦場での成果は望めません」


 戦闘を間近に控えた今、王女相手にお世辞を言っても意味はない。キッドは見たまま素直に伝えた。


「……なんとかなりますか?」


「俺は魔導士ですが、基本的な訓練を施すことくらいならなんとでもなります。ただ、人手が足りませんね。この国は魔導士の数も質も、ほかの国に比べて著しく劣っています。そちらの訓練に手を割きながら、兵の訓練をするとなると、どこまでできるのか……」


 魔導士は戦場における切り札的存在だ。弓矢を用いずに遠距離から強力な攻撃を放てる彼らの存在は、戦局を左右する。だが、それだけに魔導士を万が一失った場合の損失を考えると、簡単に戦場に送り出せないというジレンマも存在している。そのため、どの国も魔導士の運用に頭を悩ませている。

 しかし、この国の魔導士は数も質もキッドの想像を下回る。実戦に耐えうるまで鍛え上げるには相当な時間と労力が必要だろう。そうなると、兵の訓練にまで手が回らない。


「いっそのこと、魔導士の運用を諦めて兵の練度を上げることに集中するか……。いや、それでは……」


 キッドの頭の中でシミュレーションが繰り返される。だが、使える駒は自分一人。どう考えても解決策が見つからない。


「せめて、兵を指揮し自らも戦える人間と、俺と同等の魔法を使える人間が一人ずついてくれればなぁ。あるいは、その両方を兼ね備えた人間がいれば……」


「そんな人がいるのですか?」


 ルルーが驚いた表情でキッドを見上げる。

 彼女にとって、キッドは最も頼りになると信じている魔導士であり、その彼と同等の魔法が使える上に、近接戦闘をもこなせる人間など想像もつかなかった。

 自分のつぶやきに対する彼女の素直な疑問を受けて、キッドも想像する。たとえば、自分の魔力とミュウの剣技を併せ持つ人物が存在したら――そんな人間を思い描き、彼は心の中で深いため息をついた。


「……そんな奴いるわけないですね」


「ですよね」


 ルルーはなぜか少し嬉しそうに笑った。

 一方で、キッドは自分のあり得ない望みを反芻しつつ、これからの困難を改めて実感していた。




 キッドはルルーに集めてもらった資料を手に取り、国力についての全体像を把握していた。灌漑や治水の整備には改善の余地があるし、税制にも見直すべき点があることを彼は理解した。

 しかし、灌漑や治水の問題は一朝一夕に解決できるものではない。それらを解決するには、まず戦力の問題を片付けた後で計画的に進めるしかないと判断し、キッドは文官達に大まかな指示を与えるに留めた。

 税制や税率の調整も検討する必要があるが、この国の市民生活についてはまだ十分に理解していない。異国の者がその土地の文化や風土を無視して税制を変えるのは、大きな混乱を招く恐れがある。そこでキッドは、性急に結論を出さず、ひとまず街の様子を自らの目で確かめることにした。

 ルルーは同行を申し出たが、王女を連れて街を巡れば市民の反応が変わってしまい、正確な情報収集は難しい。そこで彼女には城に残ってもらい、キッドは一人で街を歩くことにした。


 一通り街を見て回ったあと、疲労と空腹を癒すためにキッドは街の食堂に立ち寄った。

 昼の時間を過ぎているため、店内は静かで、客も少ない。

 ここまで見てきた範囲でいえば、街の活気は予想以上であり、隣国の侵攻の噂が広がっているにもかかわらず、悲壮感は感じられなかった。これは、為政者達のこれまでの努力と人徳によるものだろう。その事実にキッドは胸を打たれ、この国をなんと守りたいという思いが一層強くなる。


「俺がもう一人いればなぁ」


 ため息混じりに呟きながら、先ほどルルーに漏らした愚痴を思い出す。

 自ら高い戦闘力を持ちながら兵を指揮し、自分に匹敵する魔法を使える人間――そんな都合のいい存在を、ついつい望んでしまう。


「ミュウの戦闘力と俺の魔力を持った人間か……まるでおとぎ話の中の存在だよな」


 自嘲的に笑おうとしたその瞬間、キッドはふと、かつての戦いを思い出した。まだ緑の公国にいた頃、ミュウと二人で対峙した伝説級の暗殺者――シャドウウィンド。

 その名は、暗殺者自身が名乗ったわけではない。風のように通り過ぎたかと思えば、姿も見られずにターゲットの命を瞬時に奪うことからついたものであり、その顔を目撃して生き残った者はいないとまで言われていた。

 その暗殺者を前に、キッドとミュウは暗殺のターゲットを守り抜いた。おそらく、シャドウウィンドと対峙して、ターゲットと共に生還した者は二人が初めてだっただろう。

 だが、二人にしても、その戦いは生きた心地がしないほどの激闘だった。二本の短剣を巧みに操り、魔法までも駆使するその暗殺者は、一人でミュウの剣技に応戦し、同時にキッドの魔法にも対抗してみせた。世の中にはこんな化け物が存在するのかと、二人は戦慄させられた。

 その暗殺者の顔は、今でも時折夢に見る。驚くべきことに、その暗殺者は若い女だった。漆黒の髪に、同じ色の切れ長の瞳。端正な顔立ちでありながら、彼女の存在そのものが刃物のような鋭さを帯びていた。


「そうそう、ちょう今、俺に料理を運んでくるウェイトレスの顔のように……」


 思考が現実に重なる瞬間、キッドの意識は凍りついた。


「嘘だろ!? どうしてこんなところに!?」


 驚愕と疑念が交錯し、キッドは椅子から飛び上がり、反射的にそのウェイトレスの腕を掴もうとした。しかし、彼女は最小限の動きでそれをかわす。


「お客様、いかがされました?」


 ウェイトレスは冷静そのものだった。驚く様子もなく、淡々と料理をテーブルの上に置いていく。その動作の一つ一つが、まるで計算され尽くしたかのような洗練されたものだということに、キッドは気づかざるを得なかった。

 そして、改めてその顔をじっと見つめる――間違いない。あの顔だ。決して忘れることのできない、恐ろしくもあり美しくもあるあの顔。


「シャドウ――!」


 キッドがその名を呼び終わる前に、ウェイトレスの手が素早く伸び、キッドの口を静かに、しかし確実に抑えた。


「……外でお話ししましょうか」


 その声は、穏やかでありながら、どこか鋭い刃のような冷たさを含んでいた。彼女の瞳がキッドを射抜くように見つめている。圧倒的な緊張感が張り詰める中、キッドは黙って頷くことしかできなかった。

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