③
話終わると僕はまた、大きくため息を吐いてしまう。
ヴァンクは特に何も言葉を挟むわけではなく、ここまで話を聞いていた。
「だから、滅ぼす価値も物もないんだよ。もう、何もないんだ」
自分で言っていて嫌気がさしてくる。
ガーズに怯えながら暮らす生活も。
苦しんで死んでいく知人、友人の姿を見るのも。
帰ってこなくなった人の名前を墓石に刻むのも。
そして、いつか何者にもなれないまま死んでいくであろう自分自身にも。
「そんなこともないさ」
「え?」
ヴァンクは目を細め笑顔を作る。
「人間には野望があり、野心があり、希望があり、憧れがある。それらがある限り世界は簡単に破綻しない。何度でも蘇る。人間はね、憧憬を抱くに値するんだ」
彼の瞳が、今までよりも紅くより真紅に見えた。
まるで何かに焦がれるような、そんな色をしていた。
「……自信満々に言うんだね」
「ああ。言っただろ?自分の目より信用できるものはない」
不敵に笑うこの少年は、その言葉通り僕よりもよっぽど多くのものを見てきたのだろう。
そう思った。
直感と呼ぶにはもっと確かで、推測と呼ぶにはあまりに不確かな不思議な確信。
姿形なんて、きっと当てにはならないのだ。
ヴァンクは、これまでどれだけの事象と触れ合ってきたというのだろう。
どれほどの人と出会ってきたのだろう。
底の知れない深い赤色を、見透かす事なんて到底できはしない。
「……というか、そもそも何でそんな物騒なことをする必要があるの?」
本気かもわからない言葉ではあるが、真意が気になる。
滅ぼす、なんて簡単に口にできる言葉ではない。
何か大きな理由が……。
「ああ、別に必要ってほどのものじゃないんだ。ただの暇つぶしかな」
「……は??」
自身の耳を疑う。
今このヴァンパイア?はなんと言ったのだろうか。
「永劫に続くこの生に付随するちっぽけな暇つぶし。余暇を楽しむのと変わらないよ」
「えっ、本気で言ってるの??理解できないんだけど……」
何かを滅ぼすなんて、強い怒りや憎しみや使命がなければ成立させることができない。
理由があって初めて自分を納得させられるものだ。
それを、暇つぶし??
やはり揶揄われているのだろうか。
「ああ。まあ、だろうね。君には理解できないよ。理解される必要もない。だから余計なことは気にしないで」
冷たく言い放たれた言葉に、思わず物怖じしてしまう。
出会ってからまだ短いが、初めて見る表情をしていた。
悲しげで、そうでありながら静かな怒りの混じる冷徹で寂しげな顔。
向けられる眼差しは踏み込んでくるなという忠告と同義だった。
「さ、僕の話はさておき。今度は君の話をしようよ」
気まずそうに少し視線を離した僕に、何事もなかったかのようにヴァンクは話を振った。
「僕の話?」
「そう。とりあえずは名前かな」
言われてハッと、気がつく。
確かにまだ名前すら名乗っていない。
名乗られたのに名乗り返さないのは失礼だ。
「遅くなってごめん。僕の名前はリノ・マルクレア。レジスト……反ガーズ組織に所属してる。一応。戦えるわけじゃないけど」
「リノ、リノか。うん、いい名前だ。その単語を聞いた時から気になってたんだけど、ガーズって呼んでるのはなんなの?軍隊?」
「遠くはないけどもっと稚拙な、ならず者集団だよ。所属してるのは軍人崩れや反社会勢力だった人たち子孫。世界中の政治が機能停止した後、真なる世界秩序って名目で現れたのが奴ららしい」
「混乱に乗じて自分たちの天下を作ったわけだ。あまり気持ちのいいものではないね」
そう、この世界の終わりを早めているのは紛れもない奴らだ。
自分たちの未来をいかに長く紡いでいけるかを考えようとするレジストや、ひっそりと生きている人達と違い、この世界のことなんてどうでもよく、死ぬまで快楽を貪れればいいとしか思っていない集団。
本当に反吐が出る。
食料や土地の強奪のために仲間や友達を殺された恨みは、消えることがない。
「だが、秩序。その言葉は良い」
「えっ?」
「リノ、君の願いを叶え、僕の目的も達成する方法を考えた」
話についていけない僕を置いて、ヴァンクは心の底から愉快そうに笑う。
見た目は相応の子どもらしく、だが真意はきっと恐ろしい化け物らしく。
「ガーズを壊滅させよう」
「…………は?」
「そのならず者どもが今の世界の秩序なんだろう?だったそれを台無しにすれば、世界の崩壊と変わらない。秩序の破綻、すなわち世界の有り様の廃滅だ」
何度呆気に取られればいいのだろう。
流石にもう冗談ではないことは分かったが、それにしてもあまりに状況理解が足りていない。
この世界に来てから火が浅いという理由で、片付けることはできないだろう。
「そんな簡単に言って……!どこにそんな戦力があるんだ!ならず者って言っても相手は武装してるんだよ!」
「戦力ならいるだろう」
「へ?」
「僕と、君だよ」
「はぁ!?」
どこまで能天気な……というか話を聞いていたのだろうか??
僕は銃すら握ったことのない採取隊で、言った通り銃すら握ったこともない。
戦いなんてとてもじゃないができっこないのだ。
「さ、決まったならいこうか。雨も止んだみたいだし。いやぁ、腕がなるなぁ」
彼は立ち上がると伸びをして気持ちよさそうに声を漏らす。
「いや、僕は戦えないんだってば!話聞いてた?!」
「聞いていたよ、だから戦わなくていい。僕が全て片付けるから。今の僕にはリノの存在が必要らしくてね」
わからないことをわからないままに話されていても言葉を返すことすらできない。
一人合点をされてばかりの会話に段々と目が回り始めていた。
確かにヴァンクがもし死なないならそれは大きなアドバンテージだろう。
だが相手の規模は軍隊レベルなのだ。
並大抵の力でどうにかできるものではない。
しかしそんなことお構いなしとでも言いたげに、彼は外に出ていこうとしていた。
僕はまだ若干痛む身体に鞭を打ち立ち上がると、背を向けたヴァンクの肩を掴む。
「訳がわからない!ちゃんと全部説明してよ」
声を荒げてしまう。
当たり前だ、何も知らないまま死地に飛び込むわけにはいかない。
せっかく拾えた命をあっさりと投げ出せるほど単純にはできていないのだ。
それに奴らに手を出したのなら、勝てなければレジストや他の人にまで被害が出るかもしれない。
事は単純ではないのだ。
肩を掴まれたヴァンクがゆっくりと振り返る。
そして彼は、僕の胸ぐらを掴むと力強く自分の顔の前まで引き寄せた。
「うわっ!?」
無理やり合わせられる形で視線がぶつかる。
そのまま若干の沈黙が訪れた。
「……」
子どもとは思えない威圧感。
相対するものに己の強大さを染み込ませるようなプレッシャー。
気が付かない間に呼吸を忘れ、体は恐怖に震え始めている。
僕は忘れていたのだろう。
目の前にいる存在がどのようなものなのかを。
殺されるかもしれない。
あのガーズの男のように。
細切れにされ、瓦礫と共に打ち捨てられるかもしれない。
「勘違いしないでよ、リノ。僕は素晴らしい先導者でも君の優しいお友達でもない。お互いに利用し合うだけの関係だ。何を話すも話さないも、自由だってことを忘れないでね」
自身が強者であることが当然であり、それこそが摂理であるとヴァンクは理解している。
条理として自分の異質な強さを享受しているからこそ生まれる絶対性を誰よりも昔から知っているのだ。
利用し合うと彼は言った。
けれどちっぽけな人間など利用価値がなくなれば捨てる気でいる。
きっとそうだ。
なぜならばきっと、許されるから。
そう信じてやまないだけの自信が、このヴァンパイアという存在にはあるのだろう。
でも。
「わかったら、早くガーズの本拠地に行くよ」
掴んでいた手を離すと、ヴァンクは背を向けて歩き出そうとする。
その腕を今度は僕が思いっきり掴んだ。
「……何?」
彼はうんざりしたように息を吐いて、振り返る。
軽く俯きながら、まともに吸えなかった息を深呼吸でゆっくりと取り込んで口を開いた。
「僕は」
手の震えは隠せない。
それでもいい。
それでも、言ってやる。
「ただ利用できる駒なんかじゃないからな」
「……!」
声には迫力がなく、目は軽く涙ぐんでいて、恥ずかしくなるくらい情けなかったが、それでも僕は伝えた。
自分の意思を示すために。
自分自身を諦めないために。
「……ぷ、あははははははは!」
ヴァンクが大声をあげて笑う。
驚くと同時に強張っていた体の緊張が解けた。
「な、笑うなよ!本気で言ってるんだ!」
僕は若干涙が溢れてくるのを感じながら言った。
「いや、あはは。そうか、うん。そうだね。君はきっとそうだよね。あはは、よかった。だから君なんだ」
「また一人合点ばっかりして……!」
「悪かった」
予想していなかった素直な謝罪に、続けようとしていた言葉が止まる。
「時が来たら話すよ。でも僕は決して約束は破らない。君を裏切るようなことはしないから。有り体で安っぽいけど、信じてほしい。僕が負けることなんてあり得ないから」
長いまつ毛が僅かに揺れて、切れ長の目に優しい光が映る。
淡い色、どこか儚さを感じさせる瞳に、揺れ動いていた感情が落ち着いていくのを感じた。
凪のように穏やかな側面を持ち、時に嵐のように激しくうねる。
僕は彼のことを何も知らない。
強さも、何を考えているのかも。
「別に、信じてないわけじゃ、ない。どうせまだ隠してる力があるんだろうし」
「ご明察」
余裕そうにヴァンクは笑みを作った。
首を傾げると綺麗な黒髪がゆっくりと垂れる。
それを見て不意になぜか熱くなった頬を隠すように、腕を離して顔を背ける。
「それにね、僕は易々とリノを裏切れないんだ」
「え?」
「リノが死ぬと、僕の存在も消えるから」
「な、何それ!」
僕が死ぬと、ヴァンクが消える??
銃弾で打たれても死なないのに??
「だから手元に置いておかないとだめなんだよ。後、そろそろ僕って言うのやめないと。もう君は女の子なんだから、わ・た・しでしょ」
ヴァンクはそう言うと、外に飛び出す。
「あ、こら待て!やっぱり全部話せー!!!」
瓦礫に埋もれた世界を走る。
足のに開いた銃弾の穴はもう無くなっていた。
これもきっとヴァンクの能力なのだろう。
わからないことだらけのヴァンパイア?と交わされた契約。
突然変わってしまった身体。
誰に話しても信じてはもらえないだろう。
でも僕……私はこうして生きている。
それだけでよかった。
すぐに受け入れられることばかりではないけれど。
ただ死ぬのを待つんじゃなく、何者かになるために。
星空をそのままに映すあの真っ赤な瞳が、私の旅の始まりを告げているような気がした。
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