第2話 巣食う怪物と絶望の先にあるもの


「おお、待ってたぞ神楽殿!」

「小山内ギルド長、状況はどんな感じですか?」

「ダメだ、孵化するのは最早時間の問題だな」


 言葉尻が乱暴なこの男は、探索ギルド日本支部猫島ダンジョンギルド長の小山内努おさないつとむである。

 頭髪には中年らしく白髪が混じるが、ライオンのタテガミのような毛量と髪型、見るからに鍛えられた筋肉質の2mを越す巨体を持ち、まさに獣の王たるやといった風格のある男だった。


つばめ、里の者達は?」

「はい神楽様、島に残っていた下忍と中忍、使用人達は既に避難させております。私と父と上忍三人衆だけがこちらに残っております」


 神楽の側で片膝を付き控える忍び装束の燕と呼ばれた女性が問いに答える。

 顔は頭巾で覆われており良くは分からないのだが、僅かにのぞむ切れ長で睫毛の長い目元が涼しげな印象を放っていた。


「小山内さん、副ギルド長の彼女は?」

「あいつは荒事もできなくはないが、どちらかというと事務方だからな。とっくに避難させてあるぞ」

「では安心して戦えますね」

「おう、こっちは準備万端だ」


 小山内はそう言うと、腰に着けたボディバッグ型の収納BOXから武器の大太刀を取り出して背中に背負った。


「いつ見ても素晴らしい大太刀ですね、両断丸」

「まあこいつを背負えるのは日本広しといえど、この俺位なもんだしな」


 その巨体に見合う巨大な武器は、刃長が実に230cm重量も25kgと破格の大太刀である。

 飾り気のない、ただただ武骨なその様は一刀両断せしのみという一念で作られたと云う。


「神楽殿はいつもの獲物かい?」

「はい、ここに」


 そう返事をして装束の袖から巾着袋を掴み、袋の中から獲物の薙刀を取り出した。


「夜桜です」


 柄の部分に桜の紋様をあしらった優雅さが漂う逸品で、巴型薙刀と呼ばれる幅広の切っ先が特徴。波紋を月光に照らすと桜色に染まって見える事からこの名がついた。

 

「神楽様、鈴之介様への伝令は滞りなく、また艦艇が3隻程こちらへの援軍に向かって来ているようです」

「桜井さん、ご苦労様です。艦艇については恐らく父上に何か考えがあっての事でしょう」

「――会話の途中に申し訳ない、あんたが猫宮神楽さんか?」


 伝令を終え合流した桜井と神楽が会話をしていると、そこに割り込む一団が来る。

 神楽が見るといかにも探索者といった歴戦の猛者を思わせる風貌の男が立っていた。

 その佇まいと、一目で理解できる程の業物の武器、名工の腕によって鍛えられたであろう防具、この男と後ろに控える探索者達の熟練度が伺えた。


「あなたは確か、探索者Aランクの片桐さんですね? 初めましてこの度はお力添えありがとうございます」

「いや礼には及ばない、小山内さんには世話になった恩がある。それに悠長に挨拶を交わしている暇もないようなのでな」


 片桐はそう言って今にも孵化をしそうな卵を指で指し示す。

 指し示された卵は既に孵化直前といった感じであり、この部屋の空間内にもその巨大な卵殻が落ちる度に、地震のような衝撃と轟音が鳴り響いている。


「確かにそうですね……それと申し訳ないのですが、Cランクの探索者の方達には避難をお願いしたいのですが」

「ああそれなら大丈夫だ、既にさせてる。ここに残っている奴等はそれなりに動ける奴だ」

「ありがとうございます。報酬の方は全額お支払いしますとお伝え下さい」

「ああ分かった伝えておく……ただし俺達が生き残れたらの話だが」

「ええ、そうですね……」

「……神楽様!」


 燕が突然に神楽の名を叫ぶ。

 何事かと神楽が気をそちらに向けようとした瞬間、突如地面から突き上げるような凄まじい衝撃が一同に襲いかかる。皆、体幹が優れている猛者達ではあったが、堪らず全員がその場に膝をつく。

 それはあたかも地中に埋められた爆発物が爆発したかのような、前触れも何もない突発的な衝撃だった。


 もうもうと立ち込める土煙の中、卵をみれば殻の半分が割れ落ちていて、中身の主が顔を覗かせていた。

 眼は何故か閉じられている。頭は鶏そのものだがその風貌は創作話で語られる怪獣、怪物、化け物といった類いのものを彷彿とさせ、鶏よりは恐竜にイメージは近い。


「っ!? まずい! みなさん散会して下さい!」


 咄嗟に直感が働いた神楽は、身を跳び退くと同時に叫ぶ。怪物の眼が開かれたと思った直後に光線のようなモノが元居た場所に一斉に放たれる。


「!?」

「ガァッ!?」

「くっ!」

 

 光と土煙が収束すると、そこに居たのは逃げ遅れた探索者達が物言わぬ石像と化している姿だった。


「っ!? 何て事を……!」

「人が石に!?」

「これは一体!?」

「――不味いぞ神楽殿、あれは神話や伝説で語られるコカトリスってヤツじゃねぇか?」 


 その異常な光景を目の当たりにした誰もが驚愕に目を見開く中、口を開いたのはギルド長の小山内である。


「コカトリス……身体は鶏で尾は蛇という、あの?」

「まあ諸説あるが、概ねそんな感じだ。とにかく、もしヤツがコカトリスなら尾から出る致死性の毒と、さっきも食らった目から出る石化の光線? みたいなモノには当たらん方がいい」

「その石化だが、恐らくメドゥーサと同じく視線を合わせただけでもヤバイかもしれんぞ」


 そう言って話に割り込んできたのは片桐である。


「そうなのですか?」

「ああ、コカトリスはバジリスクと同じでメドゥーサの血を引いているとも言われている。だとしたら石化光線だけではなく、視線を合わせただけでああなっちまう可能性はある」


 片桐は親指を石化してしまった探索者達に向け、持論を神楽と小山内に話した。

 その直後である――


『グゲエェェェェェェッッ!!!』


 空間を震わすような大きな唸り声と共に、先程と同じように衝撃で大きく揺れる地面。

 コカトリスと呼ばれる怪物が、そのビルをも凌ぐ大きな巨体に収まっている両翼を羽撃はたたかせながら、身体に残った卵殻を引き剥がそうともがいていた。

 

「……孵ったばかりで十分に動けない?――この勝機を逃してはなりません! 猫足衆は急いで打ち合わせ通りに九字印の準備を! くれぐれも石化には注意してください! 片桐さん以外の探索者の皆さんは石化した人達を運んで島外へ避難して下さい!」 

「俺達はどうするんだ?」

「あの怪物が眼で石化をしてくるのならば、私に考えがあります」

「なら俺達はサポートだな」


 神楽がここぞとばかりに急ぎ配下の忍達に命令を出す。石化され石像と化した者達には申し訳ないと思いつつ、探索者達に指示を飛ばす。

 残った三人は少しの猶予の時間、もがいているコカトリスを見上げ勝ち筋への布石を練っていた。


(分かってはいた事ですが、巨大過ぎる……)


 神楽は見上げたコカトリスを前に嘆息を吐く。おおよそではあるが身長50mから60m前後といった所であろうか、両翼を広げただけで威圧感が増す。

 街に出せばその翼のはばたきだけで、小規模の災害にでもなってしまいそうな気が神楽はしていた。

 実際この空間内だけでもあの怪物の羽ばたきだけで、岩が崩れ土煙は舞い上がり台風並みの暴風が発生しているのだ。


(絶対にあのモノをダンジョンから出してはならない)


 コカトリスが地上に出た時の被害を考えると、神楽は決意を新たにするのだった。


「みなさん! いいですか、私がいいと言うまで目をつむっていて下さい!」


 神楽が空間内に響き渡るように声を張り上げる。薙刀を地に差し、空いた両手で契手の印を結ぶ。

 無防備にはなるが、神楽が起死回生の策を練って要るのは知っているので、皆は言う通りに目を閉じた。


けまくもかしこ伊邪那岐大神いざなぎのおほかみ筑紫つくし日向ひむか橘小戸たちばなのをど阿波岐原あはぎはらに、御禊祓みそぎはらたまひし時にせる祓戸はらへど大神等おほかみ諸諸もろもろ禍事罪穢有まがごとつみけがれあらむをばはらえ給ひ清め給へとまおす事を聞こしせとかしこかしこみもまおす」


 神楽が祓詞はらえことばを奏上し、破邪隠滅の秘技を唱える。


「――【天神地祇】てんしんちぎ【破魔眩燿】はまげんよう!」


 すると辺り一面に眩いばかりの光が溢れ、その白く輝く光は二筋の矢に成り代わり、光速で打ち出された光の矢はコカトリスの両目に突き刺さる。

 鳥類の視神経は人の8倍発達していると言われており、光を直接浴びればひと溜まりもない。


『グギャアァァァァァァッッッッ!!!』


 さしものコカトリスも神威の矢は効いたらしく、自身の武器である石化の眼が開けずにしきりに首を上下に振っていた。


「神楽様! 準備ができました!」


 眼が無効化され、さらに卵殻がまとわりつきもがいているコカトリスを、五芒星の形で囲うように配置に着いた桜井が神楽へ準備が整った事を知らせる。


「分かりました! それではみなさん――お願いします!」


 神楽の号令で忍達が一斉に真言を唱え、手で刀印を結び九字を切り始めた。


「「「「「臨!」」」」」

「「「「「兵!」」」」」

「「「「「闘!」」」」」

「「「「「者!」」」」」

「「「「「皆!」」」」」

「「「「「陣!」」」」」

「「「「「列!」」」」」

「「「「「在!」」」」」

「「「「「前!」」」」」

【【【【【結界縛鎖陣!】】】】】


 九字印を切り終わると、五芒星のそれぞれの頂点からコカトリスに向かい鎖が飛び出し、その巨体に巻き付いていく。

 まさに縛鎖の名に相応しく強靭な鎖が怪物を締め上げる。


『グゲエェェェェッ! ゴゲエェェェェッ!』


 鎖を引きちぎろうと激しく暴れるコカトリス、しかし鎖は外れる様子はない。

 身動きが取れない身体と見えなくなった眼に対して、唯一自由な口からの絶叫に似た嘶きが空間内に木霊する。


「今です! 小山内さん、片桐さん! 私達は怪物の首を取りにいきますよ!」

「なるほど、眼を眩ませ鎖で自由を奪った訳か!」

「これ以上ない作戦だ」

「いいえ、油断は禁物です。あれは物理攻撃ではなく本来は霊的な邪を祓うものなんです。これはあくまで対症療法ですから、ここからは時間との勝負です!」

「おうよ!」

「承知した!」


 三人は駆け出す、目指すは首。縮地法と元々の卓越した身体スキルを持って、コカトリスに迫る神楽達。

 目指す首は遥か上、ならばと跳躍し鎖を伝い目的の場所へ駆け上がる。身体と同様に首にも鎖が巻き付いており動きを封じている。狙うは鎖の間から見える首筋ただ一点。

 

 神楽は獲物である夜桜を脇構えで構える、そこから腰を捻り遠心力が極限まで働くように力を込めていく。それはバネが元に戻ろうとする性質、弾性と似ておりスキルで底上げされた自身の持てる最大の一撃必殺の攻撃である。

 二人も首に到達し剣技を繰り出そうとしている。怪物の首に対して三角形になるように沿わせた三方向からの三位一体のまさに乾坤一擲だった。

 

 興奮しアドレナリンが出ているせいであろうか? 世界がスローモーションに映り変わる。タキサイキア現象と云うらしい。

 思考だけが加速していく。

 脅威であるのは石化の眼と致死性の毒。石化は今の所抑えてはいるが、いつ眼が開かれるかは分からない。

 しかし毒については考えなくてよかった。何故なら尾は今の所卵殻の中に隠れており、その真価を発揮できてはいない。

 ならば狙うは眼のある頭だけに集中すれば良い。それで勝てるハズ、誰もがそう思って信じていた……その時までは。


「お覚悟を! 桜花剣舞――【血桜の舞い】!」

「うおおおぉぉぉぉっっ! 【一刀両断】!!!」

「……蒼天一刀流、秘奥義 【五月雨】!」


 それぞれの刃先が目的の場所に音速を超え吸い込まれていく。

 「勝った!」三人がそう思った瞬間――


 視界に映った世界が紫電に染まり再びスローモーションになる。

 数瞬、直後に間髪入れず来る衝撃と雷鳴に似た轟き。一瞬で身体の隅々に伝わる電流のような波形と熱。

 さらには先程の神楽へのお返しといわんばかりの眼も眩むような閃光。

 そしてそれとは別に、圧縮された空気から一気に弾け出されたような凶悪なエネルギーの塊が三人を襲う。

 先程の高揚感で起きたタキサイキア現象とは明らかに違う、死地の恐怖からくる現象。


 ――世界が再び動き出す。

 気がついた時には三人は壁に激しく打ち付けられていた。


「カハッ……い…たい何……が?」


 辺りを見回す。土煙でよくは見えないが、離れた壁際で二人が倒れている。無事でいて欲しいとは思っているが、正直無事かどうかは分からない。

 神楽は何かが転がっている事に気づきそれを見る。そこにあったのは懐から落ちた御神札であった。しかし無惨な事に全ての御神札は真っ二つに割れていたのだ。


「あ…猫…様……守…下……た…で…ね……」


 息も絶え絶えに猫神にお礼を言う神楽。

 しかしその身体は五体満足とはいかない。電撃系の攻撃を受けたからか、美しかった髪は焼け焦げ、皮膚は焼け爛れていた。

 また手足もあらぬ方向を向いており最早這いずり回る事しかできなかった。はっきりいって素人目で見ても重体だと理解できる怪我である。


 即死は免れた……だがそれは寿命が少し延びただけに過ぎないと感じていた。

 何故なら目の前に、絶望が君臨していたからである。


『グゲエェェッゴオォォッゴオォォォッッッ!!!』


 コカトリスは忍達が印で縛っていた鎖をも引きちぎり、さらにはまとわりついていた卵殻も引き千切り、今ここに完全な姿で神楽達を見下ろしていたのである。


「燕……達……?」


 神楽は身体の痛みと恐怖に飲まれながらも桜井や燕達、猫足衆達を探した。

 だがしかし、残酷な現実が神楽を襲う。

 目をこらして周囲をよく見れば、五芒星の地形の場所に人の形をした石像が転がっていたのだ。


「あああぁぁぁぁっっ!!!」


 空間内に神楽の嗚咽が響き渡る。何故ならコカトリスによるこの石化は、ある意味人としての死を意味するからである。

 石化とは呪いなのだ。

 実はダンジョン内の魔物から取れる素材を使い、弱めの石化解呪薬は作り出せていた。だが残念ながら、この高位の魔獣ともいうべき怪物の呪いを解呪できる物は世界には存在しないだろう。

 つまり解呪薬が完成するであろう不確定の未来まで、この姿のままなのである。

 

「ごめ…な…い桜…さ……ご…んな……燕…み…な……」


 嗚咽と身体を蝕む痛みと、混乱や恐怖といった精神状態が支配し、既に口から出る言葉も息を継ぎ足しながらの途切れ途切れになる始末だった。

 だが悲劇はここで終わらない。


 『ゴゲエェェッッッ!』


 甲高い咆哮とも思える嘶きが空間内に反響すると、コカトリスの尾である蛇の尾から霧状の毒が噴霧される。


「みな……さ…!……うっ、ごほっ!」


 神楽達のような身体スキルの高い者は大抵毒に対して耐性を持っているが、それは石化と同様に限度があるという事だ。

 コカトリスのような高位の魔獣の強毒に耐えられるものではない。


「うっ、毒…消……回復…ごふっ!……」


 もちろん神楽達も何もここまで無策で突っ込んできた訳ではない。敵がどんなものか分からない以上、毒消薬や回復薬といったものをきちんと備えていた。

 だがここで誤算が生じる、使おうにも手足が使えなくなっていたのである。万策尽きて神楽の目からは光が消える。


「こ…まで……で…か……ごほっ!……」


 憎たらしいコカトリスの巨体を見上げる神楽。せめて一太刀浴びせていれば溜飲は少しでも下がったかもしれない。

 しかしそんな想いとは裏腹に、コカトリスはさらなる追い討ちを仕掛ける。


『ゴオォォォッッゲエエェェェッッ!!!』


 真っ赤な血の色に染まった眼光鋭い瞳が見開き、神楽の姿を捉えていたのである。

 とっさに目を瞑る神楽。

 だがしかしそれは遅かった……手足の先から徐々に石化していく。


(皆さんごめんなさい、私の力がなかったばかりに……猫神様、島を守れず申し訳ありませんでした。どうか皆様お元気で……さようなら……)


 毒で死ぬのか、石化で死ぬのか神楽には分からない。ただそこにあるのはやがてくるであろう死への懺悔と後悔だけであった。

 人生に「もしも」はない。ゲームのようにセーブもロードもないのだ。

 だからこそこの選択が悪かったのだと思いを馳せる。もしこの怪物に対して戦う選択ではなく潔く撤退の道を選んでいたら? と、走馬灯が彼女を駆け巡っていく。


『グゲエェェェェッッッ!!!』


 追い討ちとばかりに石化光線を辺り一面に無造作に放つコカトリス。当たった場所から木であろうと草であろうと関係なく石化していく。倒れて臥していた小山内も片桐も物言わぬ石像になっていった。

 

「……あっ」


 既に生を諦めていた神楽が最後に見た光景は、白く眩しい中に怪しく光る赤い鋭い眼光であった。



◇ ◇ ◇



 ここは内閣府庁舎の中に設けられた緊急災害対策本部である。

 猫島の件が発生した当初より、逐一情報が伝達されてきていた。


「なんだとっ! それは本当か!?」

「はい……残念ながら巨大な鶏のような魔物が、崩壊したダンジョンから出現したとの事です」


 秘書官である桜井千鶴から信じられない一報を聞き、唖然とするのは総理大臣である猫宮鈴之介である。


「馬鹿なっ! かぐ……猫宮宮司はどうしたんだね?」

「お嬢様の神楽様は携帯端末に連絡しても全く通じないようです……」

「……くっ!」

「総理! 猫島近海へ派遣した護衛艦イージス”じんらい”艦長の高嶺一佐から、避難してきた住民の収容を完了したとの報告がありました」


 秘書の一人である豊橋が猫宮に告げる。


「住民!? その中に神楽はいるかっ!?」

「そ、それが……探索ギルドの副ギルド長の女性と、Cランク探索者が8名、Bランク探索者が3名と市長をはじめ島の住民が合わせて17名、それと石化したBランク探索者が3名となっており……その、島の住民の中に神楽お嬢様は含まれておりません……」


 心痛な面持ちで猫宮からの問いに、手に持っていたメモを見ながら答える豊橋。


「……っ!……ふぅ、そうか……それで石化した探索者というのは?」

「……はい、直前まで現場におり脱出に成功したBランク探索者の方の話によりますと、猫島を襲った化け物の正体は、神話や伝説で語られるコカトリスであるという事です」

「コカトリス……」


 猫宮は豊橋に言われた化け物の正体をそっと復唱した。

 希望は捨ててはいない、しかし現実としてその絶望な状況から愛する娘の敵であるモノの名を、猫宮は心に刻み込んでいた。

 ここにいる誰しもが猫宮の悲痛な心の叫びを理解していた。しかし彼は父親であると同時に一国を預かる首相なのである。

 国難と家族の大事、どちらに重きを置くか彼にはよく分かっていた。

 猫宮の強く握った拳からは血がしたたり落ちている。 


「……首相、イージスからのミサイル攻撃は行いますか?」


 大塚統合幕僚長から声が掛かる。ロマンスグレーの髪に自衛隊の制服が映えており、清廉実直な人柄を感じさせる自衛隊の最高位者である。


「……いや、止めておこう。避難民がいないのであれば意味はない、弾薬の無駄だ――それよりもその、石化した探索者は治るのかね?」

「――残念ながら、恐らく現時点では無理かと思われます」


 そう答えるのはダンジョン庁の相沢長官である。女性ながら学生時代からダンジョンを探索してきた女傑であり、頭脳の方も優秀で東大卒の国家公務員キャリアになり、その才能を買われて猫宮に民間人として閣僚に抜擢された才女なのだ。


「そうか……ご家族に連絡を。誠心誠意の謝罪と一刻も早い解呪薬の生成を約束すると。また、薬ができるまでの石化した方の厳重な保管と保存。それと最大限の保証を行う事を確約すると伝えてくれ」

「承知致しました」

「それと、今回の作戦で安否が不明になったご家族にも謝罪と最大限の保証を、生活支援が必要ならそれも加えて頼む」

「……承知致しました……奥様にも?」

「それは……私から伝えよう」


 猫宮の表情が暗くなる。本来であるなら、愛する娘の側で暮らしたいと思っていたはずではあるが、首相の妻として日本のファーストレディとしてやむなく離れて暮らしていたのである。


「千鶴君……いや桜井首席秘書官、この度は本当に申し訳ない!」


 猫宮が90度腰を折り、政務秘書である桜井千鶴に向かって頭を下げる。


「猫宮様、お顔をお上げ下さい。一国の首相が簡単に頭を下げてはいけません。我らは常に命を掛ける事を信条としております……それにまだ死んだと決まった訳ではありません」

「確かに……私が信じてやらなければな」


 そう言って猫宮は、背広からハンカチを取り出し手に付いた血を拭った。


(そういえばこのハンカチは神楽が子供の頃に、父の日に貰ったプレゼントだったな……くそっ! こいつを遺品にしてたまるか!)


「如月外務大臣! 外交チャンネルを開きこの怪物の事を関係各国に急ぎ伝え、さらに今後の対応も合わせて協議を!」

「はっ、承知致しました!」

「佐藤官房長官! 国民とマスコミへ、既に制空権が魔物によって失われている事、猫島の一連の出来事と合わせて発表して欲しい」

「よろしいのですか?」

「ああ、かまわん」


 猫宮は千鶴から発破をかけられた事もあり、これからやるべき事への指示を矢継ぎ早に指示を出した。

 一国の首相としてこれからやるべき事は山積しており、悲しんでいる暇などない。

 だが彼は心の中では、父親として猫島の島民としての矜持を忘れてはいなかった。


(必ず、必ず猫島は取り戻す! 待っていてくれ神楽!)



 ――それは歴史を揺るがす大事件であった。世界を震撼させるニュースが日本から発信されたのだ。

 猫島という歴史ある島が壊滅した事、そしてその原因となった恐ろしく巨大な魔物の事。

 ダンジョンが崩壊した事でスタンピードが起き、島中に魔物が氾濫している事などが知らされた。

 さらに日本が制空権を失った事を発表した事で、追随する国が出始めて国連はついにこの世界が、制空権を魔物に支配されている事実を正式に認めた。

 また件の魔物を探索者ギルド連盟機構は正式にコカトリスと命名し、魔物ではなく魔獣クラスであると認定、災害度を表すクラスを世界初となるSクラスとした。 

 なお余談ではあるが、コカトリスは翼はあるが飛べる飛翔系ではなかった事に加え、何故か海を泳いで渡る事もなく奇跡的に島に封じ込めておく事ができていたのは不幸中の幸いであった。


 しかし残念ながらこの日、尊い多数の犠牲と共に猫島の時は止まったのである――


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る