第一章 猫島解放
第1話 猫島の過去
ここは日本の猫島。場所は東京都から1200km南東の海上にある。
一応、住所としては東京都になるのだがどちらかというと本州の東京都よりも、同じ離島である兄妹島の方が距離的には近い。
兄妹島は
猫島の歴史は古く平安時代前期にまで遡る。
とある貴族が中央の権力争いに破れ一族郎党と一緒に流刑にされた。
だが季節外れの嵐の為、当初の流刑地とは違う所に流されてしまう。
幸い全員無事であったが、何かに引き寄せられるように着いたのが当時は無人島であるこの猫島だったのだ。
大の猫好きだったお貴族様、実は飼っていた猫も数匹連れてきていた。
もしかしたらこの猫達がこの地へ導いてくれたのかもしれない。そう考えたお貴族様はこの地に猫の神様を奉る神社を創建する事にし、同時にこの島を猫島と呼ぶ事にした。
神社を創建した後、宮司に就いたお貴族様であるが実はこのお貴族様、大宮司の一族である阿蘇氏に連なる家系で、いわば祭司は本職だったのだ。
以来、1100年近くに渡りこのお貴族様の一族が、猫神神社の宮司を代々務めている。
そんな先祖代々続く由緒正しい猫島だが、島内人口は7万5974人と島としてはかなり人口が多い部類に入っていた。
当然、行政区分では市として成り立っており、どの地域も過疎や人口減少に悩んでいる自治体を尻目に、いまだに人口が増加の一途を辿るという稀有な島だったのだ。
……何故、過去形なのか?
それはこの猫島が悲劇に見舞われた2年前の出来事を遡らなければならない。
◇ ◇ ◇
――2年前、猫島神社――
「神楽様、最早時間がありません……」
頭頂部が禿げ上がり、眼鏡をかけた男性が燭台の薄暗い灯りに照らされていた。
年の頃は50代であろうか? しとねの上に正座をしている。
男は緊張の面持ちでそう言って切り出した。
「やはり無理そうですか……もう少し猶予があると思いましたが――卵の様子はどうですか、桜井さん?」
神楽と呼ばれた女性が、姿勢を正し筆を走らせながら男に問う。
年齢は20代前半に見える。艶やかな腰まである黒髪を絵元結で結わえ、凛とした大きな瞳に筋の通った鼻と艶の帯びた唇、巫女装束の上からでも分かる豊潤な身体。
男性はもとより同性の女性でさえ魅了される程の妖しさを醸し出していた。
「はい、探索者達に見張らせておりますが、胎動の間隔が狭まっております」
桜井と呼ばれた男が女性の言葉に一礼をしながら答える。
燭台の灯火が揺れ、二人の間に緊張が走る。
この地球はちょうど20年前に、ダンジョン災害という未知なる災害に見舞われた。
突然の世界規模の地殻変動と共に、所謂ファンタジー等の創作物で語られているダンジョンというものが出現したのである。
ダンジョンが出現した各国政府は、当然のようにこの未知なる領域へと踏み込もうとした。だがそれはすぐに頓挫する。
何故ならダンジョンに踏み込んだ瞬間に装備や携帯していた銃や重火器類、乗車していた戦車や装甲車両等の兵器が光の滴へと分解され消えてしまったのだ。
残ったものはアーミーナイフや、捜索隊員が趣味で持参していたクロスボウといった、昔ながらの時代遅れの武器のみだった。仕方なく再度時代遅れの武器で仕切り直し捜索にあたるのだが、ダンジョン内部は魔境であった。ファンタジーの映画や漫画、ゲームや小説等に出てくる異形の怪物が、跳梁跋扈する世界だったのだ。
こちらを襲ってくる化け物に対して、斧や槍などで応戦する隊員達。数の力で何とか撃退に成功すると、不思議な現象が起きる。殺した化け物達の心臓の近くに、綺麗な石があるのが分かったのだ。
しかも不思議な事に石を取り出してしばらくすると、銃火気類と同じく光の滴となってダンジョンに吸収されていった。
それが『魔石』と名付けられた未知なる石である。
倒した化け物――魔物もしくはモンスターと名称を変えた存在は、この魔石というものを必ず身体に保持している事が判明したのだ。
使い道がなければただの綺麗な石なのだが、驚くべき事に各種エネルギー資源の代替品になる事が研究機関により発表された事で、世界は再び混乱に陥る事になった。
さらに使うデメリットが一切存在しない事も解ったのだ。100%のクリーンエネルギーという事である。
当然だが世界各国は魔石エネルギーを使用するようになる。魔石からの動力の転換装置を簡単に開発できてしまったのも拍車をかけた。
この結果により特に混乱したのは、エネルギー資源の輸出で成り立っていた国だ。
優位性も無くなり、正式にダンジョンと呼ばれるようになった新たな資源の泉を持たない国は、衰退の一途を辿るのであった。
だがダンジョンを多く抱える国は、今度は人手不足に陥った。
日本でも少なくないダンジョンが誕生し、資源無し国家等と揶揄されていた実情からすれば嬉しい反面、政府職員や警察消防、自衛隊だけでは手が足りなくなっていた。
となれば民間に頼るしかないという事で日本では10年前にダンジョン法が施行され、晴れて民間人による魔石の回収及び魔物討伐、未知のエリア開拓という名目の元に『探索者』と呼ばれる者が誕生したのである。
またそれに併せ、先に国際会議において可決していた国際機関の探索者ギルドの日本支部を立ち上げたのだった。
閑話休題
場面は戻り二人の間に沈黙が漂う中、神楽がちらりと脇に置かれた資料らしきものに目をやると重い口を開いた。
「Aランクが一人に、Bランクが六人……後はCランクが八人ですか」
「はい政府からの要請もあり、日本に五人しかいないAランクの方も一人応援に来ていただいております」
探索者は世界的にランクが決められており、国独自のランク付けは許されていない。
運転免許と同じで探索者ライセンスは各国で独自に取得できるが、ランクアップの為には国際機関であるダンジョン探索者ギルド連盟機構、通称探索者ギルドが実地する試験に合格する必要があるのだ。
ちなみに免許取得したての新人はFランクスタートでそれから順にE・D・C・B・A・Sとランクアップしていく。なおランクアップはレベルにも依存する。
「アレが孵る前に何とかできれば良かったのですが……」
この猫島では20年前の地殻変動によりダンジョンが、島の北側に存在する
出来ていた。
だが出来ていたのはダンジョンだけではなかった。
ダンジョン入り口から少し進んだ先にあった巨大な空間の真ん中に、ダチョウ程の大きさの卵が地上から生えた蔦に絡まり、放置されていたのが発見されたのだ。
不思議な事にそれは生きていて、日を追う毎に段々と大きくなっていく。念の為と研究者にも調べて貰ったが分からないとの回答が返ってきた。鑑定スキル持ちにも依頼したのだが、正体は謎のままであった。
ダンジョン1階層の入り口近くにそのようなモノがあるのは、今後の管理運営にも支障が出るという判断で当然処分も考えたのだが、誰がどんな事をしても蔦と卵には傷一つつけられなかった。
そして卵の正体が不明のまま警戒しつつも月日は流れ20年――ついに卵が胎動を始めたのだ。その大きさは既にドーム球場並みに肥大しており、明らかに異常な事態である事は誰もが感じていた。
「島の幹部以外の島民全員と猫をはじめとしたペット達の本州への避難は、全て完了しております。また島内にある国宝や重要文化財などの文化遺産や天然記念物も各種本州への避難保護が済んでおります」
「ご苦労様です。島民や文化遺産などを受け入れて下さった政府関係者や官公庁、自治体の方々には感謝しかありません」
「政府によって急遽、廃村地域を開拓し災害用の仮設住宅ではありますが、自衛隊の方々に立てて頂き多くの島民はそこに避難しているようです」
「市長である
「は、鈴音様は最後まで残ると仰っておりましたが、事ここに至っては危のうございますので我らの部下と共に既に避難をされております」
「……そうですか、良かったです。叔母様は戦う力がありませんから、兄である父の元に居て頂く方が安心できます」
「はい、私の妻もおりますからな」
桜井は右手で扇子を顔に仰ぎ、左手に握ったハンカチで額の汗を拭う。
「……暑いですか?」
神楽が筆の手を止め桜井に問う。
彼女は御神札とよばれる神様の御分霊をお作りしているところだった。
最近では印刷が主流だが、この神社ではある程度の数は今も宮司による手書きの奉仕である。
「申し訳ございません。寄る年波というやつですかな?」
「ご無理をなさらないで下さいね。ここはエアコンはおろか扇風機すらありませんから」
神楽はニコリと笑みを浮かべながらそう言うのだが、同じ室内にいてむしろ白衣や緋袴といった厚手の衣装を着て一筋の汗すらかいていない状態に、桜井は愛想笑いをする。
「は、この部屋の神聖さは理解しております」
桜井が言うように、この部屋は御神札の御分霊の時だけに使用されるのだ。
畏こくも神様をお分け頂くのに堕落する環境であってはならない、という初代宮司の訓をかたくなに守っているのである。
なのでこの部屋にはエアコンも扇風機もないばかりか、そもそも電気が通っていない。灯りは燭台でまかない寒ければ服を厚手に着るなど徹底している。
「一段落しましたし、続きはクーラーの効いた社務所で話をお聞きしましょう」
そう言いながら立ち上がると、完成した御神札を大事そうに持ち蝋燭消しで灯りを消してまわる。
「私の為に申し訳ありません神楽様」
「いえ、それでは参りましょう」
連れ立って社務所へと歩き出す。
時節は7月も末、大暑が過ぎて夏本番といった陽気が境内を照らしていた。
とはいえ、この東の海上にある離島の猫島は一年通して平均気温は高く、年中春か夏かといった陽気なのだが。
「……」
「神楽様、どうかなさいましたか?」
ふいに足を止めた宮司に、桜井は不思議と思い声をかける。
「……おかしいです。余りにも静か過ぎではありませんか?」
「? ――言われてみれば確かに……」
そう、境内が静か過ぎるのだ。
ここは神社である。神木と云われる木をはじめ、多くの自然が残る緑豊かな場所に建っていた。今の季節は夏。一年のうちで生物がもっとも活発になる夏に声がしないなど有りはしない。
そもそも年中温暖な気候のこの島では、生物の声が途絶える事などなかった。何がしかの生物の声が聞こえている。
それが聞こえないのだ。
その時、ふいに桜井のスマートウォッチから着信音が響く。
即座に出ると空中ディスプレイに通話相手の映像が浮かび上がった。
「大変です! 例の卵にひびが入りはじめました!」
ディスプレイに投影された男が切羽詰まった様子で早口に捲し立てる。
「――! 桜井さん! 今すぐに私、
「!? はっ、了解致しました! 失礼致します!」
急転する事態であった。桜井は返事をすると踵を返す。
ダンジョン対策特別措置法が制定された後、ダンジョン崩壊等の一刻も許さない事態が発生した場合、ダンジョンの管轄地域である長か又はそれに準ずる者は速やかに政府へ連絡をする事が義務付けられている。
この猫島でも20年前の災害があった後、卵の件もあり島民の行動指針マニュアルを作成していた。この時期は祭りの為に通常なら内外からの観光客で溢れているのだが、このような事態なので関係者以外の島及びダンジョンへの立ち入りは当然ながら禁止している。
幸い今回は既に一部の関係者を除き島民達は全員避難済みであり、異常事態を政府をはじめ関係各所に伝えるのみである。
長である神楽の叔母、猫草鈴音市長はさきほど避難を開始したのでこの件は知り得ない。しかも今さら彼女に連絡しても行政特有のたらい回しにしかならないので、島の実質頂点である神楽が判断を下したのだ。
はっきりと言ってしまえば、猫宮神社の宮司は創建当時から島の代表も兼ねており、市政制度になってからも実際は市長よりも権力は強い。
それはこの島に暮らす者ならば誰でも知っている裏事情であり、不文律でもあった。もちろんその事に文句を言う島民は一人もいないし、なんなら選挙制度が始まったばかりの頃は市長選挙の度に立候補もしていないのに、その時の宮司の名前を書く者が9割を越えるという珍事に見舞われたという。
「誰かっ、誰かいますか!」
神楽が必死に叫ぶ。呼び掛けに現れた一団が、膝をつき側に控える。
「神楽様、ここに」
「すぐに卵の様子を見に参ります! それと残っている者は戦えない者達から船で避難をさせて下さい!」
「「「はっ!」」」
神楽は御神札を装束の中に大切にしまうと、急ぎダンジョンへと駆け出す。
残念ではあるがダンジョンの内外では身体能力に明確な差が生じていた。
ダンジョンの中ではレベルによっては超人のような身体能力が出せるのだが、一旦外に出てしまうと元の普通の身体能力に戻ってしまうのだ。ただし、アイテムボックスやポーションなどの類いは何故か外でも使用可能である。研究者達は必死にこの謎を解き明かそうとしてはいるのだが、未だに解明はできてはいない。もちろん外に這い出した魔物にも、銃火器及び現代兵器類は一切通じない。
つまりこれが何を意味しているのかと言えば、一旦魔物が外に出てきてしまうと最早人間の力では、対処が不可能になるという事だ。
「みなさんご無事でいて下さい……猫神様どうかお守り下さい」
◇ ◇ ◇
――首相官邸
「猫宮総理! お嬢さ……失礼しました。猫島の猫宮神楽様から例の件で緊急連絡が入ったようです」
背が高く、仕立ての良いスーツを着こなした青年が執務室に駆け込みながら告げる。
告げられたのは第112代内閣総理大臣であり、この首相官邸の現在の主である
名前が示す通り神楽の実の父親で、意思の強そうな瞳や筋の通った鼻、体幹がしっかりした身体など彼女によく似ていた。
「かぐ……猫宮宮司から!?――ではとうとう始まったのか」
「そのようです」
「それで妹、市長であるすず……猫草君は?」
「は、さきほど船で避難を開始し、島を離れたとの事です」
「そうか……よし! 豊橋君、急ぎ対策本部の設置を! それとこの日の為に小笠原近海に配備している護衛艦イージスの”じんらい”と哨戒艦の”ぶこう”と”ざおう”の2艇を猫島に急ぎ向かわせてくれ」
「はい承知致しました、失礼致します」
命令を受けた豊橋という青年が礼をし、執務室から足早に去っていく。
その姿を目で追いながら鈴之介の隣に居た壮年の女性が口を開いた。
「鈴之介様……神楽お嬢様は大丈夫でしょうか?」
「あの子の事だ。上手く立ち回るだろう……何かあれば、妹の鈴音と同じく島を放棄して逃げてくれれば良い。それに君の旦那さんが娘の側に付いているからね、桜井くん」
「あのハゲが役に立つと宜しいのですが……最悪、お嬢様の肉の盾に成れとは常日頃言い聞かせてますが」
猫宮に桜井と呼ばれた女性は、眼鏡のツルを片手で触り位置を直すと侮蔑の混ざった口調で言葉を言い放つ。
「相変わらず夫婦仲が良さそうで安心したよ、猫足衆39代目頭領、
「猫宮様、今の私はお仕えする忍ではなくて、総理の政務秘書官です」
「ふふ、そうだったな」
頭領であるという言葉を即座に否定した千鶴は、総理である猫宮の愛想笑いに冷ややかな目で見つめ返した。
「それにしても総理、地上に出てきたダンジョン産の魔物にも現代兵器の類は効きませんが……?」
実は多くの国民にはいまだに伏せている事実ではあるのだが、政策秘書である千鶴は国家の重要機密事項も把握している為、今の言葉が口から出たのだ。
まあネットではその手の映像が世界中に出回っているし、飛行系の魔物を討伐できずに世界中の国家が制空権を奪われている時点で、周知の事実となっているのだが。
千鶴の言葉に総理と呼ばれた猫宮は一瞬思考するが、すぐにこう切り返した。
「確かに効かん。だが怯ます事も出来るし、避難してきた者達を収容する事も可能だ」
「お嬢、神楽様の逃走の手助けを国家権力を使って……ですか?」
「猫宮君だけではないよ。桜井くん、君の旦那の幸夫君も探索ギルドの幹部達も、残っている者全員だ」
「……あのハゲには名誉の討ち死にを希望します」
夫婦にしてはかなりの辛辣な言葉なのだが、この責任は幸夫と呼ばれた男にある為、たとえ目の前で吐かれても口答えはしないであろう。
「まあその件は置いておくとして、今は猫島の件が喫緊だ。対策本部へ急ごう」
「私事で失礼致しました、総理」
椅子から立ち上がった銀之介に、千鶴がハンガーラックから背広を取り出して着させる。
背広のボタンを止めた鈴之介は一呼吸置き、肺から空気を出しきると両手で自分の頬を思いきり叩いた。
「よし! 行くぞ!」
「承知致しました」
――二人が出ていった執務室には、これから起こる悲劇を微塵も感じさせない一時の静けさだけが漂っていた。
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