始原の魔女と猫島
武蔵千手
序章 始原の魔女と運命のモフモフ
「こ、これは何っ!?」
白いフード付きのローブを纏った少女が一人、驚愕の目を見開いて叫ぶ。
震える手から”絵”の付いた書物らしきものが床に無造作に落ちていく。
側には白く発光する球体が空中に浮かんで部屋を照らしていたが、彼女の動揺と連動するかのように激しく点滅をはじめた。
「……ふぅ、危ない。ちょっとあせった」
大きく息を吸い、深呼吸をする。
書物を見るのに邪魔だったのかフードを無造作に脱ぐ。
そこに現れた顔は、少し眠たそうな感じではあるが二重まぶたの大きな紺碧の瞳、流れる肩までの真っ直ぐ伸びた白銀の髪、薄紅色の蕾のような唇。
幼さの残る顔立ちだが誰が見ても十人が十人、美少女だと答える可憐な容貌であった。
「――長い間生きてるけど、こんな衝撃は久しぶり」
そう、幼さの残る儚げで可憐な美少女なのだが、自分で言う通り実年齢は外見と比例していない。少女は気が遠くなる程の永い時を生きてきた魔女なのである。
(この世界を隅から隅まで果ての果てまで探求し、存在しうる全ての書を読み尽くし学ぶべきものは全て糧に変えた。私がこの世界で知るべき事はもうない……だからこそ異世界の知識を学ぼうと、召喚魔法で異世界の書物を顕現させてみた。成功はした……)
一人で思案に暮れながら床を見る。
床には複雑な紋様が刻まれた魔方陣が描かれていた。
この魔方陣は少女が、それこそ数千年を掛けた知の極致といっても過言ではない程の叡知を結集し、構築された魔方陣なのだ。
ちなみに召喚した書物は盗んだ物ではない。構築している文言に『所有者がいない放棄された物である事』と刻んである。
「予想外。私の知識をたぐっても世界の何処にもいない」
そう言うと床に落とした異世界の書物を拾い上げた。
見れば見るほど魅力的な表紙である。残念ながら今の段階では少女は異世界の言葉を理解できないのだが、それでも”絵”を見るだけでも心踊るのだった。
そして表紙に描かれた”絵”をジッと見つめ再びページを捲ろうとするが、手をふいに止める。
「無理、絶対暴走する。更地になる……力の逃げ場がない空間もダメ」
この部屋には万が一の事を考え、多少の衝撃ではびくともしない位の結界処理はされているのだが、それでは不十分だと考えたようだ。
(何処か――ん、あの場所ならきっと大丈夫……移動する)
何やら一人でブツブツと逡巡していた様子であったが、突如として鼻息も荒くフンスと気合いを入れ直すと、書物を左腕に大事に抱え空いた右手を振りかざし呪文を唱えた。
「
頭上に床と同じような紋様が刻まれた魔方陣が現れ、一瞬のうちに少女の姿をかき消す。
いつの間にかあの白く光る球体も無くなり、少女の存在が消えたこの空間は静寂と魔方陣から発光する淡い光だけが支配していた。
◇ ◇ ◇
「ん、ここなら大丈夫」
あの魔方陣が描かれた部屋から一瞬のうちに少女が転移してきた場所は、はるか地平線を望む死の砂漠と呼ばれる大地であった。
時間は昼過ぎで太陽が真上にあり、周囲は熱波で埋め尽くされているが平然としている。
少女の羽織るローブは自分で製作した魔法のローブであり、周囲の環境に応じて常に身体を快適な状態で保護してくれる優れ物だ。
(ここは半径200km圏内に人はいない、資源類もない。でも一応結界を張っておいて力の放出を空へ一方向に……あの真っ暗な空の空間なら大丈夫だと思う)
物騒な事を呟いている様子であったが一人で納得すると、右腕をせわしなく動かしながら呪文を唱える。
「
魔方陣が重なり合うように現れ、ピキピキと音を立てたかと思えばそれはまるで水が氷の結晶になる瞬間のように、透明な結界が少女を囲うように多重に構築されていく。
「ん、結界はよし。後は――
側に亜空間が出現し腕輪と足輪らしきものが空中に突如現れ、魔力減衰の魔道具は両腕両足に吸い付くように装着されていく。この魔力減衰の枷は実力重視だけあり、性能は折り紙つきである。
装飾は殆どなく武骨な魔道具だ。可憐な美少女が身に付ける物としては、お世辞にも似合っているとは言い難い。
ちなみに身に付けている物と亜空間倉庫に保存している魔道具は、全て少女の生産品だ。
「ん、これで大丈夫……――見よう」
準備万端整った所で今一度気合いを入れ直し、未知なるその書物のページを期待を込めてゆっくりと捲った。
「……はぅぅっ!?――い、今のは危なかった。最初から危険……」
口を右手で抑えながら必死に何かを我慢している。その目にしている書物の"絵”に悶絶しているようで、フゥーッフゥーッと荒い呼吸を繰り返し吐き出した。
(まだ大丈夫…落ち着いて見ればいける)
慎重にページを捲っていく。
ゆっくりとだがその”絵”に慣れてきたのか、ページを捲る度に興奮していた少女も落ち着いた様子を取り戻したように見えた――のだが……あるページで手が止まると身体が小刻みに痙攣をしだす。
「うっ!? あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!! あばばばばばばばばばばぁぁぁぁぁっっ!!!!」
まるで雷に貫かれたような衝撃であった。
絶叫が砂漠にこだまする。
同時に膨大な魔力の渦が結界外にも吹き出し、砂塵を撒き散らしながら暴れ出す。
「あっ――――!」
口から漏れ出たその言葉を皮切りに、凄まじいまでの光の奔流と衝撃が決壊し少女を中心として轟音を響かせながら爆ぜたのだ。
砂塵をまとった光の柱が空を突き抜ける。少女から生み出された恐ろしいまでのエネルギーの固まりは、雲を割き真っ暗な空に到達する頃にようやく光も消え、魔力波が終息し砂塵も塵になって消えていくのだった。
地上を見ると結界のおかげか、危惧した程ではなかったのが幸いである。
「……あへぇっ、えへぇっ」
しかし少女の方は……美少女が絶対に見せてはいけない顔をしていた。
目は白目を向き、口はだらしなく開き、その口からはヨダレが垂れ流しになり、鼻からは鼻血が垂れている。髪は無残にもチリチリアフロになってしまっていた。
最早、可憐な美少女だった面影は残念ながら一切ない。
一見気絶しているのかと思いきや、実はこれ以上ない位の至福の表情であり恍惚に浸っているのである。
(はっ!? 私は一体……顔が、汚れてる?)
「――
我に返ると、顔が酷い有り様になっている事にすぐ気が付き、呪文を唱えると元の綺麗な顔に戻る。
余談だが、清浄の魔法効果はローブにはわざと組み込んでいない。常時発動型の魔道具と相性が悪いからである。
その最たるものが化粧だ。清浄の魔法が発動すると化粧を汚れと判断して落ちてしまう。
少女は余り化粧をしないが、公の場に立つ時は薄化粧を施したりする。なので清浄魔法は面倒くさいながらも自分でかけるようにしているのだ。
「……あの”絵”あれは危険、恐らくあれは神が描いた神器に等しい物」
ぶっちゃけて言えばそんな大層な物ではない。
フワフワした未知なる生物の赤ちゃんと思わしき6匹の個体が、互いに寄り添い合い寝ている”絵”が描かれていたのである。
たしかに人によってはそれは至高の逸品なのだが、今の少女が知る由もない。
(これ程の破壊力を持つ書物がある異世界、気になる……というよりこの未知なる生物に会ってみたい)
少女は考えていた。恐らくこの書物に描かれている”絵”の生物は実在しているのだろうと。既に絶滅している可能性もあるかもしれない。
絶滅していなくても”絵”を見ただけでこの有り様だ。実際に出会ったらどんな影響を異世界に及ぼすかわからない。
だが、そんな迷走した気持ちとは裏腹に少女の探求心と研究欲、そしてなによりこの”超絶かわいい癒し系モフモフ”を愛でたい! その欲求に抗える訳がなかった。
「ん、この書物のあった異世界へ行く。書物を通して”縁”ができた今、向こうへの道筋も今の私なら構築できるハズ……」
決意をしたのか、いつも無表情であるはずの顔にも綻びが混じる。
そもそも異世界の書物を召喚したのは、この世界に学ぶ事が無くなったからである。元々異世界の書物の言葉を理解する為には、異世界に行かねばならなかったのだ。
書物を召喚したのは、少女が異世界へ行く為の”縁”を繋ぐ事に過ぎない。
まあ可愛い未知なる生物をモフり愛でたいというのが八割方の理由であるが、残り二割は純粋に知識欲からきているのだ。
(そうなるとあの部屋に一旦帰るべき。影響は……その時考えよう。まあ、いざとなればアレを使えばいい)
既に少女の考えは、未だ見ぬ異世界への道筋へと移行していた。
そして来た時と同様に、左腕に書物を大事に抱え右手を振る。
「
◇ ◇ ◇
時は少し巻き戻り、少女が天に光の柱を上げていた頃……死の砂漠を領する王国の城内部では大混乱が起きていた。
その王城のひときわ警護が厳しく入り組んだ場所。
謁見の間と呼ばれる場所に甲冑を着込んだ兵士らしき者が飛び込み、玉座の前まで来ると膝を付き最上の礼を捧げながら言葉を放った。
「恐れながら陛下に申し上げます!」
「一体何事だ! 陛下の御前であるぞ!」
駆け込んで注進をしてきた兵士に対し、威圧しながら言葉を放つのは玉座の側に控え立っている片眼鏡に口髭を生やした痩せ身の男である。
「申し訳ございません! 火急時なればひらにご容赦を!」
「良い、直答を許す。その急ぎの用とらを話せ」
口髭と顎髭を蓄え、豪華な衣装に身を纏い、これまた豪奢な玉座に座っている王様然とした男は兵士に向かい、そう言葉をかけた。
「はっ、言上致します!……一刻ほど前に南の死の砂漠にて、突如として超巨大な魔力が天に向かって放たれました! また、その光景を目撃した大勢の者達は『世界の終焉だ』と口々に叫んでおり、大混乱に陥っている模様です!」
兵士が一息に外で起こった出来事を報告する。
「はぁー、何て事だ。また始原の魔女様が何かおっぱじめたのか……」
報告を聞くなり王は溜め息をついた。この騒ぎの元凶が既に解ってしまったからである。
そして一気に憔悴した様子になり、頭を抱え言葉を漏らしたのだった。
「これが始原の魔女様の仕業だと思われているのですか、ダルセン陛下?」
「そうだ。それだけの魔力を放出できるのはこの世界には、始原の魔女様かお弟子の12賢者の方達しかおらん……だが、賢者の方々は事前連絡もなしにこのような暴挙をなさるとは思えん」
片眼鏡の男の問いに、ダルセンと呼ばれた王は確信があるとでも言いたげに、まくし立てた。
ダルセンに始原の魔女様と呼ばれたかの少女は、実に酷い言われようであるがはっきりいって自業自得の節があるので庇いようがない。
「ともかくこうしてはおれん――オーゲン! そこな兵士と共に急ぎ関係各所に状況の把握と鎮静化を、被害があればその対処に当たらせよ! また連絡がすぐに取れる賢者の方に至急、応援要請を致せ!」
ダルセンはフンッと気合いを入れ直すと、椅子から立ち上がるなりオーゲンと呼んだ片眼鏡の男に手際よく指示を飛ばす。
「!? は、ははっ! おいお前、名は?」
「はっ、チェスターと申します!」
「よしチェスター行くぞっ、付いて来い! ダルセン陛下、御前を失礼致します」
「はっ! 陛下失礼致します」
ダルセンに檄を飛ばされたオーゲンは、チェスターと名乗った兵士と共に事態の収拾を図るべく踵を返し、即座に行動するのであった。
「フゥーッ、やれやれ……最近は静謐であったから完全に油断していたわ――始原の魔女様……今度は一体何を始めたのですか?」
椅子に勢いよく座り直したダルセンは胸に貯めていた息を吐き出した後、天を仰ぎ静かにこう呟くのだった。
「まあ、始原の魔女様の事だ。きっと周辺に被害などは一切出てはおらんだろう」
◇ ◇ ◇
「ただいま」
始原の魔女と呼ばれた少女が転移魔法によって、件の部屋に帰還する。
あたりまえだが返事をする者はいない。
だが少女にとってそれは様式美な事であり、返事がない事が孤独であるとは思わなかった。
「
呪文を唱えると、白光を纏い空中にたゆたって部屋を明るく照らす灯火が出現する。
「まずは、この書物の軌跡を辿る」
そう呟くと書物を床に描かれた魔方陣の上に大事そうにそっと置く。
さすがの少女も緊張の為か深呼吸を何回か繰り返していた。そして覚悟が決まると今までとは違い、おもむろに長い詠唱を始める。
「始原の魔女が命ずる、遠き異界にて追憶に染まりし隔絶した世界を繋ぐ森羅万象よ。今、深淵の理に触れんと欲す。此処に至りて我に示せ――
その数瞬、床の魔方陣が強く発光しはじめたかと思うと書物から蒼い魔力の残滓が湧き出し貴族の家の門扉のようにかたどる。
「これは、海の魔力……海の近くにあった?」
物に宿る魔力の残滓とは、概ね近場にあった大きな魔素に影響されて残り易い。
大海である海は広大な魔素を内包しており、その色は蒼に分別されるのだ。
「この魔力の残滓の門をこじ開けるっ――ダメ、力が足りない……かなり遠くに異世界がある?」
はっきり言えば『かなり遠く』どころではない距離にあるのだが、少女はそれを知る由もない。
「そうだ、魔力減衰の魔道具……
強引に開けてもよかったのだが、向こうの世界への影響を鑑みて自分の枷を外す事を選んだ。
「
そう唱えると身に付けていた魔力減衰の枷が、亜空間に瞬時に吸い込まれていった。
直後、暴風なみの魔力の渦が少女を包み込む。
「うん、これなら楽勝……始原の魔女が命ず、異界より来たりし魂を繋ぐ道標たる門、交差せし叡知の鍵を授けよ。今、光陰を越え彼方へ――
枷が外れた事により、十全の力を出せるようになった少女は目をつむり慎重に呪文を唱える。
同時に両腕を門の前に掲げると、それまで固く閉じていた魔力の残滓の門が稲光に包まれ、轟音と暴風のような魔力風が部屋の中で荒れ狂う。
暫くすると錆びた扉が強引に開かれたような軋んだ音と共に門が開き、亜空間の入り口が繋がれたのだった……が――
――その直後、異変はすぐに起きる。
『『『『ブモオォォッッ!!!!!』』』』
『『『『『『グギャギャアァッッ!!!!』』』』』』
『『『ガァァッッ!!!』』』
開いた門に突如として、魔物が殺到して来たのだ。
少女の世界でも狡猾で醜悪な為に全方位から嫌われているオークやゴブリン、骨だけのアンデッド、スケルトンなどが開いた門に気付き、門に執拗に攻撃を始めたのだった。
「これは……魔物? 多い……カワモフちゃんは無事?」
突如開いた異質な門に対して、警戒心と敵対心が振り切れる程に憎悪を撒き散らす魔物達。だが、門はビクともしない。魔物達はさらにイラついたのか、四方八方から武器を門へ打ち付けている。
さらにはこちらに入ってこようとさえするが無駄である。始原の魔女と呼ばれた少女が、対策をしていない訳がない。
この門は開けた術者と術者が認めた者しか出入りは出来ない。
ちなみに門には薄い透明の膜が張っており、病原菌や大気中の有害物質等は一切、双方向へ通さぬように設計してある。
『ガァッ!』
スケルトンの一体である魔法を使うマジックスケルトンが魔法を門に放つ。
もちろんそれは跡形もなく掻き消され、門を通過する事などない。
……だが、少女の魔法は別だ。
少女の魔力でできたこの門は、彼女の魔法だけは透過させる事ができた。
「……鬱陶しい――
門の向こうにいる魔物達目掛け呪文を詠唱すると、魔方陣から無数の氷柱が飛び出し魔物へと容赦なく攻撃を浴びせた。
雪崩を彷彿とさせる轟音が鳴り止むと、門の向こう側にいたのは物言わぬ躯となった魔物達のおびただしい数の死体と、赤や緑の色とりどりの血と散らばった臓物等であった。
(汚い……でもカワモフちゃんは魔物の可能性もある?)
目の前の門の向こう側の惨状に嫌悪を抱きながらも、自分の求める生物の生態について思考する。
「
そして片手間で、魔物の死体の後始末と清浄魔法を行使する。
一瞬にして無数の魔物の死体は無くなり、地面は浄化されて清浄になる。
「カワモフちゃん心配、急いで異世界に行く」
異世界の思わぬ光景に心の余裕を無くす。
カワモフちゃんという生物の事を第一に考え、もしたとえ魔物だったとしても従魔してしまえば問題ない、そう思っていた。
歩を進め、異世界の入り口をくぐって行く。
少女が異世界へ消えると、途端に入り口は閉まり未知なる異世界の書物だけが取り残される。今の少女は知るべくもなかったが、その書物には異世界の言葉でこう書かれていた。
「――猫島写真集――
『猫島の全て 愛すべき猫ちゃん達のオフショット満載!』」と
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