第5話 ニーバちゃん


「だいじょうぶ? おちついて! ほら、深呼吸してみましょ? はー、すー、はー、すー」


「……は?」



 あまりに突然のことに、アルフェルノアは呆然ぼうぜんと、顔の前にあるものを見つめた。


 そこにあったのは……ええと。


 かわいらしい、ウサギの人形だった。



 いや、その表現だと正確にはちょっと語弊ごへいがある。


 うさぎの人形は、足がない代わりにミトンのようにすっぽりと手が入れられる構造になっていて、簡単にだが手や頭が動かせるようになっていた。

 いわゆるパペット人形というやつだ。


 って、今そこはどうでもいい。

 問題なのは。 



「あ、すー、はー、じゃないのはね? 最初に息をはいたほうが、力が抜けやすいからよ」


「いやそこぜんっぜん疑問に思ってませんけど!?」


「あら、そうなの?」



 やたら高い作り声とともに、パペットがかわいらしく首を傾げる。

 手で動かしてるだけなのに、動きがやたら滑らかでリアリティがあって、なんかムカつく。



「ってこれ、おかしいですよね!? 刺されるって思って、なんでこんな人形が出てくるんですか!?」


「まあ、そんなこと思ってたの? ぷんぷん!」


「かわいらしく腕組みしないでください!」


「……ったく」



 ため息とともに、パペットの後ろから低い声がした。

 それは先ほどの——アルフェルノアが最初に話しかけたときの、グレイの声だった。


 相変わらず三白眼は鋭い眼光がんこうを放っている。

 けど彼に敵意がないことは、もうわかっていた。



「で、どういうつもりなんです?」


「あ?」


「そのパペットですよ!」


「あー、ニーバちゃんか?」


「いや名前じゃなくて」


「俺、下の家族が多いんだけどよ。妹のミリが、家族相手でもうまく話せねぇことが多くて。それで」



 ひょいひょい、と。

 グレイがニーバちゃんの手を動かす。



「これだと話せるようになるからよ」


「……ば、バカにしてんですか!?」


「いやしてねえよ。現におまえ話せてるし」


「さっきから何やってんの?」



 ひとりでいるのに飽きたのか、さっきまで芝生に寝そべっていたミルダがひょこっと顔をのぞかせる。



「それ人形?」


「ああ。もう必要ねぇけどな」



 グレイが左手からパペットを外すと、とたんにくったりとウサギの頭が垂れ下がった。



「で、急用って?」


「そうでした。グレイさん、学年いち……いえ、学校いちとも言われるあなたの魔力を見込んで、お願いがあるんです」



 そう。グレイは、ミルダとはまた違った意味で有名な人物だった。



 魔法使いが魔法を行使こうしするために必要不可欠な魔力。

 車でいえば燃料タンクに匹敵ひってきするそれは、生まれた瞬間ある程度量が決まり、そこから大幅に増えることはない。


 その魔力において、グレイは他の魔法使いとは比べものにならないほどの力を持っていた。


 だからその魔力を使って、アルフェルノアはある実験をしようと思っていたのだが。



「……わりぃけど、俺は」


「あ、いえ! もちろんタダってわけじゃなくて……えっ、と……」



 断られそうな雰囲気を察したのか、アルフェルノアは慌ててブレザーのポケットから手帳をひっぱりだすと、そこから5枚つづりの紙を取りだして見せた。



「そいつは」


「食堂の食券じゃん」


「グレイさんは魔法系競技の助っ人をするとき、報酬に食券をもらってると聞きました。普段は3枚くらいだとか。僕の調査にお付き合いいただけるなら、こちらは全部さしあげます」


「へー、これ高いほうの食券じゃん」


「ええ。高くて滅多に食べられない高ボリュームAランチから週替わりスペシャルランチまで、なんでも選び放題です」


「でも5枚かー、1ヶ月分くらいにしたほうがいーんじゃない?」


「あのですね、これでもお小遣い的にそうとう身銭切ってんですよ!?」


「わりぃけど」



 ぴたりと。

 アルフェルノアとミルダが動きを止めたのは、その言葉が思いのほか重く響いたからだろうか。


 ふたりが顔を向けると、グレイはばつが悪そうな、苦々しい顔で地面を見ていた。


 その様子に、アルフェルノアはじわりと嫌な予感を覚える。



「……これじゃ、足りなかったですか?」


「そうじゃねぇよ。俺は——」

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