第49話




「全工程準備及び再設定完了。魔術【地獄の権化】射出」


 ソロンの口から出てきた人間族の声なのに人間族とは思えない感情が一切乗っていない無機質な声。シエルと会う前はよく、シエルの専属執事になる前はたまに発していた声であったため、シエルやエルフィーは聞いたことがあるし、一部のスラム街の者達ならすぐにソロンだと気づくだろう。どんなに酔っ払っていても一瞬で酔いが覚めてしまう恐ろしい声。まるで死神か冥界の住人がこちらを呼んでいるかのような。

 しかし、ソロンの周囲に術式が展開されているにも関わらず、――ソロンのことが怖くなったのではない――シエルがソロンの制服の袖を掴んだ瞬間、


「ッ!」


 一瞬、そう一瞬ではあるがソロンの顔が柔らかくなった。まるで子供を優しく諭すような、そんな顔を自分に向けたようにシエルは感じたのだ。

 そして、ソロンの周囲に展開していた術式が消失すると、


「あの〜、シエル様?終わりましたので、そろそろ私の袖から手を離してくれる助かるのですが・・・・・・」


 ソロンにしては珍しく歯切れの悪い口調で言う。いつもソロンが珍しいことをするとからかってくるエルフィーを見てみると、ソロンに背を向け、身体を丸め、誰にも顔を見られないようにしていた、ただし、肩が震えているため、笑っているのはバレバレだ。

 そして、シエルはというと、


「えっ?あ!」


 赤面していた。思考回路か言語能力かその両方かがキャパシティオーバーを起こしたのだろう。そうソロンは推察した。何故そうなったのかは考えなかった、というより、ソロンの直観が考えることを拒否している。このことをエルフィーやローズ、クライドなどに言えば大爆笑されるだろうが。


「それはそうと、早く手を見せてください。・・・・・・やっぱりか・・・・・・。おかしいですよね〜?他人の展開中の術式には不用意に触るな、近づくな、弄るな!シエル様にはそう何度も何度もキツく教えたはずですよね〜?それなのに、一体どうしてその約束を守れないんでしょうかね〜?本当に死にたいんですか?ン?」


 ソロンは場の雰囲気を変えようとしたが、変える話題が思いつかず、シエルへの説教となってしまった。特に最後の方は、一歩間違えると『ン?』が『あ゛?』に変化してしまいそうなほどに圧が強かった。周囲は誰も何も言えなかった。いつもなら、血統主義者辺りが『身分の差を弁えろ!』などと言ってくるのだが、その者達もソロンの強烈な圧を感じ、口を開きたくても開けない状態だった。寧ろ、余計な言動をとることでこちらも大人達の叱責の如き説教の巻き添えを喰らうことを恐れている。


「エルフィー先生♪ちょっとこちらまで来てくれますか?」


 現にエルフィーはコッソリとその場から立ち去ろうとしていた。

 しかし、ソロンはそれを見逃さない。逃走を考えるということは怒られるということも怒られる理由も分かっているのだろう。そう思ってソロンはエルフィーを呼んだが、誰が聞いてもそれは怖かった。『来てくれますか?』が『来てくれますよね?』と聞こえてしまうくらいには。何なら、『というか来い!』なんて言葉も聞こえてしまうほどには。

 ソロンの顔はニコニコして笑っていて、一見優しそうで、怒りとは無縁そうな顔をしているが、声を聞いた者や付き合いが長い者には分かる。これは相当お怒りのときの顔だ。ソロンはブチ切れると寧ろ感情がない冷酷無慈悲無情の顔をするか言動が荒々しくなることが多い。より正確に言うとすると、 “人” を “人” と思っていないような目を向けるか相手が死ぬまでとことん痛みつけまくる。無情か残忍か。ソロンをブチ切れさせた者は、たとえ更生しない極悪人であっても、その翌日には超が付くほどの善人になる。もしくは、。その代わり、彼は基本的に笑みを見せ優しく接する。それくらい懐や器がかなり広い。ただし、シエルが絡むとたちまち沸点が低くなる。シエルのためになら本気で怒るし、本気で慰める。本気で優しくすることもあれば、本気で突き放すこともある。怒ることも突き放すことも本気でやらなければ出来ないという理由もあるが。


 そんなソロンがわざわざ、『誰であろうと自分に近づかせるな!』と言ったのに、シエルが近づいて来たのに止めず、かつ、自分の袖を掴む為に展開中の術式に触れて火傷やけどさせたのだから、まだブチ切れてはいないが、その一歩手前辺りである。

 もし、エルフィーがこの後の対応をミスれば、肉体は無事でも精神が死ぬ。ソロンは何故か人が気にしている所を的確に当てて、それを更に嫌がる方向でネチネチと言ってくるのだ。そして言われている本人は『煩い!』と思うよりも『居心地が悪い』と思う方が先にくるという聞こえ方になる。よって、ソロンをブチ切れさせないことが宮廷内での不文律となり、どんなに地位が高くてもソロンの顔色を伺ったり、避けたりする理由でもある。ちなみに、魔法帝国の第一皇子アルバート魔法帝国の第二皇妃ヨランダはこのことを知らないから、ソロンに対し、躊躇なくあんな尊大な態度をとれるのだ。


「エルフィー先生、私が何のためにわざわざ魔術の行使中は近づかせないように頼んだのか、勿論分かっていますよね〜?展開中の術式は術者本人以外が触れると少しの場合は火傷程度で済みますが、長く触れると腕が使い物にならなかったり、切断されたり、消し飛ばされたりすることもありますし、術式が書き換えられて全く異なる術式になり、辺り一帯が吹き飛んで更地どころか荒野になってしまうことなどザラにあります。第八階梯以上の魔術は特に!なので、あなたには・・・・・・」

「え〜と、ソロン?そろそろ終わりにしてくれるとありがたいかな〜、なんて。ほら、エルフィー先生も心なしか縮んじゃっているわけだし」


 シエルの頼みがなければ夜まで地面に正座した状態で説教がガミガミと続いていたことだろう。そんなソロンだが、シエルの手を見せてもらった辺りから現在進行系で説教と並行しながらシエルに治癒魔術を行使しているのは流石であるだろう。ソロンはシエルとエルフィーにまだ何か言いたげではあったが、シエルの涙目に仕方がないと中断した。ソロンは本当にシエルに甘いのである。




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