万引き犯は居なかった

そうざ

There were no shoplifters

 その人物は、埃を被った小人の置き物を連想させた。背中の丸まった婆さんのような爺さん、または爺さんのような婆さん。人間、年を取ると顔付きから性別が判じ難くなるのはどういう訳だろう。

 ――間違いない、だ――

 距離にして五メートル、特売品コーナーの陰からその人物を注視する。店舗が大きければ自ずと商品棚も通路もその数が多くなり、死角を生み易い。夕飯時の混雑時となれば、他の客の存在すら隠れ蓑にするらしい。

 かねてより名立たる達眼の警備員Gメンにその存在を認識されながら、推定無罪の身分に安住し続け、その巧妙且つ面妖な奇態から『非実在性万引き犯』との異名まで冠された比類なき猛者、その名は〔蜃気楼ミラージュ〕。

 最も古い目撃例は、数十年も前のものである。その万引き歴及び件数は計り知れない。活動域も広範で、列島の北から南まで万遍なく出現している。

 各地スーパーにふらりと姿を現しては密かに犯行を重ね、まるで尻尾を掴ませない。神出鬼没にして希代未聞、変幻自在にして百挙百捷ひゃっきょひゃくしょう、紛う事なき〔蜃気楼〕。これまで幾人の警備員が満身創痍の果てに自尊心を失い、廃業へと追い込まれたか知れない。

 ――これは仇討ちでもある――

 三世代に亘って万引き犯の私人逮捕を司る我が家は、スーパー業界公認の由緒ある家系であるが、先発制人だった先代も、泰然自若だった先々代も、〔蜃気楼〕に手玉に取られ、その掌の上で踊らされてしまった。今頃は草葉の陰で歯噛み合い、互いのほぞを噛んでいる事だろう。

 買い物カートには既に何点かの商品が入れられているが、あれは疑似購入希望品フェイクに過ぎない。本当の獲物は腕に掛けた自前のバッグにこっそり入れるのだ。本来的には善意のアイテムであるエコバッグを悪事へと転用する外道。あまつさえバッグのデザインは選りに選って可愛らしい花柄である。


「バッグの中身を見せて頂けませんか?」

「法的根拠は?」

 意を決して挑んだ矢先の反転攻勢。微塵の動揺も見せず、〔蜃気楼〕は私の肩書並びに声掛けの用件まで見抜いた。

「これは任意の要請……百歩譲って懇願と言い換えても構いません」

〔蜃気楼〕は深い法令ほうれい線を軽く歪め、私を見上げている。を遵守しない不逞のやからにお似合いの嘲りが漂っている。

「未精算品は備え付けの買い物籠に入れて携行しなければならない、という法令は存在しない。利用者はその身を店内に置いている限り、例えエコバッグに未精算品を入れて携行しようとも、違法行為に手を染めているとは断言出来ない」

 なかば想定していた論理だった。先代も先々代も、そして数多あまたの警備員がこの抗弁に手を焼いたに違いない。全く以て手先のみならず口先の技術スキルも心得ている。

〔蜃気楼〕の悪質さは筋金入りだ。籠脱け、出戻り、持ち込み――万引きの手口には様々あれど、この老人は一度として被疑者の肩書きに堕した事がない。その独創の仕方で偶さか露見を免れて来ただけかも知れないし、警備員の存在を感知するやで退店するのかも知れない。

 悪魔の証明、量子力学的両義性、限りなく黒色に近い亀に追い付けない灰色のアキレス。

 ――虚仮こけにされ続けるしかないのかっ――

「宜しい」

 沼のように澱んだ〔蜃気楼〕の瞳が予想外の光を帯びた。

「今日は機嫌が好い故、特別に事務所でも何でも同行して進ぜよう」

「ご足労をお掛けします」

「晴れて無実となれば、それ相応の落とし前を付けて頂くがね」

 術中に嵌められた、かも知れない。しかし、ここで引き下がってどうなるものか。冤罪被害の肩書きを与えてなるものか。


 事務所の隅にある、長テーブルとパイプ椅子だけの空間。普段は長閑な休憩スペースが宿願の雌雄を決する対決の場となった。

 重量感のあるエコバッグをテーブルに置いた〔蜃気楼〕は、自らの身体もどっかりと椅子に預け、踏ん反り返った。中身を取り出すのはお前の仕事だ、と言わんばかりの態度である。

 私は、証拠品を扱うように一つ一つを取り出して並べた。


・パプリカ

・もずく酢

・マロングラッセ

・カニ缶

・焼き芋

・スリッパ

・せんぶり茶


 安価なものばかり。カニ缶もズワイガニを使った最安商品だ。総額は五千円に届かぬ程度か。が、元より問題は金額の高低ではない。

 エコバッグ以外に持ち物はないし、ポケットにはそれなりの厚みを有する財布のみ。他に商品を隠し入れる細工は見当たらない。

 店外へ出ていない以上、眼前の老人は万引き犯ではない。この現状にこれ以上、警備員として何が出来るのか。


 その時――私の身に天啓が降りた。

 それは、私人逮捕件数が三桁を超える私の職業病的第六感の為せる業だったのか、或いは三代に亘って連綿と流れ続ける正義の血が沸騰、覚醒したものだったのか。

 私は、震える手を以て七品の位置関係をおもむろに入れ替えて行った。


・マロングラッセ

・せんぶり茶

・焼き芋


〔蜃気楼〕の面貌に刻まれた大小無数の皺が蠢動し始める。私の寡黙にして確固たる仕分け作業が揺るぎない解答へと導かれている事を覚ったのだろう。


・もずく酢

・スリッパ

・パプリカ


 一見、社会構造の底辺で慎ましく息を潜めているかのようなこの老人の考える万引きとは、困窮の帰結でも、疾病の表出でも、露悪の具現でもなく、純然たる遊戯だったのだ。

 犯罪の魅惑にの醍醐味を加味し、えて自ら難易度を上乗せするという好事家的偏執狂。もしやこの御仁は由緒正しき万引きの血筋を継承せし者であろうか。

 しかしながら、古人の教えに、蟻の一穴天下の破れ、天網恢恢疎にして漏らさず、とある。どれ程に狡猾老獪であろうと所詮は人の子、侭ならぬものこそが人生である。

 れば、今こそどん尻に控えし一品を高らかに示そう。


 ・カニ缶


 くして、万引きを免れた七つの大罪、いやさ七品目が左から右へとそれぞれの定位置に付いた。

 すっかり蒼褪めた〔蜃気楼〕の渇き切った唇がその奥底に断末魔の慟哭を秘めて戦慄わななく。

 ――か、に、か、!――

 押し寄せる哄笑の大波が私の口腔内に溢れて猛り、今や遅しと勝利の雄叫びへと結実せんとしている。

 ――〔蜃気楼〕っ、ここに敗れたりっ!――

 このような失敗しくじりを犯しながらこの先も万引きを続けられる程、厚顔無恥ではなかろう。立つ鳥跡を濁さず、凡庸な小市民として市井しせいに埋もれ、無為な余生を過ごすが良い。

 ――我、今この時を以て積年の宿願を果たし、殊勲を立てるもの也っ!!――

 もとい、この期に及んで下品に堕してはならぬ。私は、時世の法規に鑑み、世情を平らかにせんと三綱五常さんこうごじょうの品行を為熟しこなしたまでの事。明鏡止水、仏の慈悲で粛々と引導を渡すが肝要である。

「この缶は何ですか? 声に出して言ってみなさいっ」

「……か」

「大きな声でっ、はっきりとっ」

「……かんづめ」

 缶詰め――次回は『め』から始めるらしい。

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