第22話

ー22ー


 さて鬱的人間に年末が来た。憂鬱の限りである。こうして年取っていき体がだんだん動かなくなるのである。階段から落ちた衝撃で肘を強打し左指が痺れていてミスタッチの連続だ。某ネットニュースは誤字脱字変換間違えのオンパレードであるが、校正する人がいないのであろうか。恥ずかしくないのだろうか。せめて書いた本人だけでも校正して欲しいものである。校正してくれるソフトができたら凄いと思うが、最後は人間が確認するしかないだろう。

 鬱的人間にとってこの世がどうなろうと基本的にどうでもいいのであるが、巨大地震だけは起こってほしくない。地震保険の加入率は高くない。家を失ったらどのように生活していくのだろうか。大混乱になるだろう。日本存立の危機になるだろう。日本沈没ほどではないが、一島が機能不全になる可能性はある。

 コロナの問題も相変わらず興隆している。ワクチンを打って治る問題だろうか。この辺りは未知である。変異に対応できるワクチンはできるのだろうか。この辺は誰でも心配な問題であり鬱的人間に限らない。

 だが鬱的人間は本当のところ人生を投げているのである。日本に世界に何が起ころうと自分が死ねば関係ない。これは誰にとっても真実である。死んで仕舞えば何がどうなってもいいのである。生きている限りの世界であり人生である。今、石原裕次郎の後年の作品を聴きながら書いている。実にいい曲が多い。だが彼を直接的に間接的に知っている人間はやがていなくなるのだろうな。時間をテーマにした曲が多い。彼は52歳という若さで亡くなった。40歳くらいから死を意識していた歌を歌っていたことになる。人生は少年期、青年期、壮年期、老年期と分けられるが彼のように飛び越えて生き急いでしまう人は生を燃焼するのが激しかったのだろう。

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