第15話

ー15ー


 子供の面倒など見切れない未熟な親が増えている。虐待のし放題だ。躾と称して親は子供を相当程度体罰を与えてもいいことになっている。法律上はどうか知らないが事実はそうだ。子供を真冬に下着で玄関の外に立たせたり、風呂に入れなかったり、過度な勉強の強要が溢れかえっている。こうした子供が運良く大人になったら、子供に対して自分がされたことをするらしい。本当はさせたくなさそうなものだが現実はそうなっている。虐待の連鎖、不幸の連鎖、貧乏の連鎖は大問題となっているが、政治は見向きもしないだろう。大多数がうまく行くことを第一に考えているからだ。少数者の不幸などどうでもいい。

 ところで私は2世3世が大嫌いだ。こいつらは生まれながらに生活に困窮していない。家庭教師をつけていい学校へ入ることができる。そして出来のいい嫁や婿をもらって、ますます栄えていく。私は大富豪は全て恵まれない人に寄付すべきだと思っているし、死ぬ前には葬式代だけあればいいと思っている。息子や娘は自分たちの力だけで生きていくのだ。同じスタートラインに立たせるべきだ。私は競争も嫌いだが、今は競争すらできない状態になっている。このガチガチに固まった社会制度を変える政治家が現れないかと思っている。期待はしていないが。


 さて重度障害者のことを書かねばならない。私は「やすらぎの苑」であの事件をフィクションの形で書いた。この重度障害は誰の責任になるのだろう。両親が普通であればまともな子供が生まれそうだがそうでもないようだ。これは誰の責任でもない、敢えて言えば神の責任ということになるが、どういう神の責任なんだろう。神様が日本は一杯いて区別がつかぬ。重度障害の子供を育てるのは並大抵の苦労ではない。だが大多数の親は懸命に育てている。何の因果なんだろうか。何か悪いことをしたのであろうか、先祖の怨念か、などと行っても始まらない。今日もまた現実に向き合い、親は終わらない苦労をしなければならない。この問題については「やすらぎの苑」に嫌というほど書いたから読んでほしい。だがあれは小説であり私自身の考えは反映されていない。極端に捻じ曲げられた世界が描かれているが、これは小説的な誇張もある。だが現実には私の小説以上のことが行われているんだろう。第2、第3の植松はごっそりいる。素晴らしい看護師も大勢いる。幸運に人生を終えられることを祈る。

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