第5話

ー5ー


 私がこれを書くのはまだ生きて活動しているからである。あと何年かは生存するらしい。だが鬱病らしいから突然途絶えることもある。鬱病とはコロナウィルスのようにしつこく人間に付き纏い、人はどうしても死にたくなる生き物らしい。生きるのは苦であると言ったのは釈迦であるが人間はどんなに幸福の絶頂にいても死にたがる生き物らしい。これは昨今の芸能人の自死をみても明らかである。生きたい気持ちと死にたい気持ちは交互にまたは同時に起こる。どんなに笑顔で笑っていても腹の底ではいつ死のうか考えているのである。これは矛盾していないかと思うのだが人間とは矛盾の生き物であるらしい。そうである以上何が起こっても仕方がないのである。

 私は今日6時間寝た。いろいろな夢を見て眠った気がしない。本人はただの夢とは思ってはいない。まともに相手をするから疲れて仕方がない。体の方も痛くてロキソニンを手放すことができない。生きているのが楽か死んでいるのが楽かと言われれば断然死んだ方なのだが、死ぬと楽になった主体が消えてしまうから楽も何もない。だから生きているうちは特に年取ったら楽に生きるべきである。

 昨日は小難しいことを書いた。ドストエフスキーはもっと短ければいいが読むのにいらない部分が多いし分かりにくい。難しいことを分かりやすく書くのがこなれているというのである。おそらく本人も書いていて混乱していたのだろう。本人の手に負えないことを書くから難解になってしまうのである。世界中のドストエフスキー愛好者が難儀している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る