魂の在り処-エピローグ-
※
「
ペーターソンの怒声が、部屋中に行き渡った。寝室ではなく、執務室である。
いきり立つ
王宮内には王だけのための部屋がいくつもあったが、ケートネスは子供のころから今に至るまで、父がこの部屋を使用した姿を見た覚えがなかった。書類の束を大臣たちに押し付け、
「なんとか言わんかいっ!」
「……では、申し上げさせていただきましょう」
一瞬の
ペーターソンがぎょっとした。慌てて、写真をつかみ取った。
「こっ――ここ、これをどうやって」
写真を食い入るように見つめ、ペーターソンはひどく狼狽えた。
「僕としては、父上……どうしてあなたが
「いや、違うんじゃこれは……」
「彼女と僕との関係を承知の上で。あなたという人は……」
ケートネスの語気と目つきが鋭くなった。
「うっ。そ、それは……」
「目ぼしい
「な、なんじゃと……⁉」
「父上。そろそろ、僕に王位を譲る気はありませんか?」
「な、なにを馬鹿な! まだ
ふと、エリーゼの指示にはなかったことを、ケートネスは
持ち出すことにした。
「今のあなたにはもう、クノッヘン卿の後ろ盾はありません。父上なら、そのことの意味をよくご理解されているでしょう」
「ぐぬぬ」
とこぼし、小太りな身体を
「お選びください。後世に
言い放った直後、ペーターソンはうなだれた。深々と椅子に身体を預けて。やがて、
「……わかった。くれてやるわい」
力ない声で答えた。
ケートネスはひっそりと、安堵の息をついた。ここから退室するまでは、気丈であらねばならなかった。
一方で、
すべてはキミの目論み通り、事が運びそうだ。
廃棄区画は大騒ぎだった。
といって、それはロウェルがただ一人、巻き起こしている破壊音でしかない。瓦礫のなかから、分厚い鉄の板を引っ張り出しては、何度も叩いていた。その腕に杭打ち機はなかった。
「荒れてんねえ」
廃棄区画の若者が、珍しそうな眼差しをロウェルへ送った。ロウェルの友人の一人だった。
「準備はしておくかの」
闇医者であるパト爺さんが顎をひと撫でして言った。ロウェルの血に濡れた拳を、
一枚の鉄板を、くしゃくしゃに丸めた紙切れみたいな有り様にしたロウェルは、次の標的を探した。
苛立ちが、とめどなく湧き上がって仕方なかった。
新たな鉄板を見つけ出すと、地べたに突き立て、ロウェルは拳を握った。
殴った。約束を守れなかった。焦燥感を込めて。
殴った。助けてやれなかった。罪責感を刻んで。
殴った。力が足りてなかった。無力感を抱いて。
いつの間にか、ロウェルは叫んでいた。拳から血が跳ね、目元から頬にかけて赤く染めた。
「もう、いいんだよ。ロウェル……」
不意に背後から声がかけられ、ピクンとなってロウェルは動きを封じられた。それが、リザの声だったからだ。
「リザ……」
振り向いた先で、想像に反してリザは笑顔を浮かべていた。ちらと、その目がロウェルの両手を痛ましげに見た。
「そんなに自分を責めないで。ロウェルは、すっごく頑張ってくれたよ。もちろん、アズだって。エリーゼも」
「でも、リザ。おまえの姉ちゃんは――」
気抜け顔でロウェル。リザは静かに、首を横に振った。
「最期に逢うことができたから。アタシ一人だったら、叶わなかったよ、絶対」
「リザ……」
「それに、また逢えるから」
「えっ」
「いつか、あの樹のなかで。……きっと」
リザが遠い目をして、微笑んだ。視線のずっと先には、虹の大樹があり、七色に瞬く様子が、ロウェルにもわかった。
“いつか、また、あの樹で”と、ジェニュインが言っていたことを、思い出した。だれもが最後に行き着く先――理屈はまるで理解できないが、そういう場所であるというのは、わかる気がする。
「あっ」
そうだった、というふうにリザが目を丸くした。
「行こう、ロウェル。エリーゼが呼んでいたよ」
「エリーゼが?」
パト爺さんから両手の手当を施してもらうと、ロウェルはリザに腕を引っ張られ、エリーゼの呼び出しの場所に連れていかれた。
朝も早くから
活気に満ちた通りをエリーゼは歩いていたが、きちんと後ろに付いているフラワーゴーレムに視線を送ってから、
「さっきから浮かない顔ね」
隣を歩くアズランドの物憂げな横顔を窺がった。
アズランドは寒空を仰いだ。白い呼気が、一段と大きくなる。やり切れなさそうに言った。
「……けっきょく、俺はなにもできなかったからね」
「同じようなことを、ロウェルが言っていたわ」
「ロウェルは大活躍だったさ。少なくとも、自分の足で帰れたぶん、俺よりマシさ」
アズランドの口が自嘲じみた形になる。
この優男にとって、それが慰めの手段であると、エリーゼはわかるようになった。ほどほどに、付き合ってあげることにした。
「あなたはまたもや、あの子に運ばれてたらしいものね」
「特等席で見物させてもらったよ。彼女が壁をぶち破るのも、
アズランドは言った。それはもう痛快だったというふうに。笑い損ねた情けない顔で。
「……ずっと泣いていたけどね」
ややあって、肩をすくめて言い足した。
あなたが? という言葉を飲み込んで、エリーゼは先のことを訊いた。
「それで? 例の隠し通路から脱出したわけ?」
「そこからは、小さな肩を借りていたよ」
「至れり尽くせり、ね」
「まったくだね。……お姫様もありがとう」
アズランドが真摯な目で、こちらを覗き込んできた。エリーゼはとぼけて返す。
「あら? なんのことかしら?」
「あの
身振り手振りで具合を示してみせるアズランド。新調したらしい服装はさして変わらず、前より暗めの色合いになっていた。
「法外な値段よね。あそこの治療費」
とても一般国民が利用できる金額ではない。見直すべき点のひとつとして、エリーゼはそれを数えていた。
「七神のなかで唯一、治癒魔術を習得できるのは光の女神リーベ・ルチェ・エイルだけなんだ。少数派なのは、司るものが
「あなたには間違っても無理ね」
「そうだね。フォルティス・ヴェル・ヘルモーズが司るのは勇気だし」
エリーゼは聞いてもピンと来なかった。
それがアズランドの魔術の大元である神の名であるというくらいは理解できたが、魔導士というものに知識も関心も薄い。教義やら信仰やら、さっぱりである。
エリーゼの内心を察してか知らずか、アズランドが思い出したように訊いた。
「ところで、俺たちのことはバレちゃいないのかい?」
「地下を荒らしていった
意味深にエリーゼは答えた。アズランドが苦笑する。
「罪状すら曖昧そうだな」
「それだけ王宮もゴタついているのよ」
「宮廷魔導士が失踪。そのタイミングで、国王が
「失踪に関しては、あなた的にしてやったりってところ?」
口にしたあとで、踏み込みすぎたかとエリーゼは思った。だが別段、アズランドは思いつめた様子はない。真面目腐って、こう告げた。
「……アイツは優れた錬金術師だったさ。だれもが認める天才だ」
「妙にもてはやすわね」
「それ以上に、大馬鹿野郎だよ。死んだ人間は
「そうかもしれないわね……」
少し迷った末に、エリーゼは言った。根深いものを感じながら。
不意にアズランドが、遥か先の虹の大樹を見遣った。
「……あの樹のどこかに、まだキミは――」
ぼそりとつぶやくアズランドに気づかず、
「ここよ」
エリーゼは目的の場所に到着したことを教えた。
それは年季を感じるが、
塗り替えられてまだ真新しい看板には、〈
エリーゼはアズランドに、事前に説明していた。
ここが創設されたばかりの国営ギルドであるということを。国民の問題解決を、幅広く請け負う施設であることも併せて。
「お姫様が見せたかったものが、これか。なんでも屋をやってる連中はご立腹だろうね」
「べつになんでもやるわけじゃないわよ。内容次第ね。依頼料だって、適正金額で支払ってもらうし。自称なんでも屋も、ここで働かせればいいのよ」
「しかし、これまでのお国の方針とは思えない施設だ」
アズランドは建物からエリーゼに視線を移した。種明かしを期待するような目つきだ。
「次期国王様の助力があったのよ」
気乗りしない調子でエリーゼは返した。
「なるほどね」
アズランドは感心していた。
「つかみどころがないロウェルの夢に、お姫様が
敬意を帯びた声遣いで言うと、再び看板に目を向けた。看板の中央を飾る天秤のエンブレムに。
エリーゼの顔が自然、嫌な顔になる。つくづく、核心をついてくる優男だと思わずにいられない。
「それで、どう? 働き口としては、悪くないと思うけれど」
この優男は、近くに置いておくほうが、まだ気が楽だと判断していたし、実力もそれなりに買っていた。
「お給金は出来高制で増えたりもするわよ」
「ギャング相手に仕事するのも、おしまいにするか。ロウェルに睨まれるのもおっかないし。せっかくのお誘いだし、ご厄介になろうかな」
「良い心掛けね」
エリーゼが頷いたとき、横合いから慌てたような声が飛んできた。
「ア、アタシにも手伝わせて!」
エリーゼたちが通って来た道とは反対側から、リザとロウェルが姿を見せた。ばつがわるそうに顔を背けるアズランドは放っておいて、
「ええ、もちろん。いいわよ」
エリーゼは喜んで承諾した。
そして、ロウェルの顔を注視する。ここ最近までの塞ぎ込んでいた様子は、見られなかった。また一つ頷き、目配せでリザに感謝を示してから、
「アンタのことだから、どうせなにも飲み込めてないんでしょうね」
ロウェルに声をかけた。
「失礼なやつだなー。なんとかっていう施設だろ」
案の定、というようにエリーゼは笑った。面白そうに告げる。
「アンタはこれまで通りやっていればいいのよ。それで、お金ももらえるようになるってだけよ」
「マジ⁉」
ロウェルが
「うしっ。これからはもっとビシバシやってくかー!」
「ええ、まだ、これからよ」
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