4
「リーズィヒット・クノッヘン」
アズランドは壁に背を預けながら、忽然と姿を現した相手の名を呼んだ。リザによく似た少女を傍らに伴っているのを見遣り、ふたりの足元にある、複雑模様の光点に眉をひそめていた。
「さすがグランドマスター。難解な転移魔術までお手のものか。この短い移動距離では、魔力の消耗も期待できそうにないな」
「お姉ちゃん!」
リザが悲痛な叫び声を上げた。
クノッヘンの隣で少女が、かすかに身じろぐ。か細い声がした。
「……リザ?」
目に光が宿り、そして消えた。
「お姉ちゃん……」
もう一度、呼んでみても、反応はない。その空虚な瞳にリザの姿を映してはいても、それ以上の意味はないようだった。
「あれが、リザのお姉さんか」
アズランドが姉妹のやり取りに目を留め、つぶやいた。目を閉じ、頭を振る。その憂いを断つような所作のあいだに、
「お前がリザたちを……。こんなことは、もうやめろ! 死んだ人を生き返らせたいって気持ちは、わからなくはないけど。こんなやり方は間違ってる!」
ロウェルが力いっぱい怒鳴った。
「なんだ、お前たちは」
意に介したふうもなく、クノッヘンは問う。
静かなる怒り。そんな語調だった。
「
溢れかえり舞う妖精たち。
「オクトーベルが残らず破壊されるだと……?」
崩壊したゴーレムの数々。
せっかく作り上げた雪ダルマが、翌朝には溶け崩れていて衝撃を受ける子供。ロウェルが抱いた連想が、目の前のクノッヘンと繋がった。
創造物を台無しにされた嘆きをなんとなく察して、ロウェルは言ってみた。
「ぶっ壊したのは悪かったけど、もともとはアンタが聞き分けないからじゃん」
「いずれここも、私の――私と、ライラだけの領域になる場所だ。それを踏み荒らすなど、あってはならない」
会話にならないな。ロウェルが呆れて思ったとき、空を切る音がした。クノッヘンの額に突き刺さるナイフを目の当たりにし、目を丸くさせた。
「あってはならないのは、アンタという存在だよ」
爽やかな声質を低めてアズランド。手にはさらに一本の投げナイフがあった。
「アズさん、なにも……」
ロウェルが真に驚いたのは、そのときだった。
「よかろう。私が自ら幕を引いてやる」
クノッヘンが何事もなかったように告げたのだ。額に深々と突き刺さった刃から、血が滴り落ちているというのに。
その顔が砂のように崩れてゆく。やがて、
アズランドがその合間に、床に転がっていた
「本当に、いろいろやってたみたいだな……」
「えっ」
「魔術と錬金術。果ては、
「死霊術って?」
「魔術から不死のすべを
ロウェルとアズランドの会話のあいだに、砂塵が集まっていった。
人の形となった。巨大な
「不死って……」
ぽかんとロウェルは変貌するクノッヘンに、奇怪な眼差しを注いだ。
「それがあの姿なんだろう。道理で、初老を過ぎているにしては若く見えるはずだ」
「でも、ますます不健康そうですけど」
「不死に健康も不健康もないんだろうさ」
アズランドが軽口で返すと、リザのほうへ振り返り、
「あんまり、
笑いかける。
「……どういうこと?」
リザはきょとんと小首を傾げた。
「さっき、お姉さんはキミのことに気づいていたんだろう。例えいっときであっても。なら、望みはある」
「そうだ。諦めんなよ。一発くらい小突いてやれば、目が覚めるって」
ロウェルも屈託なく歯をみせて笑っていた。
「アズ……。ロウェル……」
胸を打たれたようになってリザは微笑んだ。大きく頷き、感謝を口にした。
「ありがとう」
同時に、くぐもった声が一面に響き渡った。
「
空っぽの巨大な
ジェニュインはただ、こくりと頷き、リザと差し向かう。それを一目見て、
「こっちは任せろ」
ロウェルは最後に一言だけ告げた。誓いさながらに。そして、
「うっしゃ!」
気合を入れて、クノッヘンへと向き直った。
「俺としては正直、どう戦うべきか見当もつかないんだけどね」
情けなさそうに苦笑するアズランドを、ロウェルは横目で見た。手にした片手剣を、心許ない様子で水平に構えている。
「
少し意地悪っぽい感じに言って炊きつけると、ロウェルは一目散にクノッヘンに向かって行った。
「いっそのこと、“場違い”だとでも言ってくれたほうが、気が楽になれたよ」
苦々しく笑うと、アズランドもロウェルの背を追った。
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「お姉ちゃんはアタシを逃がそうとしてくれてたんでしょう? アタシがあの人にいらないって言われる前に」
リザは人懐っこい表情で、姉に訊いた。このあいだまで、唯一姉にだけ見せる顔だった。
姉は応えない。けれども、構わなかった。
「夢のなかで、教えてくれたもの。……そんなふうになっちゃても、心配してくれたんだよね。嬉しかったよ、お姉ちゃん」
リザは姉を蝕む
胸の中心から鎖骨にかけて覆っている巨大な
ライトやレフト、そしてリザの身に宿ったものをかき集めたって、それほどの大きさにはならないはずだ。
視線を当てていた姉の妖精宝珠が、不意にキラリとした。見る間に、七つに発色していくさまに、
「お姉ちゃん……!」
リザは声を振り絞って呼んだ。とともに、リザも胸に手を触れ、妖精宝珠の能力を解放させていった。
諦めたわけではなかった。諦めないための力だった。
ロウェルが、諦めるなと励ましてくれたから。
アズランドが、望みはあると勇気をくれたから。
だから、絶望しないでいられた。
光り輝く
躊躇なく繰り出された斬撃を、リザは決然と受け止めることができた。手の甲に咲いた結晶で。
結晶を何度となく打ち交わし、何度も訴えた。
いったい、どれだけ、そうしていたのか。
姉の表情に変化はない。
変わったのはリザのほうだ。顔が悲痛な色に染まっていた。
深く悲しみが胸の内から膨れ上がる。それが自分のものであるのか、妖精たちに影響されてなのか、もはや判然としなかった。
ただ、涙はあとからあとから溢れた。
不意に、姉が大きく退いた。
戦うことに抵抗を抱いてくれた――そう、リザは
「……消し去る」
無感情に姉はつぶやいた。クノッヘンの
両腕の
妖精宝珠から蓄積された並々ならぬ魔力であると、リザにも知れた。一度、経験済みだ。あのときだって、完全に防ぎきれたわけではない。
リザは目一杯、妖精宝珠の力を発揮させた。
全身を守護する虹の膜が、色彩を濃くしてゆく。外部から透けて見えていたリザの姿が、七つの色で隠された。
まるで
同質の光が、姉の武器から解き放たれた。
せき止めていた川の水が一気に流れ出るが如く、虹の卵を襲う。壮絶にせめぎ合い、吊るされた電球が弾け、壁に亀裂を走らせた。
完全に防ぎ切っていた。
しかし、次第に
虹の卵の一部から、リザの顔が覗いた。
そこだけ殻が捲り取られたように。川の中で石ころが徐々に削られるのと一緒で。次々と殻は剥がれ落ちていた。
卵から膜へと戻されたリザの表情が、苦悶に歪んだ。
妖精たちが急速に燃焼した影響で、心が搔き乱されていた。喜怒哀楽――いずれにしても、それらをリザは彼らの悲鳴だと思っている。
意識が白んだとき、リザは咄嗟に口にしていた。
「ごめんなさい……」
妖精たちに対して。
「ありがとう……」
仲間たちに向けて。
リザの胸元の妖精宝珠の光が、弱々しくなり、今にも消え入りそうになった――
ガガガッ!
床から続々と尖った石柱が生え出していった。
ロウェルは、ちょっとびっくりしながらも、跳ねて回避した。
クノッヘンが、くぐもった声で新たに
「顔面を打ち砕くんだっ。あの
アズランドが指示を飛ばした。
「なるへそ」
ロウェルは納得する。
反射的に石柱をちょうどいい足場として蹴るや、クノッヘンの骸骨の横顔に、エテルノをお見舞いした。
前に一度、砂場に杭打ち機をぶっ放してみたときとそっくりに、砕けた骨が大量に舞った。
降り立ち、やや苦労気味に、ロウェルはエテルノの握り手を引き上げる。
認めたくないが、ロウェルはもう、
今まで、こうまで立て続けに杭打ち機を使用したことはなかった。特に、火薬式のエクリクスィは、負担が強い。おまけに
ロウェルもさすがにげんなりした。
クノッヘンの顔が、時を
「
アズランドがロウェルの隣で苦笑した。
やってられないよ、という具合に、剣身が
「なんか手はないんすか?」
そんな現状報告よりも、と渋い顔でロウェル。
「本来なら、戦わずに済ませる段取りだったからね」
アズランドもいっそう、眉を寄せて肩をすくめた。
そこでまた、クノッヘンの詠唱が聞こえ始めた。
「なんか良い手を思いついたら、言ってくださいよっ」
不敵に笑い、率直的に打開策をアズランドに託すと、ロウェルはクノッヘンの封殺に専念することにした。
今度は顎先を打ち壊し、仰向けにさせる。
「そんな妙案があればとっくに――」
愚痴っぽく言いかけ、アズランドの肩がビクッと震えた。おそるおそる、首を回した。
虹の荒波が
「リザ……」
リザが意識とともに、
「
虹の
「アズ⁉」
叫んだのと一緒に、リザの妖精宝珠が無色へと戻った。
「
虹の薄膜もわずかに遅れて消失した。と同時にアズランドが、
「
リザの目の前に割って入り、突き出した両手から魔障壁を展開させた。
直方体で築かれた青々しい魔力の壁を。
それは見事に、虹の津波を受け止めてみせた。思いっきり息を吸って、深く吐き出すくらいのあいだは。
魔障壁が押しやられ、崩壊を予感したアズランドは、せめて両腕で顔を保護するだけのことはした。
魔障壁が打ち消され、アズランドの全身が虹に晒された。リザの姉が照射する妖精宝珠の魔力に。
が、ほどなくして、不意に灼熱感から解放された。
うっすら開けた目に、リザの姉が両手を下げているのが見えた。
とりあえずは、底をついたのか……。
そこまで認識できたところで、アズランドは横倒れになった。
「アズ⁉」
リザが血相を変えて、アズランドに近寄って両膝をついた。
途端、アズランドは安堵した。リザには危害が及んでいなかったらしい。
「残るありったけの魔力で、可能な限り分厚い構築をしたはずだってのに……
自嘲が口をついて出たが、呻き声が抑えられなくなった。
衣服が焦げつき、酷いところでは焼け
それらを見て、リザの顔がいっそう青ざめた。
「アズ、どうして」
「なんでだろう。よく、わからないな」
激痛にも少し慣れてきて、アズランドは苦笑してみせた。
「アズ……」リザの目尻に涙が溜まってゆく。
アズランドはありのままを、にこやかに述べた。言わずに後悔したくはなかった。
「ただ、今度は――“そうしないで良かった”じゃなく、“そうすることができて良かった”って、思えたよ……」
リザの目から涙が溢れた。もはや言葉にならなかった。
幼い子供のように、泣きじゃくった。
見るに堪えず、アズランドは口を開こうとした。
その前に、声が聞こえた。
「リザ?」
リザの姉――ジェニュインだった。
目に光を宿し、痛ましげな表情を湛えている。
「お姉ちゃん⁉」
涙に濡れた顔で、リザが叫んだ。
「
ジェニュインは、優しく微笑した。
水を差すようで気が
「自我を、取り戻したのか?」
ジェニュインは
「きっと、いっときのものでしょう。私には、今この瞬間が、夢のなかの出来事のように感じられます。……現実感が
「そんな……」
喜色を帯びたリザの顔に、失意の影が差した。
どうにかならないのか。問おうとしたアズランドより早く、
「あなたは、だれなのですか?」
ジェニュインが
「俺は……」
アズランドは言い淀んだ。不意を突かれたからでもあったし、自己紹介している場合なのか、と考えてもいた。
「あなたは、その子の――リザのなんなのですか?」
リザの姉は言葉を変え、もう一度、質問した。声の響きに、差し迫るものを感じたアズランドは、明快に答えようとしたが、うまくいかなった。
「俺はリザを殺そうとした。ミリアの
ジェニュインが苦笑いを表して頷いた。
「ちゃんとした説明になっていないな」
言い切ったことを
「いいえ。リザがあなたに心を寄せるわけが、わかった気がします」
「お姉ちゃん? アズ?」
涙の余韻を残したまま、リザがふたりに視線を行ったり来たりさせた。
と、そこにロウェルの声を各々の耳が拾った。苦痛の声だった。
三人が視線を向けた先で、ロウェルは床に叩きつけられていた。
それでも即座に身を反転させ跳び上がり、ロウェルは右腕の杭打ち機を炸裂させた。クノッヘンの巨大な骸骨の肉体を、上半身ごと吹っ飛ばすに至ったものの、ロウェルも床に転がったままになる。
「
諦念が滲んだ声でアズランド。横たわったまま、再生をはじめるクノッヘンを遠目に見遣った。
「いいえ……」
ジェニュインがきっぱりと否定した。元に戻りつつあるクノッヘンを見据えている。ふと、アズランドは、その瞳の奥で光が揺らいだような感じがした。
「なにを、するつもりなんだ?」
「お姉ちゃん?」
ジェニュインの胸で妖精宝珠が光った。どことなく、穏やかに。
「ごめんね、リザ」
ジェニュインはリザに申し訳なさそうに笑いかけた。
「あなたは生きてください。……生きて、リザの
今度は、
真意が判然としないまま、アズランドは息を吞んで思った。本当にリザとそっくりだと、心底。
「無駄なあがきも、それで仕舞いか」
再生を遂げたクノッヘンが、起き上がれずにいるロウェルを見下ろす。巨大な手のひらを、ロウェルへとかざし、勝利を確信した調子で詠唱していった。
「ちくしょうっ」
身をよじってロウェルは喚いた。負けるもんか、と自らを奮い起こしたとき――クノッヘンの胸から結晶が生えて呆然となる。
結晶が食いつくように形状を変えた。フックのように。あるいは、
「貴様まで、私に歯向かうというのか」
クノッヘンが背にいる存在に問う。心なしか、意外そうだった。
「あなたを正すわ。私の手で」
クノッヘンの背後からジェニュインが言った。右手の得物を深々と骸骨の身体に突き刺していた。
「愚かな。私は不死だ。何をしようと――」
「あなたの倒し方は、レフトが教えてくれたわ」
クノッヘンの言葉を
「おい、アンタ……リザの姉ちゃんだろ? 目が覚めたのか?」
ジェニュインは唇を曲げた。
「あなたも、リザと仲良くしてあげてね」
「えっ……」
ぽかんとなるロウェルをよそに、ジェニュインは左腕を横に広げた。長大な結晶の刃となった腕を。
「やめてっ‼」
遠くからリザの制止の声が飛んだ。ジェニュインの目がふっと細くなるも、動きは止まらなかった。
「一緒に還りましょう。
つぶやきざま、自身の胸を思いっきり刺し貫いた。胸の巨大な妖精宝珠が砕け散り、高く澄んだ音色を響かせる。それは、長々と尾を引いた。
「貴様……なんということを」
クノッヘンのくぐもった声が、途中から
「いつか、また、あの樹で――」
光のシルエットになったジェニュインから、声がした。その場にいる皆に、告げるように。
そして、崩れた。クノッヘンもジェニュインも、細かな光の群れに――妖精となって宙を覆った。
おびただしい数の妖精たちがひしめくなかで、リザの
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