第3話 真っ向勝負

 ゆらりと浮かぶ彼女に、釘付けになる。


 …幽霊? 宇宙人? 超能力? 魔法? 


 非科学的な現象に、小山の背筋に冷たいものが流れた。逃走の二文字が思い浮かんだが、すぐに消す。


 心臓が早鐘を鳴らした。理性が逃げろと、未知から遠野けと叫んでいる。相手があきらでなかったら、一目散に尻尾を巻いて逃げていただろう。


 けれども、恐怖以上に犇めくのは、若人特有の好奇心だった。


「そ、それ、どうやってやってるんですか?」

「分かんなーい。気づいたらできるようになってたー!」

「へ、へえ…」

「多分、やろうと思えば未来君も浮かせられるよー」


 やってみる? とこちらに手を伸ばす彼女に、首を横に振った。地面がない世界は、不安定に決まっている。それに、安全とも限らない。もしかしたら、頭から落ちて死ぬかもしれない。


 彼女は不機嫌になる事なく、面白そうに肩をすくめて、静かに着地した。


「…ねえ、頭触ってもいい?」

「え、あ……はい?」

「よーし」


 雑な手つきで頭を撫でられる。髪が乱れて、前髪が目にかかった。


 突然の行動に、小山は顔が真っ赤になる。異性に撫でられるのなんて、初めての体験だった。距離がものすごく近い。微かな桜の匂いが鼻をくすぐる。


「え、あの…」

「やっぱり。未来君、私の弟に似てる」


 慈愛の籠った言葉に硬直した。


 あきらの懐かしそうな笑みが映る。


「私の弟も、未来君みたいに階段の裏によく隠れてたんだ。今は海外にいて中々会えないんだけどね。未来君に声をかけたのも、弟に似てて放って置けなかったからかも。…自分勝手で、ごめんね」

「い、いえ…、別に……」


 夕焼けチャイムが木霊し、烏の鳴き声が聞こえた。日はまだ暮れそうにないが、門限が迫っている。


「もうすぐ帰る時間?」

「は、はい」


 彼女の手が離れていくのを、名残惜しげに眺めて、何をしているんだと地面を見る。


 夕日を受けた自身の影は、あきらの影に繋がっていた。


「さようなら、かな?」

「あ、あの…!」


 咄嗟に声を絞り出す。


「うん?」

「…ま、また、会ってもいいですか? その、時間は取らせないので…」


 嫌われないような言葉を探した。どういうわけか、上手く笑えない。もどかしい気持ちを抑えて、小山は拳を握りしめる。


「お、俺、友達がいなくて。誰も、その、俺と考えが違っていて。向こうは緩くやりたがっても、俺だけ、真面目にやりたくなるから。…加減が分からないんです。1か100しか行動できなくて、そのせいでまた他のクラスメイトに迷惑、というか気まずくなって。でも、悪気はなくて、俺だって、皆んなと仲良くしたい。自分の考えを、もっと、緩くしたい。でも、できないから、どうすればいいのか、何をすれば緩いことになるのか分からないから。自分の考えでがんじがらめになってる自分が嫌いで、それで…」


 何を言っているのか分からなくなってきた。必死な自分を上から見ているようで、失笑してしまう。それが悪手だと分かっていても、どう表情を作ればいいのか分からなかった。


 あきらは問題を解決してくれる訳ではないし、アドバイスをくれる訳でもない。けれど、


「あ、あきらさんと話したら、なんとなく、肩の力を抜けるような気がしたから」


 彼女の持つ楽観さに、少しだけ心が軽くなった。


 多分、自分は人との繋がりを求めているのだろう。流されても、重要視されなくても、話を聞いてくれるだけで良かった。


 そういう相手に、今まで出会えなかった。出会って、仲良くなる努力をしてこなかった。


 「ガチじゃん」と言った口川も、「たかが授業」と嘲笑する浅井も、大縄跳びでは頼りになる精鋭たちだった。苦手意識は変わらないけれど、まだ、諦めなくたっていいのかもしれない。


 今からでも、間に合うだろうか。誰かと、仲良くなれるのだろうか。


 冷や汗が流れる。喉の筋肉が固まるのを、無理やり動かす。声が掠れて上擦るのも構わずに、言葉を紡ぐ。


「お、俺たちは他人で、だから、話せる事もあると思います。き、今日みたいに、あきらさんの話を聞くので、お、俺の話も、できれば、聞いてください。それで、い、いつか、空が大丈夫になったら…、い、一緒に飛んでくれませんか」


 顔を上げる勇気が出ず、涙腺が熱くなる。


 怖い。自分の気持ちを言うことが、とても怖い。失礼なことを言わなかっただろうか。「一緒に飛んでくれませんか」ってなんだよ。勝手に一人で飛んでろよ。上手く行かない。折角、自分から話せたのに、これじゃあまた、笑われる。


「いいよ」


 差し出された紙を見る。メモ帳から切り取ったページに、メールアドレスと携帯番号が殴り書きされていた。


「これ、私の連絡先ね。適当な時間に待ち合わせして話そうか」

「え…あの」

「どうしたの?」

「い、いいんですか? こんなにあっさり…」

「勿論。提案してくれて、ありがとう。嬉しいよ」


 全身の力が抜けていく気がした。小山は紙を握りしめてしゃがみ込む。前髪を掻き上げて、大きく息を吐いた。


「よ、よかった…」


 声が枯れて、呟きは空気音に変わった。あきらには、聞こえていないだろう。


「大丈夫? え、何かダメージ与えちゃった? ごめん、言ってくれると助かるんだけど…」


 説明するだけの気力がなく、首を横に振る。あきらは何処か安堵していた。






 朝休み。小山は、総合の授業での班長の浅井と、副班長の梓沢あずさわに声をかけた。


「で、話って何? 私、忙しいんだけど」


 爪をいじりながら、梓沢あずさわが尋ねる。浅井も、窓の外のグラウンドを眺めていて、早く遊びたそうだ。強気な態度に、舌がもつれる。さっきから、足も震え続けている。


 やるからには、全力で。


 小山は小さく息を吸い込んで、二人を見た。


「――俺は、総合の発表で、一番になりたい。なれなくても、全力でやりたい。…というか、やるつもり、です」


 二人は片眉を上げた。浅井は、どうしたものかと口を利きかねている。


「そ、そのためには、俺一人じゃダメだから。は、班の皆に、呼びかけて欲しいんだ。き、協力、してほしい。……ガチでも、なんでも、笑ってくれて、構わない。け、けど、俺はちゃんとやりたいんだ。でも、その方法が、価値観が、皆と合わなくて、分からなくて、困ってる。だから、お、教えてくれないかな。ふ、二人は、明らかに、俺よりも班の皆のことを分かってるから」


 耐えきれずに下を向く。額には、冷や汗がびっしりと溜まっていた。


 梓沢あずさわは驚愕した。小山は、正論や真面目な意見を言ったことはあっても、自分の感情を吐露したことはなかった。その影響で、少し近寄りがたく、面倒臭い奴だと思っていたくらいだ。


 まさか、こんなに悩んでいたとは。地声が低い威自覚はある。さっきも、自分が何かを言うと、小山は距離を取った。


 もしかしたら、怯えさせていたのかもしれない。


「…ごめん。言い方キツすぎた。私、別に小山のこと嫌いな訳じゃないし、授業だってそれなりに…そっか、小山はその『それなり』が分かんないんだっけ?」

「う、うん…」

梓沢あずさわ、めっちゃ察し良いじゃん。俺、全然気づかなかったわ。あー、…なるほど? 小山、俺らの言ったことに一々傷ついてる感じ?」

「ぜ、全部って訳じゃないけど、まあ、それなりには…?」

「気にすんなって。ぶっちゃけ、言ってる側はそんなに深く考えてないぜ? その場のノリで適当に言ってるだけだから」

「だから、それを小山は気にするっつってんじゃん。浅井、本当頭足りないね」

「言ってくれなきゃ分かんねえよ。あ、けど、小山はこうやって言ってくれたんだもんな。サンキュー」

「え、あ、うん…」


 意外と話が通じることに、小山は困惑した。てっきり、流されてキレられて終わりだと思っていた。


「授業の時に、他の奴らにも伝えるか?」

「そうだね。とりま、口川と吉森がなんか言ったら、私が注意するよ。浅井は普通に話し合い進めな」

「りー」

「小山は、他の二人に向かって、さっきと同じこと言える?」

「え…と……」

「あ、違うからね? 『同じこと言えるんだろうなあ?』って脅しじゃなくて、『言ってもらっても良いかな?』ってニュアンスだから。絶対に、威圧じゃないから。やりたくないなら私が言うし」

「う、ん。お、同じこと、言える、と思う」

「オッケー。そう言うことだから、浅井、ちゃんと進行しろよ」

「分かってるって」


 調子よく進んでいく会話に、小山は何が何だか理解が追い付かなかったが、兎に角いい方向に転んだようで、胸を撫で下ろす。


 浅井も、梓沢あずさわも、話してみればどうにかなった。


 怖がっていただけなのかもしれない。


 小山はふと時計に目をやった。秒針が刻々と回り、朝休みが終わりに近づく。後の朝の会が終われば、総合の授業が始まるだろう。


 人は苦手だが、これなら、少しくらいはやっていけそうだ。


 小山はホッと息を吐いて、授業の準備に取り掛かる。


 心なしか、肩の荷が下りた気分だった。




 完。

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卑屈な俺が儚い美少女に遭遇した件 かんたけ @boukennsagashi

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