第2話 超常現象

 友人はいないので、誰も小山を気にしない。放課後になると、彼は真っ先に安全地帯へ向かった。


 見知らぬ女子生徒と交流するためだ。


 何故彼女がセーラー服を着ているのか、学校にいたのか、とても興味がある。もし、自分と同じように、人が苦手であの場所に逃げてきたのだとしたら。


 …友達に、なれるかもしれない。


 人と話すのは苦手だ。けれど、友達が欲しくないわけじゃない。小山だって、本当は周りと同じように、クラスメイトと話して、屈託もなく笑い合いたい。けれど、話そうとすると喉が締まって、うまく声が出せなかった。


 似たもの同士なら、仲良くなれるかもしれないという打算があった。


「…あ、あの…! ……え?」


 立ち止まり、目を見開く。


 階段を降りても、彼女は見当たらなかった。


 近くを探してもいない。


 どうしようと思っている合間にクラブ活動が始まり、一階の広い廊下は卓球部に占領される。


 人の目が増える。誰も自分を見ていないと分かっているのに、視線が向けられている気がして、小山は逃げるように学校から出た。


 歩いているうちに、体が熱を帯びてくる。


 悶々と、自分が恥ずかしい勘違いをしたのではと思えてきて、いてもたってもいられなくなるが、ここで走れば変な目で見られるだろうから、グッと堪えて、熱を放つアスファルトを強く踏みしめた。


 排水溝を覆うコンクリートブロックが流れていく。夏の湿った匂いがする。


 …あれは、夢だったのだろうか。


 女子の姿を想像することで、現実逃避をしていたのだろうか。そうだとしたら、とんだ妄想野郎だ。総合の授業でも、余計なことを言って、空気を凍らせてしまった。どうして、いつもこう、上手くいかないんだ。


 四角くカットされた植物が、公園を囲っている。もっと先を行くと、公園の入り口が見えてくるはずだ。


 小石の落ちる音がする。


 ふと公園に目線をやると、セーラー服の彼女が見えた。ブランコに腰掛けて、ぼうっとしている。


 見間違いでは無い。あの時の女子生徒だ。


 小山は、思わず公園の中に入った。


 人の気配に気づいたのか、彼女がこちらを見る。目が合いそうになり、慌てて逸らした。


 彼女は困ったように手招きする。


 小山は、ゆっくりと彼女の前に立った。


「また会ったね」


 落ち着いた声音に、小山は返事をしようと思ったが、喉が強張って一拍開いてしまった。


「……そう、ですね」

「ブランコ、そっちに座る?」

「う、運動音痴で、その、乗るのは苦手で…。…こ、このままで、お願いします」

「分かった」


 同年代にしては、穏やかな口調だ。年上だろうか。


 顔を下に向けたまま、彼女の様子を伺う。


 彼女は気にした様子もなく、こちらが切り出すのを待っている。


 初夏の風が吹き抜け、ブランコがキィと鳴った。


「…あ、あの」

「何かな?」

「な、なんで、学校にいたんですか?」

「ああ。…私、あの学校のOGなんだ。今日は、偶々遊びに来ててさ」


 「これ、高校の制服」と、彼女はセーラー服の襟を摘んだ。


 リボンが解け、不意に彼女の肩のラインが見えて、ドキリとする。が、直ぐに視線を地面に落とした。


 彼女は揶揄うでもなく、静かに小山を観察する。


「ねえ、名前を聞いてもいい? 私は高橋あきらあきらでいいよ」

「あ…。…こ、小山未来です」

「敬語はいいって。だいたい同い年でしょ?」

「あ、はい、分かりました…」

「敬語じゃん」


 クスクスと笑いながら、彼女は手を差し出す。


 数秒経ってから握手だと気づいて、彼女の手を握った。


 自分のものよりも、柔らかい。力を込めれば、小山でも折れそうな華奢な手だ。


「よろしくね、未来君」


 名前呼び。顔が熱くなる。


「えっと、よろしくお願いします。高橋さん」

「『あきら』って、呼びにくいかな? 全然無理しなくて良いんだけど、何となく寂しいからさ」

「え、あ、はい。…あきらさん」

「おうよ」


 そう言って、あきらは歯を見せて笑った。


 夏の始まりは日が比較的長い。お互いに暇だったので、二人はポツポツと取り止めのない話をした。


 去年旅行に行った事や、学校での出来事、家族の事。表面上だけ聞いて、深くは詮索しない。弱い部分を晒さない他人行儀な会話が、心地いい。


 話していて分かったのは、彼女は階段で出会った時に抱いたイメージとは違い、明るい女性だった事だ。


 あきらはあっけらかんとしていた。


 学校の話で小山が口籠ったのを馬鹿にせず、「ふーん」と言って別の話題を運ぶ。


 自分の関心が無いことには、とことんスルーする対話スタイルだが、全く話を聞いていないわけではなく、二、三度は相槌を打ってくれる。


 何より、小山を嘲らない。


 その興味のなさに、逆に安心した。


「あ、あきらさんは、今日は学校に行かなかったんですね」

「うん。私、不登校だから」

「…え?」


 ぽかんと口を開ける。


 あきらは事もなげに空を見上げて、雲のかかった太陽に手をかざした。


「高校で、仲良くしてた女子グループに縁を切られちゃってね。私、空気があんまり読めないし、人の相談に乗るとか苦手みたいでさ。それから若干影口言われるようになって、でも転校は出来ないから、ほとぼりが覚めるまでは家に避難してるの。1ヶ月くらいは休んでも単位に響かないからさ」

「そう、なんですか…」


 絶句する。


 あきらがされている事は、虐めだ。小山のクラスには、虐めはない。小山が気付いていないだけかもしれないが、大縄跳び大会で優勝したし、クラスメイトたちは比較的団結力があると思う。


 仲間外れにされる感覚はなんとなく分かるが、あきらの状況と比べると、「授業で上手く行かなかった」なんてちっぽけな事のように思えて、苦しくなった。


「その、辛かった、ですか?」

「黙秘権を行使しまーす」

「あ、すみません…」

「いいよ。本当なら、こんな話、会ったばかりの君にする事じゃなかったし。気遣わせてごめんね」

「い、いえ……」


 自分のスニーカーを見つめる。しばらく洗っていない靴紐は、茶色に変色していた。


 知り合ったばかりの人と、こんなに話が進むのは珍しかった。大抵は、相手は他の人の方に行くか、小山から話を切り上げてしまうからだ。


 口を一文字に結ぶ小山に、あきらは気にした様子もなく笑う。


「ま、何かの縁だし、未来君も、話したいことあったらどんどん言ってよ。話聞いてくれたお礼に、聞くからさ」

「あ、ありがとうございます…」


 とは言っても、初対面の人に悩みを打ち明けるほど小山は純粋ではないので、今日水筒を忘れてショックだったとか、軽い事だけを打ち明けた。


 ほとんどの話にはアドバイスも何もなく、「へえ」で終わったが、それでも彼女は茶化さず聞いてくれた。


 段々と視線が下がって、足元の蟻が視界に入る。


「未来君って、将来の夢あるの?」

「し、将来…。……ええと、出来れば会社員になりたいです」

「何か、地に足着いてるって感じだね」

「え、ま、まあ…」

「そっか。……あ、そうだ!」


 何かを思いついたのか、明はブランコを漕ぎ始めた。


 ブランコが眼前を通り過ぎ、小山は慌てて退く。


「あ、あきらさん?」


 あきらの長髪が靡き、スカートが捲れ上がって中の体操着が見えても、彼女は気にしない。地面の影が伸び縮みし、ブランコの揺れ幅は大きくなっていく。


「ねえ、未来君は空を飛んだことってあるー?」


 茜色の空を背負って、あきらが問いかけた。


「な、無いです…」


 首を振る小山に、彼女は片手を離して自身の耳にメガホンをつくる。バランスが崩れたブランコが、左右上下に激しく揺れた。


 一瞬、彼女の顔が小山の顔の近くを通る。


「何てー?」

「あ、危ないですよ!」

「問題なーい! それで、未来君は空を飛んだことってあるのー?」

「あ、あるわけないじゃ無いですか!」

「そっかー! 私はねー、あるよー! って言っても、スカイダイビングとか、バンジージャンプとかじゃ無いけどねー!」


 あきらは話していた片手をブランコの鎖に戻し、更にブランコを漕ぐ。勢いのついたブランコは、そのまま一回転しそうなほど高く上がった。


「こんなのはどうよ?」


 その瞬間、彼女がパッと両手を離した。


 ――飛んだ。


 突風が吹き、少女はふわりと浮き上がる。


 スカートもリボンもセーラー服の裾も靡いて、隙間から覗いた目は、空を捉え赤く輝いていた。


「…綺麗だ」


 不思議と、小山は自分も空を泳いでいる気分になった。雲に触れ、初夏の熱風を振り払って、地面のない空を歩く。そんな、幻想。


 何よりも自由だと思った。


 あきらは、腕と足を綺麗に揃えて宙を闊歩する。


 スローモーションの景色の中で、視線がかち合う。


 遠心力を失った彼女の体は、弧を描いてブランコを囲う柵まで落下した。


 ぶつかる!!


 あきらの頭が柵に激突し血を流す光景が脳裏をよぎり、背筋が粟立つ。全身の筋肉が強張って、小山は彼女が落ちていく様を見ていることしかできなかった。


 だというのに、あきらは楽しそうだ。


 彼女は落ち着いた態度で宙返りをすると、ブランコの柵を、つま先で軽く蹴った。


「未来君も、飛んでみる?」


 日差しを受けて伸び縮みしていた影が固定され、風が小山の重い前髪を持ち上げた。


 無人のブランコは、今だに大きく揺れる。


 呆然とこちらを見上げる彼に、止まったままの彼女は目を細める。


「やっと、上向いたね」


 あきらは、文字通り空中を浮遊していた。

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