卑屈な俺が儚い美少女に遭遇した件

かんたけ

第1話 遭遇

 初夏の日差しが背中をジリジリと焼く。蹴った小石が、陽炎に紛れて排水溝に落ちた。


「暑…」


 まだ5月だというのに、気温は28度を超えている。小山こやま未来はネクタイを少しだけ緩め、シャツの第一ボタンを開けた。


 今頃、横にある公園のベンチに座って、朝のひんやりとした空気を楽しんでいたはずなのに、温暖化め。


 心なしか体が怠い。このまま地面に倒れて救急搬送されてしまいたい。そうすれば、今日の総合の授業を休めるだろう。


「行きたくない…」


 学校に近づくにつれて増えていく同校の生徒に、小山は憂鬱な気持ちでため息を吐いた。


 総合の授業は、その名の通り生徒の総合力を磨くための授業だ。学校の取り決めでは違うかもしれないが、小山にはそうとしか思えない。


 思考力、発言力、リーダーシップ、補助能力、コミュニケーション能力、調査能力、文章や発表用のデータの作成能力。今年度からはタブレットを使用して、より本格的になった。


 助かったのは、発表にPowerPointを使う点だ。以前、父から教わったことがあるので、他の班よりも一歩リードできる。


 号令が終わり、班ごとに集まる。今回やるのは、鎌倉校外学習の発表の資料作りだ。校外学習地である鎌倉の成り立ちや伝統的な建物について発表する。


 演技を交えて面白くするも良し、調べたことや体感したことを順序立てて説明するもよし。生徒たちの自主性を重んじて事が図られる。


 メンバーは五人。班長の浅井、副班長の梓沢あずさわ、班員の吉森と口川、そして自分。


 班長である浅井が、借りてきたホワイトボードを梓沢あずさわに渡し、どっかりと席に腰掛けた。


「じゃ、始めるか〜」


 気の抜けた返事を班員がして、話し合いが始まる。


 最初は、みんな真面目に話していた。だが、ある程度の事が決まると、話が脱線して雑談に変わる。何処の班も同じような感じだったが、小山は納得がいかなかった。


 ただ、ここで不満を示しても他の班員から変な目で見られるのは分かっていたので、あくまでヘラヘラと、雑談の延長線を装って提案する。


「あ、さっき話した鶴岡八幡宮さ、もう少し歴史とか詳しく調べた方がいいと思うんだけど……」

「え?」


 気の強い梓沢あずさわの口調に、心臓がギュッと握られた気がした。班員の視線が刺さり、冷や汗が噴き出る。


 静かになった空気を誤魔化すように、班長の浅井が笑った。


「あーそうだな。それも良いかも。誰か、調べてる奴いない?」


 すかさず小山が挙手する。


「そ、それなら、俺が一応、調べてある。読むから、必要だと思う部分を教えてくれ」

「いいよ、いいよ」


 吉森が笑みを浮かべながら、メモ帳を取り上げて流し読みした。


「うっわ、すっげえ。口川、見ろよこれ」

「本当だ。良く、こんなに調べたな。ガチじゃん」


 二人の会話には嘲りが含まれている。小山は見知らぬ羞恥心で熱くなる体を無視して、「そうかな」とヘラりと笑う。


 そもままメモ帳は回し読みされたものの、文章量が多すぎて今一つ決められなかった。






 チャイムが鳴り、休み時間になる。小山は迷わず班長の浅井に話しかけた。


「何? 小山」

「こ、このままの進行度だと、発表に若干間に合わない、と思う…」


 尻すぼみになる自分を嫌悪する。臆病なせいだ。


 総合の授業は、残り3回。その内1回は発表のリハーサルに回したい。だから、資料を用意できるのは残り2回。その間に資料を作って台本を決めて、文章を作るとなると、大分急足になる。


 中学一年生の頃にやった、模造紙を使った発表とは訳がちがう。大人がやっているような器具とアプリを使った、本格的な発表なのだ。例え内容が校外学習だとしても、手は抜きたくない。


 「やるからには全力で」が、小山の座右の銘だ。

 なのに班員に意見できないとかいう矛盾を抱えているが。


「だ、だから、できれば雑談じゃなくて、その、もっと話し合いがしたい。そうすれば、良いものが作れると思うから」

「小山〜」


 浅井は小山の肩に腕を回した。


「重いって。たかが授業だぜ? 良いものを作るって言っても、そんなに気負わなくて良いだろ。そりゃ、雑談したのは悪かったと思ってるけどさ、他の班だってやってる。なら、別に気にしなくても良くね?」

「そ、それだと、発表に間に合わないだろ」

「大丈夫大丈夫。いざってなれば休み時間とか放課後使えばいい」


 それが嫌だから、こうも焦っているんだ。休み時間まで、授業の話をしたくない。それは浅井たちも同じだろうに。


 口を開こうとして、喉が締まる感覚が分かった。声を出そうとしても、出せない。ようやく絞り出せたのは、「そっか」と言う了承の返事だけだった。


 床に転がった、ケースに入れられた消しゴムを小さく蹴る。


 ——取り繕わなければ。


 小山は浅井の腕を遠慮がちに退かして、消しゴムを拾い、笑みを貼り付けた。


「わ、分かった。じゃ、そう言うことだから」


 何が、「そう言うことだから」なのか。結局、問題は解決していない。ただ、浅井から逃げただけだ。


 モヤを抱えたまま、廊下を突き進む。西の階段を降りて、掃除用具入れと化した一階の階段裏のスペースへ潜り込んだ。


 湿った埃とカビの匂い。男女問わず近寄りがたい場所は、小山の安全地帯だった。


 モップの影に隠れて、二の腕を摩る。


 彼は、人が苦手だ。幼い頃は活発で人ともよく話したのに、いつからかそうなっていた。理由も原因も分からないが、ただ、居心地が悪い。できれば、家族以外とは話したくなかった。


 けれども、学校に通わなければいけないと言われているから、通っている。一度、別の児童用施設で他の訳ありの生徒と話したが、学校よりも話せなくなって戻ってきた。


 クラスメイトたちは、小山の事情を知らない。本人が、ひた隠しにしてきたからだ。


 足元に転がった埃の塊を見つめる。暗いジメジメした空間にいると、自分がナメクジになったような気がしてくる。ナメクジの方が、社会がない分、幾らかマシだろうか。


「……ナメクジになりたい」

「変なこと考えるんだね」

「…え?」


 両手で覆っていた顔をあげる。


 目の前に、セーラー服の女子生徒がいた。


 綺麗な生徒だ。流れる黒髪に、甘い目尻、艶やかな唇。彼女は後ろで手を組み、不思議そうな顔で微笑んでいる。


 だが、小山は直ぐに彼女のおかしさに気づいた。


 ――この学校の女子の制服は、セーラー服ではなくブレザーだ。つまり、彼女はこの学校の生徒ではない。


「……不審者…ですか?」

「えっと、君からすると、多分そう」


 彼女が苦笑した途端に、儚い雰囲気が砕ける。手持ち無沙汰に体を揺らすふりをして、距離感を掴みかねているようだ。その様子に、なんだか親近感が湧いた。


「取り敢えず、もうすぐ予鈴が鳴るから、教室に戻れば?」

「あ……はい」


 促されるままに安全地帯から出る。階段から見下ろすと、彼女はニコリと手を振ってくれた。

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