お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした〜紳士な上司に外堀を埋められていました〜
楠結衣
第1話
ごりごり、ごりごり――
ごりごり、ごりごり――
王立医務局の調剤室は薬草をすり合わせる音だけが響いている。
ちらりと処方箋の木箱を見やると箱には収まらずそびえ立つ山のようだった。見なければよかったと思いながら手元に集中して最後の仕上げに取り掛かる。
ぽわん、と手元がピンク色に光ったのを保ちながら薬草と魔力を練り合わせていく。
粘度が高くなるので力を込めて練ると、ふっと軽くなった。
「ふう、完成――」
ピンク色のさらさらした粉薬は電球の明かりでキラキラしていて宝石みたい――いや、熱下げの粉薬なんだけどね。
これを山積みの処方箋がなくなるまで繰り返して処方箋がなくなれば仕事は終了になるはずなのだが、連休明けは騎士団から沢山の依頼書もきている。
今日は残業になるのを覚悟しながら騎士団の依頼書の木箱に手を伸ばすと紙ではない感触をつかんでいた。
「ローズ、俺の手は依頼書ではないのだが」
「レオナルド様、すみません……っ」
うっかり上司の手をにぎってしまったらしい。ごつごつしている大きな手をあわてて手を離す。
男気溢れる切れ長のロイヤルブルーの瞳と大柄で筋肉質な体つきのレオナルド様は騎士のような見た目なのに、調剤に必要な繊細さと豊富な魔力量を持っている憧れの上司はなぜか明後日の方向を見ながら口許を押さえている。
「レオナルド様」
調剤の仕事は人の役に立つやりがいがある仕事で誇りに思っているが、私は連休明けの仕事量の多さにため息をついた。
医務局の調剤師は人数がそれなりにいるのに、なぜ連休明けの忙しい日ばかり上司と二人きりの勤務なのだろうと疑問が浮かんだ。
「連休明けは、騎士団の依頼書が多いな」
「それは同感です……あの、」
「ローズ、一気に仕上げて夕食を一緒にどうだろうか――好きな物をなんでもご馳走しよう」
「やりましょう!」
疑問というものは、食欲の前では意味を持たない。たった今、溶けて消えました。
満月の光をたっぷり浴びた薬草にレオナルド様と私の魔力を込めていく。
レオナルド様のロイヤルブルーの魔力と私のピンクの魔力が混ざり合ってライラックのような紫色に変化した。とろりとした美しい液体は
「レオナルド様、今から騎士団に届けてきます」
薬の木箱を持ち上げながらレオナルド様に話しかけると、ガラス瓶にたっぷり詰められたライラック色の薬液が揺れた。
薬の木箱は何度か往復すれば終わるだろう。私の見た目は色白で小柄なので力がないと思われるのだが、調剤師は地味に力仕事なので体力や筋肉にはそれなりに自信がある。
「ローズ、先に着替えてきなさい。俺が騎士団の連中にも手伝わせて終わらせておこう」
あっさり木箱を取り上げられてしまう。
すべて上司に任せてもいいのだろうかと悩んでいると。
「騎士団に行くのを悩むなら、何を食べたいか悩んでおいてくれないだろうか」
「お言葉に甘えて着替えてきます!」
「ああ、そうしてくれ」
ささいな悩みというものは、食欲の前では意味を持たない。たった今、溶けて消えました。
更衣室で白衣を脱いでひとつに結んでいた髪をほどくとピンク色のくせっ毛がふわふわと広がった。
◇◇◇
「レオナルド様、お待たせしました」
「いや、ちょうど来たところだ」
レオナルド様に大きな手のひらを差し出されたので、そっと乗せると優しく握られて二人で街を歩く。
最初は驚いたけれど、レオナルド様に女性をエスコートするのは紳士のたしなみだと言われてしまい今の形に落ち着いた。レオナルド様の手はあたたかい。
秋の夜風が肌に心地いい。ふわふわとくせっ毛が風に流されていく。夕食を求める時間帯なのもあって王都の通りは賑わっているのを眺めながら明るい夜空に視線をうつした。
「今夜は満月だったんですね」
「ああ、そうだな。オオカミに襲われないようにくれぐれも気をつけなさい」
「ぷっ……オオカミなんて王都にいませんよ」
レオナルド様の冗談にくすくす笑いながら大通りから裏道へ抜けて歩いていく。
私たちが向かっているのは、最近できたばかりの少し敷居の高そうな隠れ家レストラン。最初はもう少しお財布に優しいカフェを提案したのに本当に食べたいものを聞かれてしまいお言葉に甘えてしまった。
ささいなためらいというものは、食欲の前では意味を持たない。あっさり溶けて消えてしまう。
「レオナルド様、どれも美味しいです……っ」
旬の秋野菜のスープに口をつける。
ハーブオイルで香りづけしたスープが舌の上を溶けていく。日替わりのリエットは林檎のジャムがアクセントになっているし、食感のいいショートパスタはカラフルトマトが目に鮮やかで燻製されたチーズの香りに思わず目をつむって味わった。
「ローズは美味しそうに食べるな」
「こんな豪華な料理を食べるのは、レオナルド様にご馳走してもらう時と実家に帰った時だけです――でも、実家に帰るとずっとお見合いを勧められるので味がしなくて……」
メインの牛フィレ肉のローストと香り豊かなポルチーニ茸のソースを食べ終えて赤ワインをひと口含む。
疲れた身体と心が癒されるのを感じる。美味しいものって素晴らしい。
「連休は実家に帰っていたのだろう?」
「はい……今回もお見合いばっかりで、ぐったりです」
実家の服飾事業が好調なのもあって次から次へとお見合い話を父と兄が持ってくる。
さらに実家に戻ると母と兄嫁の着せ替え人形にされるので本当にぐったりする。
仕事が楽しくて結婚についてのらりくらりと先延ばしにしていたら、行き遅れになりそうな娘のために明日の休みもお見合いが組まれていた。お見合いにも休暇届を申請したい。お見合いの席で誰となにを食べても美味しいと思えなくていつも断ってしまう。
「誰かいい人がいるのか?」
思考の海に深く沈んでいたらレオナルド様の声で浮上する。なぜだかロイヤルブルーの瞳に真剣に見つめられている。
これはあれだろうか? 上司として辞める人員の把握がしたいということだろう。
「レオナルド様、辞めるときは早めにお伝えします」
きっぱりと断言すればレオナルド様が額に手を置いてうなっている。
医務局の調剤師は人材不足ではないはずだけど、新人を育てるのはそれなりに時間がかかるのだろうか? それとも誰か他に辞める予定とか?
「――誰だ?」
「えっ?」
「相手は誰なんだ?」
なぜか焦ったようなレオナルド様にぱちぱちと目を瞬かせながら私は言葉を探した。
「あの、相手はまだ見つかっていません。明日もお見合いですし……」
私は遠い目をしてため息をはいた。
なぜか機嫌がよくなったレオナルド様はデザートワゴンからいくつか追加すると私にも勧めてくれる。
明日の憂うつというものは、煌びやかなデザートの前では意味を持たない。あっという間に美味しいデザートと一緒に胃袋の中に消え去っていく。
レオナルド様と一緒に食べたレモンアイスは満月みたいなきれいな色だと思った。
◇◇◇
「これも素敵よね、ああ、これも似合うわね」
「やっぱりかわいい子はお洒落をしなくちゃ」
本当の親子より息の合う母と兄嫁は楽しそうに、あれこれ言いながら私にいくつものドレスをあてがっている。
「やっぱり、このドレスにしましょうか」
「ええ、お義母様」
実家の衣裳部屋には沢山のドレスが仕舞われている。その中から淡いパープルのドレスに着替え、ふわふわのくせっ毛を緩く編んでもらう。ドレスよりも青みのあるパープルのりぼんをつければお見合いスタイルの完成。
「やっぱりライラック色が似合うわね」
「ローズちゃん、紫色のライラックの花言葉は『恋の芽生え』なのよ――お見合いにぴったりでしょう?」
鏡に映る姿を眺めると、ふいに昨日大量に作ったライラックの薬を思い出したのは二人の言葉のせいだろう。
笑顔の家族に見送られてお見合いに向かった。
待ち合わせは秋バラが有名な王都にある庭園。
しかも今日のために貸切にしていると聞いて、くらりと眩暈がしてしまう。美味しいレストランに何回行けただろう。
庭園に到着するとお見合い相手はすでに待っていることを聞き、深呼吸をひとつしてから案内のあとに続いた。
「どうしてレオナルド様がここに……?」
いつもよりお洒落をした上司が座っていて首を傾けてしまう。貸切ではなかったのだろうか?
「ローズのお見合い相手が俺だからだな」
「えっ」
「まずはとなりに座ってもらえると嬉しい――ここのバラ園の出す紅茶と洋梨のタルトは絶品らしいぞ」
「となりに失礼します!」
二人がけのベンチソファに躊躇いなく腰を下ろした。
驚きというものは、食欲の前では意味を持たない。バラのあまい匂いに消え去った。
紅茶も洋梨のタルトもとても美味しいのにレオナルド様にじっと見つめられて上手く食べることができない。まあ、ほとんど食べ終わっているけれども。
「あの、レオナルド様、食べにくいのですが……」
「ああ、すまない――普段からローズはかわいいのだが、今日はさらに綺麗だなと思って見惚れてしまった」
「――っ!」
紅茶を吹き出さなかった私を褒めてほしい。
レオナルド様の様子がなんだかおかしい。なんというか甘い気がする。言葉も視線もすごく甘い。私はティーカップを置いてから、頬に手を添えて、もしかしてという想いが浮かんできた。
「あの、レオナルド様、言いにくいのですが……」
「ああ、なんでも言ってほしい」
小さく息を吐いて真っ直ぐにロイヤルブルーの瞳を見つめる。
「我が家になにか弱みでも握られたんですか?」
私の言葉にレオナルド様がごほっとむせた。
どうやら違ったらしくあわてて背中をさすった。すごく大きな背中は洋服越しにもがっちり筋肉がついている。
「人に後ろ指さされるような生きかたはしていないつもりだがな」
「失礼しました……」
たしかにレオナルド様は誠実な人柄だと思う。
毎回ただの部下と食事をする時もエスコートをしてくれるし、遠回りになっても必ず寄宿舎まで送り届けてくれる紳士で素晴らしい上司だと思う。
「ローズ、これでも外堀は埋めてたつもりなんだがな……」
なぜか遠い目をしてうな垂れるように肩を落としてしまった。
「レオナルド様、大丈夫ですか?」
「好きな人にここまで好意が伝わっていなくて、ちっとも大丈夫ではないな……」
「あ、あの――せっかくの貸切にしてもらったのでバラを見ませんか? ここのバラ園の奥に薬草園もあるんですよ」
レオナルド様の言葉に目線を合わせることができなくて早口に言い終えて立ち上がった。心臓がどきどき飛び跳ねている。
奥にあるバラ園に足を進めようと思ったのに大きな手に捕まって向き合っている。
「ローズ、好きだ。そのくるくる変わる表情も美味しいものに素直なところも愛おしくてたまらない」
真摯に見つめる眼差しに頬の熱が集まるのがわかった。
「上司ではなく男として意識してほしい――だめだろうか?」
「だめじゃ、ないです……」
自然と言葉が口から漏れていた。
心の声に気づいた一拍後で驚いてしまった。
「ローズ、ひとつだけいいか?」
涼やかに感じるはずのロイヤルブルー瞳に熱を感じて、見つめ合ったまま小さくうなずいた。レオナルド様の顔が近づいて耳元に唇をよせられる。馴染みのある薬草の香りがふわりと鼻を掠めた。
「とびきり美味しい夕食を一緒にどうだろうか?」
「行きます!」
とまどいというものは、とびきり美味しい食事の前では意味を持たない。たった今、溶けて消えました。
「かわいいな」
「えっ?」
「今のとまどった顔もかわいい」
「あ、あの……レオナルド、さま?」
「これからは全力で口説かせてもらうことにした」
目の前に立つレオナルド様の甘い言葉や雰囲気にそわそわして落ち着かないのに、嗅ぎなれた薬草の匂いを好ましく思っている私もいて――。
レオナルド様の全力はどんなデザートよりも甘くてすぐに恋に落ちた。私の遅すぎる初恋は紫色のライラックの花言葉。
あれからいくつもの満月の夜を二人で過ごした。
王都にオオカミがいることを知ったのもある満月の夜だった。
恋というものは、どんな美食も意味を持たない。あなたと一緒に食べることが何よりもしあわせだと気づいてしまったから。
今日も連休明けの仕事を終えて、レオナルド様と手を繋いで家路につく――。
おしまい
お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした〜紳士な上司に外堀を埋められていました〜 楠結衣 @Kusunoki0621
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