第8話 ハイポニキウムを育てる
こんなの、こんなのは、お泊まり会じゃない!
私は影守の邪魔をしないよう、辛抱強く彼女の作業が終わるのを待ってから、即座に行動した。
銀紙に包まれた半固形の小さなビスケットを食事だと言い張る影守を説得し、ちゃんとした手料理を用意した。
「じゃじゃーん、お待たせ! ホタテとセロリのホワイトシチュー!」
白ご飯にシチューをかけて出すのが伊吹家の伝統である。今でこそお嬢様を気取ってはいるけど、うちは基本、庶民だしね。それでも奮発してホタテと月桂樹の葉っぱを入れてあるから、味はなかなかのはずだ。
「わざわざありがとうございます」
「いいっていいって。ご飯は美味しいのが一番だもん。さ、どうぞ召し上がれ」
影守はスプーンでニンジンとジャガイモをつつくと……腕のスマートウォッチで成分を分析した。
「いやいや、おかしな物質は入れてないから」
「失礼しました。うん、甘い、美味しいです」
しっかりお代わりもしてくれて、味は気に入ってもらえたようだ。
先にお風呂に入ってもらったあと、彼女をベッドの横に座らせた。影守は黒色のジャージを着ているが、私服はそれしか持っていないという。おいおい、未来警察さん、お嬢様学校に通う女子高生の服装が全然わかってないじゃないですか。私服は現代の鎧にしてステータスの証なのですよ? そこで手を抜いてしまったらどんなに容姿が優れていても、楠聖女学院の生徒としては失格の烙印を押されてしまう。
「次の日曜は速攻であなたの服を買いに行くとして、まずこれ」
私は銀色に輝く蓋の化粧品をいくつか彼女に手渡す。
「これは?」
「クリームだよ。さ、指に塗って」
「? 必要性を感じませんが」
「ダメダメ、何を言ってるのかね、影守捜査官。君は楠聖女学院の生徒のリサーチが圧倒的に不足しているよ。ほら、この指の違い。爪に潤いと輝きがない!」
「ネイルアートやマニキュアは校則で禁止のはずですが」
「違うんだなあ。それはあくまで表向きの規則なの。だから、ほんのりバレない程度にナチュラルメイクするのが、先生公認のウチの学校の伝統だから。最低でもリップとネイルオイルは必須!」
「なるほど……そうでしたか。ご忠告感謝します。危うく潜入がバレて作戦が台無しになるところでした」
「うんうん」
「それで、あの、どういう風に?」
「こうして、こっちのクリームは手全体になじませるように。んで、こっちのオイルは爪にこうして塗っていけばいいんだよ」
私は手取り足取り彼女にネイルケアのやり方を教えた。
「なるほど、こうですね」
「それと、ちゃんと甘皮と、爪の裏側――ちょこんと出っ張ってるハイポニキウムも忘れずに。お嬢様の美しい指の形成には大事だから」
「ハイポ……?」
「ハイポニキウム、リピート、アフタミー」
「ハイポニキウム」
「エクセレント! 今日から頑張って育てていこー♪」
「わかりました」
「あと、今夜は未来とあなたのことについて教えてね。うふふ、今夜は寝かさないぞ~」
「答えられない質問もあるのでお手柔らかに」
影守と未来のことについて私はいろいろと質問をぶつけた。未来のことについては教えてもらえないことが多かったけれど、影守の生い立ちについては少し知ることができた。
ただ、それはあまりぶしつけに聞かない方が良かったなと私は後悔していた。
彼女は物覚えがつく頃にはすでに両親がなく、施設で育ったということ。
高度な教育を受けるためには、TKの捜査官が一番手っ取り早かったということ。
過酷なトレーニングとシミュレーターでの訓練を経て、こちらに着任し、私が初めての護衛任務になるということ。
聞けば聞くほど、彼女と私の立場の違いが明らかになってしまい、私が最初に感じた親近感は何だったのだろうと不思議に思えるほどだった。
今はいなくなってしまったけれど、私には両親がいてくれた。
それはかけがえのない思い出としてこの胸の中にある。私は自分が何もかも全てを失ったと勘違いしていたけれど、そうではなかったのだ。
彼女は私の同情など必要とさえしないだろう。これまでも一人で生きてきたし、これからも一人で生きていくという自然な覚悟が感じられる。
だけど、それでも、私は彼女がここにいる間だけでも、手助けをしてあげたいと思った。
私が同情したところで彼女の任務が上手くいくとは限らない。私ができることといえば、せいぜい、お嬢様学園デビューを無難に成功できるようにサポートをするくらいか。それでもいい。
それと、どうせなら、もうちょっと彼女と仲良くなりたい。
たとえそれが、ほんの一時であっても。
私は彼女のように割り切って誰かと接するなんて、とてもできそうになかったのだ。
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