第4話 楠聖女学院

 並木通りを過ぎたところに、私が通っている楠聖女学院がある。

 見た目は伝統を感じさせる古い様式の建物で、中央に六角形の吹き抜けを挟んでシンメトリーな造りになっている。

 黒い鉄格子と高い塀によって街とは明らかに隔絶されており、実際、中のしきたりも私の常識とはかけ離れていた。

「行かないのですか?」

 立ち止まった私に影守が聞く。

「ふぅ、じゃ、行きますか」

 校門の門番鬼教師にみっちり厳しくネチネチ叱られたあと、私は両肩にのしかかる疲労感を引きずりながら教室に向かった。

 影守捜査官は一緒ではない。

 彼女は学生証を鬼教師に見せると、なぜか叱られるどころか影守だけ職員室に行くように指示され、彼女はその通りにした。去り際、小声で私に「学校の敷地内なら安全ですから、先に行きます」と言って少しだけ安心させてくれたけど。でも、学校内にだってロボットはいるのだ。私は廊下で掃除ロボットを見かけると、思わず廊下の影に隠れて様子を窺ってしまった。

「異常なし、かな」

 掃除ロボットは一心に床を磨いている。緑色のLEDは時折点滅しているけれど、それはいつものことで、私などに興味は示していない様子だった。

「よし、セーフ」

 両手を広げたところで、後ろから凜とした声がかかった。

「セーフではありませんよ。伊吹さくらさん」

「ひぇっ、鈴蜂先生、お、おはようございます」

 私は慌てて自分のクラスの担任教師である鈴蜂先生に頭を下げつつ、作り笑いで挨拶する。楠聖女学院の生徒たるもの、常に微笑みを絶やさずたおやかに、である。いつ何時どんな不条理な状況であろうとも。

 しかし、校門の鬼教師や風紀の鬼教師などより、私にとってはよほど手強い相手。

 見た目はなぜグラビアアイドルにならなかったのかと同性の私が疑問に思えるほどのダイナマイトボディ。授業中ちょっとした拍子に胸のブラウスのボタンが弾け飛んだことも、一度や二度ではない。カップはHかIだろうともっぱらのウワサだ。美貌も学内に「白き女神さま」と密かに名付けられた二つ名を呼び合う、半ばファンクラブ同然の勢力がいるほどで。

 彼女は「おはようございます」と微笑み返したあと、じっと私を見つめた。

 何を言われるかとヒヤヒヤしながら次の沙汰を待つ。

「さくらさん、夜はちゃんと眠れてる?」

「ええ、それはもうグッスリと。今日も恥ずかしながら眠りすぎたくらいでして、オホホ」

「そう。眠れる方が健康には良いのだけれど……あまりネトゲで夜更かしするのはダメよ。何か相談があればいつでも気軽に言ってね。ちゃんと時間は取るから。じゃ、今朝のHRは転校生を紹介するから、お説教はここまで。運が良かったわね」

 そう言ってウインクする茶目っ気と優しさはありがたいのだが、ぐいぐいと私のプライベートに踏み込もうとしてくる彼女は対応が難しい。ハッキリ言って苦手だった。うちの学院では一年生から三年生まで同じ教師が担任をやるそうで、あと二年近くもあるのかと思うと、気が重い。

「じゃ、二人とも入って」

 影守と私は先生に促され教室に入る。私が先だったが、クスクスという嘲りが少々。だが、影守が続いて教室に入ると、皆が一斉に息を呑んだように黙り込んだ。そりゃそうだよね。ものすっごい美形だもの。あんな状況でなければ、きっと私も見とれていたことだろう。

「オホン、おはようございます、みなさん」

「「「おはようございます」」」

「今日は新しいお友達、転校生を皆さんに紹介します。では、影守さん、黒板に名前を書いて自己紹介してもらえるかな? できるだけ大きな字でお願いね」

「わかりました」

 物怖じすることなく黒板の真ん中に進み出た影守は、達筆な文字で自分の名を書いた。

「影守玲、今日から皆さんと共に学ぶ事になりました。周りから融通が利かないと言われることもありますが、座右の銘は初志貫徹、志を貫いてすべてを全うしたいと考えています。愛読書は詩編、好きな食べ物はゆで卵の白身、苦手なものは特にありません。以上です」

「ありがとう。練習してきたのかしら? スラスラと言えて立派ですね!」

「まだまだですが、ええ、少しだけ練習はしてきました」

「そう。ちなみに、好きな詩編の作者は? 聞いてもいい?」

「はい。自分は古典では松尾芭蕉がわかりやすくて好みです」

 えっ、あれってわかりやすい……か? 古池あたりはすんごいわかりやすいけど、他はそうでもない気がする。クラスメイト達も私と同感だったようで、少しざわついた。

「あらぁ、渋いわねえ、芭蕉なんて。先生はフロストが好きですよ。では、影守さんの席は伊吹さんの隣にしましょうか。そこの空いている席を悪いけど寄せてくれる?」

「えっ」

 わざわざ空席を動かして私の隣にするのか。どういう意図であれ、なんだかあからさまだが、クラスメイト達もその恣意的なものを感じ取ったようで、不穏なヒソヒソ声が教室の中で冷然と渦巻き始めた。

「どうしてわざわざ……」

「しかも伊吹さんの隣だなんて……」

「可哀想」

 居たたまれなさに私は下唇を噛んで身を縮めたくなったが、表向きは頑として平静を貫く。彼らは反応を半ば楽しんでいるのだ。だから、そこに余計な燃料を投下してしまえば、さらにエスカレートさせてしまうだけだ。

「あの、先生、差し出がましいようですが、ちょっとよろしいでしょうか」

「何かしら、藻部もぶさん」

「影守さんは新しく編入される方ですから、色々とこの学院についてもっと親切に教えてあげられる方がふさわしいのではないかと」

 正論だ。

 ただ、裏返せば、私が適任ではない、親切ではないという意味にも取れるだろう。わざわざ指摘するレベルで。

 ま、人との接触を最低限にしている私だからそれも事実なんだけども。しかし、それを転校生にも積極的に教えてあげようとする考え方が少し怖い。

 もしも影守とあんな出会い方をしていなかったなら、私もかえってその方が気が楽だと、ひそかに歓迎していたかもしれないのだけれど。

「「いいえ」」

 先生と影守が同時に発言した。それもかなり強い口調でハッキリと。

「あら、お先にどうぞ、影守さん」

「はい、私はできるなら隣の席に伊吹さくらさんを指名させていただきたいです。理由は今朝、たまたま一緒になって言葉を交わし、見知った仲ですので」

「ああ、そうだったの、へぇ。それじゃ、やっぱり隣は伊吹さんが適任そうね。それで納得してもらえるかしら、藻部さん」

「え、ええ、先生がそう言われるのでしたら」

 こうして影守が隣の席に着いた。彼女には私を護衛するという任務があるからだろうけど、それでも、私はちょっと嬉しかった。

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