第2話
深町さんを見送ると、俺はそのまま学校内を浮遊し始めた。
どうやら校舎の外には出られないらしい。
せっかく期間限定の幽霊になれたのだからショッピングモールをうろうろしたり、先生たちの私生活をこっそり覗いてみたりしたかったのだけど、そこは貞節を守る生き方をしなさい?ということなのだろうか。
早々と学校内の生徒たちが帰ってしまったので、先生たちが残る職員室に移動してみることにした。
一生徒が急に死んでしまったことで、おしゃべりに興じることはなく、皆一様に粛々とデスクに向かって仕事をしているようだった。俺はあぐらをかいてぐるぐると回転してみた。幽霊というのはなってみて初めて分かることだが、お腹も空かないし眠くもならない。尿意を感じることもないので、快適といえば快適なのかもしれない。
担任の芝崎先生に隣のクラスの山内先生が何か話しかけていた。恐縮するように一礼すると、そのまま机に向かい合ってふうっと一息ついた。
芝崎先生は生徒一人一人をきちんと見てくれている印象がある先生だった。俺が石黒たちとふざけあっている時はあまり介入してくることはなかったが、〈散る散るミチル〉の異名で盛り上がっている時は、後々に「大丈夫か?」と声を掛けてくれた。
あれは、本心でふざけあっているのかどうか心配してくれたのだろう。
生前の自分の在り方は正しかったのか、色々と悩んでしまいそうだったので考えないように首を振った。
教室に戻ると、そのまま自分の席についた。そして、誰もいない教室を見回した。もうこの教室に自分がいない存在になるとは思いもしなかった。机に触れても木のぬくもりも一切感じられない。俺はそのまま顔を突っ伏してひたすら時間が過ぎるのを待っていた。
次の日、深町さんは窓のあたりに浮かんでいる俺を見つけるとあからさまに眉をひそめた。俺はひらひらと手を振った。
一日目のテストが終わると、深町さんはゆっくりと帰る支度をしていた。クラスの皆が出払う機会を窺っているんだろう。
「……もう、大丈夫そうね。伊島くん、机の引き出しを開けてもいい?」
俺はこくりと頷いた。引き出しを自分では開けられなかったので、深町さんの助けが必要だった。深町さんは俺の机の前まで来ると、ゆっくりと引き出しを開けた。
「……手紙なんて、見当たらないけど?」
「―――え!?」
「テストが始まる前に、大体の教科書やノートは持ち帰るはずだから手紙があるとしたらすぐにわかると思うんだけど……教科書やノートの間に挟まってない?」
「いや、それはない。昨日、帰る前に引き出しに入っているのを確認してから帰ったはずだから」
そういえば昨日昇降口で靴に履き替えている時に、石黒が忘れ物をしたといって一人教室に戻ったのを思い出した。手紙を書いたことは石黒に伝えていたが、里見さんへの手紙を石黒が持ち出す理由も見当たらない。
「何か思い当たる節がありそうだけど?」
「う……ん、思い当たる人がいるとしたら、石黒なんだけど。だけど、俺の手紙を石黒が持って行って里見さんに渡してくれようとしてるのかも」
「……伊島くん、今までの告白も全部手紙にしたためていたの?」
「え?うん。面と向かって言うとあがっちゃってちゃんと伝えられないかもしれないから手紙にした方がいいんじゃないかって、石黒が」
「それで、相手に手紙を渡していたの?」
「そういえば、封をする前に中身を石黒に読んでもらっていた。俺、文章力ないからさ、自信がなくて。こうした方がいいって、色々と忠告してもらったり―――」
「何でもかんでも石黒くんの言うとおりにするのね。それに、石黒くんの言うとおりに書き直したって結局は玉砕したんでしょう?」
深町さんの遠慮のない言葉に、俺はぐうの音も出なかった。
「好きな人に想いを伝えるのって、誰かの許可や審査が必要なものなの?伊島くんの心の内にある言葉を素直に書き記せばいいじゃない。文章力がなくたって、伊島くんの想いは相手にきちんと伝わると思う」
深町さんはぐっと視線を上げて俺を見据えた。
「伊島くん、今度は伊島くんの言葉だけで手紙を書こう。私が代筆する」
「深町さんが……?だって、明日もテストだし、時間が取れないんじゃ……」
「大丈夫。明日のテストの教科は自信のあるものだけだし、帰ってから見直せばいける」
深町さんの力ある瞳に俺は自然と胸が熱くなっていた。
「あ、ありがとう……」
絞り出すような俺の声に、深町さんは少し困ったように笑った。
教室にずっといると怪しまれそうだったので、人気のない裏庭に続くドアの前に移動した。深町さんはピンク色のノートを取り出し、しゃがんで書く準備をした。
「うん、いいよ」
里見さんは秋の合唱祭の時にピアノの伴奏をしていた。肩にかかるセミロングが鍵盤を弾く度に揺れて、真剣に向き合うその姿に惹かれた。俺は彼女を知りたいがために、こっそりと後をつけたりと若干ストーカーまがいのことをしていた。
昔から、好きになった子のことは何でも知りたいと思ってしまう。
その執着じみた本質を見抜かれて、いつも相手には断られてしまうと思っていた。
俺は里見さんの魅力をたくさん述べた。そして、好きで好きでいつもその姿を目で追ってしまうこと。包み隠さず、言葉にした。
「よし、ちゃんと書きました。あとは家にある便せんに書くから」
「本当にありがとう」
「因みに、過去に伊島くんが告白した子って誰?教えてもらっていいかな?」
「え?聞いてどうするの?」
「……ちょっと調べてみたいことがあって」
深町さんは一瞬表情に影を落としたが、すぐに元の表情に戻した。
「伊島くん、自信を持ちなよ。ちゃんと里見さんを想う言葉が綴られていたよ。改編なんてする必要はない」
俺は深町さんと視線を合わせるように体を降下させた。
「深町さん、何でこんな幽霊になった俺の願いにそんなにきちんと向き合ってくれてるの?」
「だって、聞いてほしいって言ったのは伊島くんじゃない」
拍子抜けをしたように深町さんはため息をついた。
「でも、生前、俺たちはほとんど話したことも関わったこともなかったよね。だけど、俺が死んで幽霊になったことでこうして面と向かって話せるようになった。皮肉だよね。もっと生前から深町さんと話したかった」
深町さんは何も話さなかった。だけど、俺は深町さんを見つめ続けた。幽霊が視えるというだけで、俺の無謀な願いに親身になってくれる彼女に、感謝以外の気持ちがあふれ出ているようだった。
「たまたまよ。私は、誰とも仲良くなろうとは思っていない。仲良くなって、私のこの性質のせいで巻き込んで、傷つけることになったら嫌だから」
深町さんは小さくそう呟いた。彼女の小さい頃に何かあったのかもしれない。だけど、そこまで踏み込めるほどの関係性を俺は築けていなかった。
彼女の目に映る悲しげな色に、俺は何も訊くことは出来なかった。
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