その遭遇は予期できない Ⅵ
「そういやぁ、おまえのところの
「違うよ」
即答するラウラに、リオンは顎に手を置きいやらしい視線を向けた。その表情は事故を見つけた野次馬のように、喜々としたいやらしさを見せる。
「ほう⋯⋯あいつが⋯⋯ウチで貰っちまおうかな」
「はいはい、だから違うって。あいつはただのシェルパだよ」
「はぁ? 何だ、荷物持ちかよ。【忌み子】の荷物持ちなんて、人生積んでるじゃん。ご愁傷様です、なんてな」
「うるさいな、あっち行けって」
冷やかし全開のリオンに、ラウラは本気の怒りを見せた。ここが引き際だと、軽く両手を上げて見せるリオンに、ラウラの怒りは増々上昇を見せる。
「アザリアに言っておけ。そんないるかも分からない【忌み子】に頼らないと、下に行けないのかってな。そんな事をしているうちに【ライアークルーク(賢い噓つき)】が、【ノーヴァアザリア(新星のアザリア)】をぶち抜くぞ、ってな」
「はいはい。抜けるものなら抜いてくれ。誰かのあとから潜る方が楽だからさ、ウチらは助かるよ。いつまでもウチのケツを追い回すだけじゃ、ダサいもんな。
ラウラは冷ややかな笑みと共に、蔑称をリオンへ向けた。リオンからヘラヘラと軽薄な笑みは消え、眼光鋭くラウラを睨む。その表情はどこまでも冷淡で、普通の人間であれば、震えあがるほどの冷たさと凄味を見せていた。
「ぬかしていろ。今のうちだけだ」
「それ、だいぶ前にも同じセリフ聞いたよ。おまえの“今”は随分と長いんだな」
ラウラの不遜な笑みに、リオンは冷静を保とうと大きく息を吐き出した。
「おまえ達より先に、最深部に辿り着いてやる」
「はいはい、言うだけならタダだもんな」
負け惜しみを吐き捨て、リオンはこの場をあとにする。最後にチラリとグリアム達を覗き、立ち去って行く姿にラウラの表情は曇る。
面倒なヤツに見られた、アザリアにも一応報告しておくか。
ヤレヤレと嘆息すると、ラウラはまたグリアム達に視線を戻して行った。
■□■□
見られている。
グリアムはずっと背中に視線を感じていた。家に戻った今も、誰かに見張られていると言う疑念は拭えないでいた。
アザリアのところだよな? いったい何を警戒してんだ?
「グリアム」
「なんだ、ヴィヴィ」
「街行こうよ」
「おまえは元気だな。勝手に行って来い。って言いたいところだが、その姿じゃ無理だ⋯⋯ちょっと待ってろ」
そういやぁ、どっかに仕舞い込んだ記憶はあるが、どこだっけ?
普段使わない棚⋯⋯この奥に⋯⋯違う⋯⋯違う⋯⋯お、あった。
グリアムは、使い古した棚の引き戸を開けていった。建付けの悪くなった引き戸は、簡単には開いてくれず悪戦苦闘したが、引き戸の奥から古びた小瓶をふたつ取り出して行く。
「ヴィヴィ、イヴァン、ちょっと来い」
ふたりは視線を交わし合い、テーブルの前に立つ。グリアムが小瓶をふたつ、テーブルの上に置くと、ヴィヴィを椅子へ座らせた。
「ヴィヴィ、ここに座れ。ふたりともいいか、今からヴィヴィの髪色を変える。そうすれば、街中を歩けるぞ」
「「ぉぉ」」
ふたり揃って感嘆の声を上げ、キラキラした瞳を小瓶へと向けた。
まずはこっちだったはず⋯⋯。
「ひとつめはコルルの果汁だ。飲むと上手いやつな。これを頭にまんべんなく振り掛ける」
「うひゃぁあ! あ、でもいい匂い」
ヴィヴィはクンクンと漂う甘酸っぱい果実の香りを吸い込んでいく。部屋中が芳醇な果実の香りに満たされた。
「んで、次はカデの樹液だ。くっせぇ」
「んがぁ!! グリアム! 臭い! これ臭い! 鼻がもげる」
「我慢しろ! イヴァン、窓を全開にしろ」
とろりとした琥珀色の樹液をヴィヴィの頭に塗りたくった。いわゆる便所で良く遭遇するあの香りを、さらに濃縮した悪臭となって、甘酸っぱいコルルの香りを掻き消してしまう。風が部屋の空気をいくら入れ替えても、ヴィヴィの頭が放つ悪臭は消えず、全員が鼻をつまみ悶絶していた。
待つ事半刻。
悪臭から逃れようと必死にもがいたが、それはまったくもって無駄な動きで疲弊だけが蓄積する。
グリアムがヴィヴィの頭をイヤイヤ確認し、浴室を指差した。
「お゛い゛、イ゛ヴァン! ヴィヴィの頭を洗っで来い゛!」
「わ゛がり゛ま゛じだぁ」
イヴァンがヴィヴィの腕を引き、浴室にダッシュする。ギャーギャーと悲鳴に近いヴィヴィの声が扉越しに届くが、グリアムは知らん顔で受け流した。
だが、次の瞬間。
「「おおお⋯⋯」」
ヴィヴィの悲鳴が止むと、ふたり揃っての感嘆の声が届いた。
「グリアム! 見て見て! 髪が青くなったよ!」
「知っているさ、その為にしたんだから」
ヴィヴィの紫髪が、光沢を見せる青髪へと変貌していた。ヴィヴィは臭かった事も忘れ、美しい青髪の姿を鏡越しに覗き、満足気な表情を浮かべる。
これで街の人間に「魔族だ」と、指を差される事は無いだろう。
そして、こちらを見つめるアザリアのところのだれかさんにも、ヴィヴィが魔族とバレる事は無くなったはずだ。
「髪の色を変えるだけで、大丈夫なのですね」
「そこでしか見分けがつかんのさ。魔族を実際に見た事があるやつなんて、そうはいねえからな」
「僕の村では、普通に見てましたけどね。それじゃあ、とりあえず買い物に行ってきます。何か必要な物はありますか?」
「何か飯を買って来てくれ。今日はもう、家から出るのがだるい」
「⋯⋯なるほど⋯⋯分かりました。それじゃヴィヴィ、行こうか」
「うん!」
イヴァンは一瞬だけ逡巡して見せたが、すぐにヴィヴィと共に玄関へと消えて行った。今日はもう何事も無く⋯⋯。
「あ⋯⋯」
玄関でヴィヴィが唐突に立ち止まる。
「どうした?」
「生まれる⋯⋯」
「へ?」
「卵」
「「えええー!!」」
ヴィヴィひとり冷静で、オレとイヴァンは何をすればいいのか分からず、部屋の中をウロウロと落ち着き無く歩き回る。
「毛布! イヴァン、毛布だ」
「はい」
「ヴィヴィ、その卵を毛布の上に置け。あ! そっとだぞ」
「うん、分かっているよ」
子供の頭ほどの大きさがある卵は、毛布の上で少しずつ揺れ始めた。コンコンと卵の中から殻を叩く音が聞こえて来る。
生まれる。
つか、そもそもこれ何の卵?
ヴィヴィに訊いてもいまいち要領を得ないし、とんでもなく危ないやつが生まれるとか勘弁してくれよ。
ピシっと割れる音ともに、卵にひびが入って行く。そのひび割れがだんだんと大きくなって行き、パキっという音と共に、卵はふたつに割れた。
え? これ何?
グリアムは目をまん丸にして、覗き込む。そこで蠢く小さな命を、今は見つめる事しか出来なかった。
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