その出会いは唐突すぎて Ⅳ

 経験豊富なグリアムでさえ、わが目を疑う。その、人間をも簡単に凌駕するであろう巨躯が、ふたりに狙いを定めていた。

 蜥蜴の化け物、その巨躯はまさしく怪物。赤味を帯びる三本の短い背ビレは、太く長い尾まで伸びている。血走る黄色の眼球は異様に飛び出し、ギョロギョロとこちらへ向いていた。感情の欠落したその目は、本能のままに行動を起こすだけ。それは眼前のふたりを喰らう、ただそれだけの為に地面を蹴る。


「走れ!!」


 グリアムの叫びが、イヴァンの背中を押した。常に冷静なグリアムの焦り。その焦りに間違い無く、有り得ない危機が迫っているのが分かった。

 振り返るイヴァンの目に飛び込む、太い四つ足でグングンと迫る巨大な蜥蜴。その姿は異様でもあり、恐怖でもあった。


「あ、あれは何ですか?!」


 息を切らせながら、辛うじてこぼれたイヴァンの言葉にグリアムは短く答える。


「バジリスクだ!」


 有り得ん。

 最深層26階から現れるはずのバジリスクが、なぜ11階に現れる?

 

 いくらイレギュラーとはいえ、最深層のモンスターが上層に現れるなど、聞いた事が無かった。どう足掻いてもDクラスの駆け出し潜行者ダイバーと、ダンジョンシェルパのふたりで、太刀打ち出来るものでは無い。

 流れて行く赤い壁と迫る最上級のプレッシャーに、拍動は跳ね上がる。重い足音は、軽快なリズムを刻み背後へと迫った。

 後ろを振り返る。飛び込んで来るのは、大きく口を開くバジリスクの姿。

 

 この先、狭い通路を折れれば、小さな空間ホールがあるはずだ。ヤツの体躯では、あの通路には飛び込む事は出来まい。

 

 グリアムは酸欠状態の脳をフル回転させ、頭の中に地図を展開して行く。

 

 もう少し⋯⋯あともう少し。

 

「飛び込むぞ!」


 グリアムは狭い通路へと飛び込み、イヴァンの腕を引いた。予想う通り、バジリスクの体は壁に阻まれ、ふたりを追う事は出来ない。

 危なかった、さて、どうしたもの⋯⋯。


「!!」


 次の展開に思考を巡らす事など出来なかった。地面からの光がふたりを包む。


「グリアムさん!」

トラップだ!」


 その叫びがイヴァンに届いたかは分からない。激しい閃光に目は開けていられず、次の瞬間、鈍重な衝撃がふたりの体を襲った。


■□


 ——————意識を切らすな⋯⋯。


 激しい衝撃に何度となく飛びそうになる意識に自らを鼓舞して行く。

 飛ばされた先がどうであれ、意識が飛んだ状態でダンジョンに転がっていれば、彷徨う怪物モンスター達に「食って下さい」と言っているようなものだ。


 激しい馬車酔いに似た、悪心が襲う。不快な気分のまま辿り着いた先を、グリアムはゆっくりと見回して行った。


「イヴァン、起きろ」


 辺りを警戒しながら、地面に転がるイヴァンを足蹴にする。


「ぅぅ⋯⋯気持ち悪い⋯⋯あれ! ここは?!」


 イヴァンは目覚めると、自分が置かれている現状をすぐに把握し、飛び起きた。

 

 何の気配も感じない。静かだ。とりあえず【溶解の泉】では無かったのはツイていると思おう。

 何階だ? 11階よりだいぶ明るい。【アイヴァンミストル】が多い⋯⋯という事は、間違い無く下に飛ばされたな。だが、バジリスクと遭遇して飛ばされ、26階より上なら幸運ラッキーと考えるべきか。

 最速で上を目指す為、とりあえず要らない荷物を捨てる。最低限の物だけ持って、切り抜ける。もし、ここが最深層なら生存の確率はほぼ0%。深層なら5%くらいはあるか?

 

 グリアムのオッドアイが静かに辺りを探り、現状の把握に努めた。


「分からん。とりあえず11階よりは下だ。これを持て」


 周辺を警戒しながら回復薬と毒消しを手渡すと、イヴァンは腰のポーチにそれを素直にしまった。

 グリアムはハンドボウガンを腕に装備し、白銀のナイフを逆手に握る。


「え!? グリアムさん、戦えるのですか?!」

「どっかの駆け出しよりはマシな程度だ。過度な期待はすんなよ。行くぞ」


 辺りの気配に最大限の警戒をし、ゆっくりと足を進めて行った。

 ここはどこだ? むやみやたらに歩くのは愚策だ。何か特徴のある物はないのか?

 

 グリアムは、真っ直ぐに伸びる坑道を見つめ、必死に手掛かりを模索した。

 黒味を帯びた壁と、不気味な静けさに混じる小さな鳴き声はおぞましく、ふたりの心を激しく揺さぶる。イヴァンもまた緊張からか口数は極端に少なく、ダンジョンの静けさを後押していた。

 足取りは重く、慎重にならざるを得ない。カラっと床を転がる石ころにでさえ、激しく反応してしまう。


「グリアムさん⋯⋯ここって⋯⋯」

「しっ! 来るぞ」

「え?!」


 刹那、逆手に握るグリアムのナイフから打突音と火花が走り、グリアムの体は紙切れのごとく後ろへと舞った。

 暗闇に浮かび上がる黒い塊と、ギロリと睨む血走る目には明らかな殺意が浮き彫りとなっている。鼻息は荒く、前脚は今にも飛び出さんとばかりに床を蹴り、砂ぼこりを舞い上げていた。

 

 チッ! 大猪レギアボアスか、厄介だな。

 

 グリアムは飛ばされた反動を使いくるりと一回転するとすぐにナイフを構え直した。

 砂ぼこりが舞い上がる。

 下顎から突き出る湾曲した牙だけでは無く、額から飛び出る短い一角が、突き破れとばかりに眼前へと迫った。

 グリアムは二度、三度と、闘牛士マタドールのごとく躱したものの、一矢報いる事すらままならない。防戦一方となっているグリアムの表情は険しく、反攻の糸口を模索し続ける。

 

 イヴァンはただ茫然とその戦いを見つめる事しか出来なかった。

 激しい突進を繰り返す大猪に、経験の浅い自分ではなす術など無いと、行方を見守る事しか出来ない。見つめる瞳は悔しさに溢れ、もどかしい思いに苛まれていた。

 

 これじゃあ、埒が明かんぞ。

 

 グリアムが、大猪の正面に立つ。猛スピードで突っ込んで来る巨体に向けて、グリアムはハンドボウガンを構えた。

 

 まだだ。引きつけろ。

 

 重い足音が近付く。その音に比例して大きくなって行く姿は、グリアムの拍動をひたすらに上げて行く。

 

 まだだ⋯⋯。


「グリアムさん!」


 何も出来ないイヴァンの叫びは、大きな焦燥を纏う。

 砂ぼこりを上げながら猛スピードで、大猪が眼前へと迫り血走った目を見開いた。

 

 ここ!

 

 カシュ、カシュっとグリアムのハンドボウガンが、乾いた音を鳴らす。狙いすました短い矢が、大猪に顔目掛けて真っ直ぐに飛んで行った。


『『ブゥウウオオオオオオオ!!!』』


 大猪の悲痛な叫びがこだまする。瞼の上に突き出る二本の矢が、大猪を暗闇へと誘う。

 だが、猪の勢いは衰えない、突き出た牙はグリアムの体をかち上げた。



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