第4話 逃亡

「今朝、神託があった。──サフィ・リゴール。神はその者を勇者とすることに決めた。これはこの場に集まった神官皆が受けた神託である」


 始め、それを聞いた俺は頭が真っ白になった。呼ばれる筈だった名前は呼ばれず、横で今日も俺の服の袖を掴んで引っ付いている幼馴染の名前がなぜか呼ばれたからだ。


 驚いているのは俺だけじゃなかった。村のヤツらも、神託の予告があったと聞きつけて王都から村に来ていたヤツらも。誰もが唖然としていた。


「そんな、そんなワケがねえ! なんで俺じゃない!? なんでよりにもよってコイツなんだ!? コイツは、ギフトを一つも──」


「サフィはギフトを授かっている。それもカイナ、お前よりも多くを。そして今日、我々に神託があったのと同時期に、勇者にのみ与えられるギフトも授かった筈だ。そうだろう、サフィよ」


 俺の疑問に答えたのは村の神官だった。ギフトを授かった日、サフィに付き添っていた。


「隠してたってのか……!?」


「ああ。サフィの希望だ」


 淡々と喋る神官から目を離し、俺は袖の先を見た。


「カ、カイくん……」


 否定もしない、言い訳もしない。何をしていいのか分からない。そんな普段通りの表情と声で俺の名前を呼ぶサフィに、俺は頭が沸騰したように感じて、その手を振り払った。


「……なわけねえ。コイツが勇者なんて、ある筈がねえだろおおっ!」


 よろけ倒れそうになったサフィに、俺は怒りのまま拳を振るった。ギフトを授かって以降、俺は一日もかかさず身体を鍛えた。


 勇者に関する神託があった日からはもっと厳しく、王都から勇者の成長を補助する為の人間が来て以降は戦う為の訓練も始めた。


 そんな、その時の俺の全てを込めた拳は……サフィに届くことは無かった。


 ゴン、と。硬い壁を殴った時のような衝撃が拳に伝わって、怯えた顔のサフィの目の前で止まる。そこにあったのは少しだけヒビが入った透明な壁。


 ただの人間じゃ実現出来ない、超常の証。俺だってそれは持ってる。だからこそ、それだけで力の差が分かってしまった。


 周囲の人間は全員、俺を見ている。自分が勇者なんだって勘違いしていた間抜けを。本物の勇者を殴りつけようとした偽物を。


「っっ!!」


 俺は逃げた。何もかもを放りだして、衝動のまま身一つで村を飛び出した。


「カイく──」


 最後に聞こえたのは、いつもみたいに俺の名前を呼ぼうとしたアイツの声だったっけ。





 ☆




 あの時、俺の攻撃は通じなかったがヒビは入っていた。今の俺なら。そしてコイツが無防備に隙を晒しているこの瞬間なら。


 ゆっくりと抜き身の刃をサフィの首元へと近づける。心なしか、手が震えているような気がした。


「やれる……やれる筈だ」


 徐々に距離を詰める刃先。そこに予期していたあの硬い感触が訪れることは──ない。どれほど近づけても空を進むだけ。


「……なんでだ」


 完璧な不意打ちだったあの攻撃でさえサフィのギフトは反応していた。それが睡眠で途切れるなんて事があるか? 仮にそれが有り得るなら、こうまで無防備な姿を俺に晒すか? 


 このギフトは恐らく、発動の切り替えが出来る。ギフトの存在を隠し通していた間、あの不意打ちに反応して使うまでは、サフィは意識的にこのギフトを使っていなかったんだろう。


 ならコイツは今、わざとギフトを解除している? その状態で睡眠を? 


 分からない。コイツが何を考えているのか、何も。だがハッキリしているのは。


「殺せる」


 このままナイフを突き立てればサフィは死ぬ。俺が今まで殺してきたヤツらと同じように。同じことをすれば良いんだ。


 ──良いのか? 


「殺せる」


 ──俺が上なんだろ? こんなプライドも何もない方法でコイツを殺して? 


「何も考えるな」


 ──見下してたんだろう? 出来の悪い、仕方の無いヤツだって。だからコイツが勇者なのが許せなかったんだよな。


「どうでも良い筈だ。もう何もかも、俺には何もないだろ」


 それでも、コイツは俺が死ぬまで守ってやらなきゃなって、思ってたんじゃないのか? 


「──」


 ナイフが手から滑り落ちた。甲高い金属音が鳴って、俺はその場から立ち上がる。足が洞穴の出口を求めて動き出す。そうしてふらふらとしばらく歩いた後。


「カイくん」


 なんだか嬉し気な、顔を見なくても満足げな表情が浮かぶような、浮ついた声音。


 背後から聞こえてきたそれがどうにも恐ろしくて、それは振り返ることなく駆け出した逃げ出した


「はっ……! はっ……!」


 夜の冷たい森を走る。視界は良好だった。クッキリと草木が見える。その間を縫ってひたすらに逃げる。


 何から? どこから? そんな疑問が浮かんでは消えていき、しばらくして視界に異変が起こったのに気づいた。


 夜の森に、幾つもの明りが浮かんでいる。


「っ、発見! 発見いたしました! 恐らく件の──」


「どけ!!」


 声を上げた男を殴り飛ばす。顎がひしゃげて身体ごと飛んで行った。


「居たぞ! 囲め、囲め!」


「殺すなよ! 殺すのは勇者様の情報を引き出してからだ!」


 コイツらが何なのか明らかだった。一人一人が精鋭だという事も。戦い方を考えなければ負けると。


「──どけっつってんだろ!」


 もう、どうでも良かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る