第13話


 一時間ほど公園でしっかり話し合って、卓也と加依は帰路に着いた。


 家に近づくたびに加依の顔が強張っていった。

「大丈夫?」と尋ねれば、目に決意を宿したまま頷く姿があった。

 心の中の「がんばれ」を繋ぎとおすために、加依とつないでいる手に力をこめた。加依なら大丈夫だと信じていた。


 良くも悪くも、怖い時間と言うのはあっという間に来てしまう。岩倉家の前にたどり着くと、二人はいったん足を止めた。


「今日、父さんと母さんにちゃんと話すってことでいいんだね?」

「うん」


 決意は間違っていない。いいかげん二人で笑おう。加依が勇気をもてるのなら何度でも言葉を伝えようと、卓也もまた心を燃す。上る熱を染み込ませていく。


「むしろ前向きに怒られにいこう。今日は二人とも家にいるだろうから、リビングですぐに伝えることができる。大丈夫、そばにいるから。そばでちゃんと見ているから。加依が一生懸命に頑張るところを」


 何度目かの笑顔を作った。これだけ頬を動かせるんだなと驚くほどに。人は誰かのために本気になれる、とフィクションでよく使われる。現実でもそれが同じで、加依も同じなら、家族を想い続けてきた加依が報われないはずがない。


「ずっと手を握っていようか?」

「ううん、だいじょうぶ……!」


 加依は一回、二回と深呼吸をすると、自ら玄関のドアに手をかけた。卓也も胸を大きく張って後ろからぴったりついていく。

 玄関はいつもどおりに加依を迎い入れて、卓也と共に閉じられた。


「遅かったな」


 だが、いつもと違うことが一つ。


 一番最初に雄二の姿が目に入った。わずかに壁に寄りかかって腕を組んでいたところをみるに、帰宅が遅いことを心配してずっと待っていたのだろうか。

 リビングに突入して謝るはずが、対応に困る。帰宅に気づいた明日香も玄関にやってきて、雄二の後ろから不安げな顔を浮かべている。

 予想していた空気ではなかった。


(まぁ、少し話し出しにくい状況かもしれないけど、俺がもう一度うまく加依の背中を押して、謝る方向にもっていけばいい)


「た、ただいま」


 加代も頑張ってもちこたえる。

 だが、返事をすることに厳しいはずの雄二が、何故か加依に返事を返さない。加依の声はむなしく響き、雄二の険しい視線がただこちらへと向けられる。やはり、帰宅が遅かったことを怒っているのだろうか。


(……?)


 嘘ではない。身構えてはいた。

 ただ、先を見る目がなかった。


 だから――直後に生まれる心臓の爆発に、呑まれてしまった。


「学校の担任の先生から電話があった」


 顔から熱が抜けていく。雄二の行動を恐れて頭が動かせなくなってしまう。


「加依、お前の机の中に、友達の筆箱があったそうだ」


(あの、先生――――!)


 担任の先生は自分と同じ考えだと卓也は思っていた。糾弾するのではなく反省させるように、傷つけ過ぎないように、まずは本人に確認をとってくれるものだと。だが、先生は証拠を見つけ、親に話しておくべきだろうと判断してしまったのか。

 雄二は加依に家に上がる時間さえ与えてくれない。


「盗んだのか」

「あ、あの……」

「お前が、お前の手で、友達の物を盗んだのか」

「は、はい……。ごめんなさい……」


 ……反吐が出る腐りきった言い訳なら、なくもない。


 突然のことで反応できなかった。びびって身体が固まってうまく動けなかった。加依が先に家に入った関係で、加依との距離が少しあいてしまっていた。どこかでこうならないと思いこんでいた。


「なんて馬鹿な真似を」


 根拠もなくだれかを信じる姿は、後からみれば救いようのないほどに滑稽だった。

 なんて、自分は力のない人間なのだろう。

 そばで守るんじゃなかったのか。一緒にあやまるんじゃなかったのか。


 動こうと思っていた。動こうとした。かつて加依が庇ってくれたように。


 ――お兄ちゃんいつもくるしんでるみたいなの! いつもつらそうなかおしてるの! だからゆるしてあげて!


 そんな風に言ってくれた妹を、今度は自分が守ろうと思った。そのためにここに立っていた。

 ああ、なのに、手を伸ばすことすらできなかった。

 どんな犠牲を払ったって、加依の心を守りたかったのに。この身体を引き千切ってでも、雄二と加依の間に入らなければいけなかったのに。


 なのに、卓也は裏切った。


(やめ――)


 雄二はためらいなく加依の頬をひっぱたいた。


 はたかれた加依は、足の力が抜けてへたりこむ。

 卓也は、何もできなかった。


 何も、しなかった。



   * * *



 哲学を語る気なんてない。

 人生を語る気も、人について語る気も卓也にはない。


 そんな資格があるほど歳月を積んでないし、仮に言葉にしたとしても、そんなものは若者のたわごとだ。そこに何かを変える力などないと分かっている。

 だから、これから話すのはあくまで卓也が経験から吐き出しただけの、個人的で勝手で一方的で見向きもされない激情だ。


 北川陽介だったころ。嘘をつきカードを手に入れ、父親に平手打ちを受けた時。

 父親は正しかった。

 平手打ちは正しかった。

 騙すことの悪さを教えてくれたことに感謝していた。


 だが、奥底では憎かった。防衛本能なのか、単なる反抗期か、どうしても忘れられないことを恨んでいるのか。

 怒りを覚えれば正当化もしたくなる。長きにわたって思い出す中で、親が子供に暴力で躾けることについて考えていた。

 だから、抱く。


 暴力で叱るなら膿を出させるな。


 反省だけさせろ。暴力はあくまでそのための手段だろう。省みてほしいからその手を振りかざしたんだろう。

 罪を犯した子供を責めるな。愚かだと悲しむな。ありえないと失望するな。子供を愛していたんだろうが。赤子として生まれた時に、すでに暴力を想定した教育方針を立てていたのか。


 哲学は語らない。人生も、人も語らない。

 あくまで個人的だ。感情的だ。

 その上で卓也は訊く。


 お前の暴力は先のことを考えているのか?


 卓也の考えは否定されるだろう。阿呆なことを言っていると。

 生きていれば失敗をする。時に失言し、無礼を働く。そして他者から注意され、あるいは責められる。それに向かって「やめて」などと反抗しても、「悪いことをしたお前が悪い」で終わるだろう。少なくとも前世ではそうだった。

 暴力も同じ。手をあげる本人は、自分が正しいと疑わないだろう。


 もし、それに反抗したいなら、自分の考えは正しいなんて意見を持たず、侮蔑の視線を向けられても構わず、相手の心を変えることなど望んではいけない。

 だから結局、怒って叫ぶことしかできない。


 ……だけど。

 そういうことではなかった。


 悪いとか、正しいとか、自身の意思を通すとか。

 この時はすべてどうでもよくなった。

 遅すぎる感情。無意味な有り様。

 それでも。

 加依が雄二にはたかれた時、卓也はただただ激高した。



 ふざけるな。

 人を平気で傷つけてんじゃねぇよ。



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