第11話
本屋へのお出かけ以降、加依の様子がおかしくなってしまった。
うつむくことが多く、両親から声をかけられるたびに身体を震わせ、それでも学校で起きたことを聞かれれば、頬を持ち上げて気丈にふるまっている。隠れて様子をうかがえば、吐き出されるため息が絶えない。
かといって卓也が声をかけても、酷く怯えた様子で避けられてしまう。誰かがそばにいる時と、二人きりである時の違い。加依がしたことを両親に告げ口するつもりはない。
しっかり話し合いたくて彼女の部屋を訪れたりもしたが、閉じこもって応えてはくれなかった。
卓也が、そうさせてしまった。
いずれ耐えられなくなって加依自ら打ち明けるだろうか。だが、打ち明けるなら罪悪に呑まれたからではなく、加依の意思で打ち明けてほしい。それが卓也の勝手な願いだった。加依は優しい子だが、丈夫かどうかはまだよく分からない。
(……それで、今日も通学路の途中で話そうとしたけど、家から出た途端に逃げられて、先に行ってしまったと)
今は給食の時間だ。
教室で自分たちの机を動かし、子供たちはグループごとに固まる。二十分ほどの限られた中ですぐにおかわりを取りに行く子、食べ終わり会話に花を咲かせる子、ゆっくりと話さずに食べる子。生徒にとって欠かせない時間の中で、各々の個性が表れている。
黒板近くのグループにいる加依は、あまり口を動していない。いずれ先生に声をかけられて、「だいじょうぶです」と無理に急いで食べる姿が目に浮かんだ。会話をする時だけ元気だということは、そこにしか力を割けないということでもあった。正直、いたたまれない。
周りの子供たちは、どうすればいいか分からないのだろう。声をかけられることはなく、加依の周りだけ音が小さい。
避けられている卓也がこの瞬間にできることは、加依がさらに盗みを働かないように見張っていることぐらいだった。でも疑い続けることは辛くて、すぐに加依の手を引いて強引に話し合いたくなる。
前世で両親に嘘をつき、カードを手に入れていた前世の卓也は、どうしても欲求に逆らえない状態だった。言い訳するつもりはないが、冷静に見つめ直さなければならない部分でもある。
大人でも感情に逆らえず罪を犯す。子供が自分を制御できないなんて当たり前だ。
もし、加依が『何か』を自分で止められなくなっているのなら、卓也から関わらないといけない。
偶然か、加依と目が合った。
「……っ!」
すぐに視線を下げてしまう加依は、卓也の表情から何を感じているのだろう。責められていると誤解しているのではないか。
(胸が痛いのかな。いま、もしかして動けなくなっているかな。……辛いだろうな)
何を話し、伝えればいいのか。
先日は「いわないで」という彼女の言葉を聞かずに、打ち明けることを勧めてしまった。それが原因で避けられているのなら、謝らなければならない。本屋での失態を恐れ、ゆっくりと確実な道を求めるのは愚策になってしまわないか。
残り僅かの給食を口に運ぶ。光沢を放つアルミ製のお盆や、プラスチックの食器、かつて何度も飲んだパック式の牛乳を眺めると、こんな時でも既視感にさらされる。
ふいに、別の方向からの声が届く。
「せんせい……。ちょっといいですか……?」
この学校では、教師は生徒たちのグループにまじって給食をとる。今日は廊下側にあるグループの一つと席を重ねていたが、その先生に二人の女子生徒が近づいた。
先生に声をかけた女の子が、その後ろで様子をうかがっている子を、引っ張ってきたように見える。
「どうしたの? 給食の時間に」
学校におけるならわしか、世間の常識かは知らないが、この時間に席を立つのはあまり行儀がよくないとされている。しかし、二人の女の子は日ごろ悪さをする生徒でなかったからか、先生もすぐにはしからなかった。
「めいちゃんの、ふでばこがなくなっちゃったんです。あさがっこうにきたとき、たしかにひきだしにいれたみたいなんですけど……」
卓也の警戒心が、思い切り跳ね上がる。
(たしかに朝は、加依の方が早く教室についていたけど……、いや、でも)
何かしなければと思うが、具体的な行動に移れない。
「今までの授業はどうしていたの?」
「わ、わたしがえんぴつをかしていました。でも、つぎのじゅぎょうは算すうで、じょうぎをつかうから……、ふたりでせんせいに言おうってことになって」
「忘れてきたわけじゃないのね?」
先生の視線を受けて、後ろの子がおずおずとうなずく。話していた女の子は助けるように声を上げた。
「だから、その……、ぬすまれたのかなって」
瞬間、教室にいる生徒のほとんどが会話をやめた。
同級生を疑う発言だ。幼い子供だからできてしまう無自覚な刃が、クラスという空間に突き刺さってしまった。
「荒木さん、決めつけるのはよくないわ。どこかにあるかもしれない。でも、そうね……、みんな、青山さんの筆箱があたりに落ちていたりしないかしら?」
周りの雰囲気から先生も聞かざるを得なかったのだろう。事実、ここでどこかに落ちていれば問題はなくなる。周知させれば見つかりやすくもなる。どんな筆箱なのか、先生はなくした女の子に尋ね始めた。
静まり返る教室で、卓也は寒気が止まらずにいる。あくまで仮の話だし疑いたくもないが、本当に最悪の場合は、加依が事を起こしていて、しかもクラスの中で盗みが発覚してしまう。そうなれば確実に親へ報告がいく。勘弁願いたい。
横目で加依をうかがう。事態が起こる前からずっと俯いているために、彼女の態度からは読み取れない。
直後のこと、卓也の心臓は跳ね上がるどころか、鐘に見立てられぶん殴られた。
「おれしってます。ぬすんだひと」
何が嬉しいのか見開かれた目。興奮して広がる鼻に、つりあがる口。
少し前に卓也を椅子から転ばせた生徒――多口尚人が手をあげてふんぞり返っていた。どう考えても、尚人の声はもう止められない。犯人が告げられる。
(あいつをぶん殴ってもみくちゃにするか? いやだめだ。それをやっても父さんと母さんに報告がいく。事情を話さなきゃいけないし、話さなかったとしても加依がくるしむ……ってなんで加依がやったと決めつけてる! いや、でもこの状態を放置しておくわけには……!)
さらし者にするのは先生もさすがにまずいと考えたのか、視界の端であせる様子が見えたが、少しの間もなく尚人は話し出してしまった。
「はんにんは、いわくらたくやくんでーす。さっきめいちゃんのひきだしを、しらべているのをみてしまいましたー」
「………は?」
(え? 何で俺?)
清々しいほどの嘘だと分かるが、尚人はこの事件にどれくらい関わっているのだろうか。単なるいたずらなのか、幼いなりに本気でハメようとしているのか。幼稚なその言葉が恐ろしい。
全員の視線が卓也に向いた。こそこそと話し出す生徒は何を想っているのか。緊張に耐性のない卓也は、硬直していく身体を恨めしく思う。
「多口くん、本当に岩倉君がそうするのを見たの?」
「はい。たのしそうにふでばこをだしていました。もしかしたら今ももっているかもしれませんねー!」
クラスメイトたちがわっと騒ぎ出す。先生の注意も飛ぶが収まらない。本当かどうかは関係なく、平穏が乱れたスリルを楽しんでいるように思える。
さて、と無理やりにでも息を吐き出す。
もし尚人が犯人で、盗んだ筆箱を卓也のランドセルやロッカーに入れていたなら、卓也の疑惑は膨れ上がる。加依が犯人として疑われないまではいいのだが、同じく岩倉家に報告がいく以上、絶対に避けたい状況に変わりはない。
肺を膨らませて胸を張り、卓也は先生に向き直る。
「先生、はなしたいことがあるのですが」
「……どうしたの?」
「ここではんにんを見つけるのはやめませんか? そもそもはんにんがいるかもわからないですし、あとでなにかをおしえてくれる子がいるかもしれないですから」
犯人が確定すれば誰にせよさらし者になり、しかし、その後どんな立場になってしまうかは怖いほど未知数だ。一方で筆箱をなくした女の子のことを考えれば、全てなかったことにはできないだろう。教師としてはどちらにも対処しなければならない。
同時に解決する方法はないが、何かを隠していた子が昼休みや放課後を利用して先生に告げれば、穏便に解決できる。
「じぶんがはんにんのくせに、ごまかそうとしてるんじゃないですかー」
「黙れクソガキ。お前には言ってねえよひっこんでろ」
おもわず、スルリと、素が出たうえに暴言も出た。
反撃されると思っていなかったの、尚人はポカンとした後、口をつぐむ。
「岩倉くん、そんな乱暴な言い方はやめなさい」
「はい」
「でも、あなたの言う通り、ここではっきりとさせるのは良くないと思っていました。昼休みや放課後は職員室にいるようにするから、何か話したいことのある人は、私に呼びかけるようにしてください」
先生はもう一度、無くした子を落ち着かせていた。五時間目の算数の授業では、先生から定規を貸せば事足りるだろう。
視線を感じて振り向くと、多口尚人がこちらをにらんでいる。かつてなら気にしないふりに留めただろうが、同じ以上に睨み返していた。が、今は彼に用はない。
未だ、加依は表情に影を差して俯いたままだ。
食器の上に残る給食は恐らくもう減らないだろう。かつての自分と重なり、何も力になれていないことを悔やむ。
くるくるまわるだけの頭にいい加減うんざりしてきた。
たぶん開き直ったほうがいい。
加依と話そう。
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