第2話急に甘える峯田
「シフト…こんなに入って大丈夫なの?」
ある日の閉店作業中のことだった。
僕は一人で閉めの作業をしていて、ラストまで残る珍しい社員の峯田沙里はシフト表を持って事務所からやってくる。
「大丈夫ですよ。稼がないといけませんから…」
「でも…こっちは助かるけど…夢は良いの?」
「あ…うん。次にやりたいことは見つかっているんですけど…その為には必要な機材が多くて。お金が足りないんですよ」
「そう。夢は大変だね。でも頑張っている姿は美しいよ」
「ありがとうございます。出来るだけ多くシフトに入れてもらえると助かります」
「うん。希望通りに入れておくよ。いつもありがとうね」
「いえいえ。自分のためですから」
「それでも…ありがとう」
峯田からの感謝を受け取ると最後まで閉店作業を行う。
退勤のタイムカードを押すと更衣室で着替えを行っていた。
板前さん達は近所の社宅へと向けて帰宅していく。
僕も裏口から外に出るとそこで待っていた峯田に挨拶をする。
「お疲れ様でした。明日もよろしくお願いします」
頭を下げて帰路に就こうと思っていると峯田は裏口の鍵を閉めて僕に提案のようなものをした。
「飲みに行かない?」
僕の記憶にある中では初めてのことだった。
峯田と二人きりで飲みに行った記憶はない。
例えば大勢での飲み会で顔を合わせることはあったのだが二人きりは無かった。
「えっと…」
少し困ったような、どうすべきか分からないでいると峯田は続けて口を開いた。
「心配ないよ。私の奢りだから」
「いや、そんな…悪いですよ」
「良いの。私が誘ったんだし夢にお金が掛かるんでしょ?そんな人からお金は受け取れないよ」
「そうですか…でも…良いんですかね?」
「何が?良いでしょ」
峯田はあっけらかんとした表情を浮かべると僕を誘うように手を差し出してくる。
それを受け取るように僕は歩を進め二人並んで居酒屋まで向かうのであった。
駅前の居酒屋は深夜二時まで営業しており、僕らが到着したのは二十三時過ぎだった。
一杯目は二人共生ビールを注文して乾杯する。
「好きなもの頼んでよ。お腹いっぱいになるまで食べて」
峯田は明らかに僕に甘い態度で接してくれている。
それはここ最近、気付きかけている。
他の男性と接する時とは明らかに態度が違う。
そんな事を自惚れではなく事実として感じ取っていた。
「ありがとうございます。串盛りを頼んでもいいですか?」
「どうぞどうぞ。遠慮せず好きなの頼んで」
再び感謝の言葉を口にして店員さんに注文をすると僕らの夜はこれから始まろうとしていた。
「私がバイトだった頃のこと覚えている?」
それに頷くと生ビールを一口飲み込む。
「懐かしいよね。あの頃のバイト仲間とまだ交流ある?」
「無いですね。今何処で何をしているのかも知らないです」
「そうだよね。そんなものだよね。十年近くも付き合いが続いているのは私達だけだよね」
「そうですね。僕はずっと夢ばかり追って…今でもフリーターですからね。峯田さんはそのまま社員になって。何となくずっと関係性が続いていますね」
「そうだね。でも私は嫌じゃないよ。加藤くんと一緒なの…」
「………」
峯田は疲労から早々に酔ってしまったのか、その様な言葉を口にして目をとろんとさせていた。
「そうですね。僕も嫌じゃないですよ。これだけ長く付き合いがある人は他にいませんから」
「私も…だからかな…特別に感じるの…」
「卒業だったり就職を期に途中で離れていきますもんね。各々の進む先で幸せに過ごしていればいいですけど」
「加藤くんは…離れていかないでね…?」
「はい。まぁ…先のことはわからないですけどね」
そこから僕らはつまみを頂きながらアルコールを飲み続け閉店まで二人で過ごすのであった。
完全に酔っている峯田の腕を持つとそのまま自分の肩に彼女の腕を回した。
それでも峯田は安定しない足取りでふらふらとしているので僕は彼女の腰を抱くように手を回した。
「タクシーまで歩けますか?」
「ぎり…行けないかも…」
「頑張ってください。もうすぐですよ」
「う…がんばる…」
急に幼児退行したような峯田に軽く苦笑するとタクシー乗り場まで向かう。
「一人で大丈夫ですか?ちゃんと帰れます?」
タクシーに峯田を乗せると一応問いかける。
「むり…」
眠たそうな目付きで甘えるように僕に言葉を投げかける峯田に軽く困ってしまう。
「お兄さん。行き先も言えない人を一人にしないでよ。こっちも困っちゃうから」
タクシーの運転手にせっつかれて僕も仕方なく乗車することになる。
「峯田さん。住所言えます?」
僕の問に彼女はうわ言のようにして住所を言うので、そのままを運転手さんに伝えた。
そうして乗車すること十五分程で目的地と思われるマンションの前まで到着する。
「2200円です。お兄さんも一緒に降りてあげな。このお姉さん…路上で寝ちゃう可能性あると思うから」
運転手さんは面倒な客を無理やり降車させるような事を言っていた。
財布からピッタリの運賃を払うと僕と峯田は揃って降車する。
「峯田さん。何号室ですか?」
「203…」
部屋番号を聞くと僕らはエレベーターに乗って峯田の部屋の前まで向かう。
「鍵。出せますか?」
「はい…」
峯田は鞄の中を漁るとキーケースを渡してくる。
鍵を開けて中に入る。
初めて入る峯田の部屋をまじまじと見ることもなく彼女の靴を脱がす。
「部屋。どっちですか?」
峯田が指を差す方向に向かうと部屋のドアを開けて彼女をベッドに寝転がせた。
「じゃあ。これで…」
そんな言葉を残して明日も朝からシフトに入っているため帰路に就こうとしていた。
のだが…。
「行かないで…」
峯田の甘えるような言葉を耳にして僕はどうしたものかと悩んでしまう。
「側にいて…」
その甘える言葉に了承するように頷くと峯田の眠るベッドの側で朝まで過ごすことを決めるのであった。
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