見たことあるような
佐々井 サイジ
見たことあるような
インターホンが鳴り、モニターに駆け寄ると男が突っ立っていた。見たことのない男だった。宅配業者のユニフォームを着ていないし、スーツでもない。年齢は俺と同じ三十歳だろうか。怪しいので居留守しようとした。でも、泥棒や強盗を考える人はインインターホンを鳴らして、人がいない時間帯を事前調査していると最近聞いたことを思い出した。
「はい」
「お忙しいところすみません。隣に引っ越してきたカツイと申します。ご挨拶に伺いました」
声色が明るくてハキハキした口調だった。俺は軽く息を吐いて、ドアを開けた。
「あっ、どうも」
俺は改めてカツイに挨拶した。
「すみません、お忙しいところ。改めましてカツイと申します。勝利に井戸で勝井です。よろしくお願いいたします」
勝井は物腰低そうだが、穏やかな笑顔で挨拶してくれ、紙袋をもらった。挨拶が終わりテーブルに中身を開けてみると、真っ赤な容器に入ったグミだった。贈り物としては珍しく思ったが、宝石を敷き詰めているようなデザインで綺麗だった。
「誰だった?」
長いトイレから出てきた妻が言った。
「隣の人、引っ越して来たんだって」と答えると興味なさげにグミを一口ほうばった。
「それにしても、勝井っていう人、どこかで見たことがある気がするんだよな」
「芸能人?」
「たぶん……」
モニターに記録された男の顔をもう一度確認してみる。やはりどこかで見たことがある。でも思い出せない。三十歳になった去年あたりから急激にこんなことが増えた。女性アイドルの顔もみんな一緒に見えると妻に話すと「立派なおじさんじゃん」といってからかわれた。妻からは芸能人の名前を次々に出されるが、ピンとくるものはない。思い出せない気持ち悪さが後を引くが、三十年も生きると似たような顔くらい出会うだろう。忘れることにした。
ある日の夜、ベランダに出て缶ビールの蓋を開けた。夜の風は冷気を孕んでいるが、凍えるほどではない。仕事終わりの夜、ベランダに出てビールを飲むのは恒例となった。冷やされた体をアルコールで温めていると隣から何やら音が聞こえる。
「止めて」「痛い」「助けて」
この前、引っ越しの挨拶をしてきた勝井の部屋からだった。少しベランダから顔を出して部屋を覗こうとするも見えない。バイオレンス系の映画でも見ているのだろうか。まあ部屋の中にいると何も聞こえないし、迷惑とまではいかない。ちょうどビールを飲み切ったので、部屋に入ることにした。
だが、あの夜からビールを飲みにベランダに出るたびに音が聞こえていた。しかもどうやら毎回同じセリフのようだった。いつも同じ時間に同じ映画を見ているようで違和感が大きくなるが、少し身を乗り出して覗き込んでみてもカーテンに阻まれて何も見えない。
その日の夜もビール片手に勝井の見ている映画に耳を澄ませていると、いつもと違うセリフが出てきた。
「X堂で万引きしてこいよ」「A先生のスカート捲ってこい」
俺は心臓を強く握られるような痛みが身体を巡った。X堂もA先生もなじみ深い言葉だった。X堂は男の地元のスーパーであり、A先生は俺が中三のときの担任の先生だった。
なにより、その言葉を発した声に聞き覚えがある。声変わりの完了した自分の声が聞くのが嫌で、こびりついていたからである。紛れもなく俺の声だった。
頭の中に浮かぶ勝井の顔が変形していき、ある顔にたどり着いたときには呼吸が乱れて息苦しい。しかし、あいつの名前は南田のはず。そして南田は遠くの県外に転校していったはず。
ベランダから頭を出して勝井の部屋を覗こうと身を乗り出した。すでに何度も試みているが、そうしないではいられなかった。やはりカーテンが閉じられていて何も見えない。呼吸が乱れたまま、身体をもどしていると、隣から頭が飛び出した。勝井だった。
「やっと、思い出した?」
勝井は口角が目元まで引きあがった笑みを浮かべている。ぽっかりと目が空洞になっているが、よく見るとすべて黒目だった。怪異そのものである。
「これから、よろしくお願いしますね。溝内くん」
見たことあるような 佐々井 サイジ @sasaisaiji
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