第43話 悩んだ時はパンを焼こう(2)

 ルカは思わず目を疑った。


 大きな人影がきょろきょろとあたりを見回している。


 でかい体と、太い首、分厚い四肢がそれぞれ三つずつ。

 乱視になったかと思うほどそっくりな図体が三人並んで、挙動不審な動きで城内をこそこそと探索していた。


 一応は隠れてこっそり忍び込んでいるつもりらしいが、もれなくガタイのよすぎる男たちのため、まったくもって隠れられていない。


「ユリウスさん、クラウスさん、マリウスさん。そこでいったい何を?」


 呼ばれて、騎士の三人がいっぺんに振り返った。


 完全にシンクロした動きだった。顔もそっくり同じ驚愕の表情でそろえて、三人はわあっとルカに詰め寄る。

 

「ルカ様!」

「生きてたんすね!!」

「良かったぁぁ!!!」


 なぜ死んだと思われていたのだろう。


 ルカが首をかしげていると、ユリウスが周囲をきょろきょろと警戒しながら、小声でささやいた。


「……ほら、旦那様がお帰りになっただろ?」

「うん」

「そんでさっそくルカ様がとっ捕まって連行されたって聞いたもんで……」

「もうバレたか早ぇーなって、ルカ様の冥福を祈ってて……」

「せめて骨だけでも拾ってやっかってことで、ここまで来たんすよ」


 辺境伯には捕まったというより自分からほいほいついていったのだが、はた目にはそんなに強制的に連行されたかのように映ったのだろうか。


 アレクシアに懸想けそうしていることも、もうバレたかというより自分から速攻でバラしたのあって、決して締め上げられて吐かされたわけではないのだが……。


 そう思い返していると、クラウスが「厨房の連中が泡くって教えてくれたんすよ」と耳打ちした。


 ルカが辺境伯の私室に赴いた後。あの場にいたハンスたち料理人は「ルカ様が旦那様に連れ去られた」としきりにあわてふためいていたらしい。


 動揺して右往左往する彼らをたまたま見かけた三人の騎士は、これはヤバいと察しはしたものの、辺境伯の私室は固く閉ざされて誰も入ることはできなかった。


 あの世にも恐ろしい旦那様にさっそく捕まっては、ルカはすでに灰になっていることだろう。


 せめて遺骨くらいは拾ってやらなくては哀れだと、三人は今日も腹痛を装って訓練を抜け出し、城内に忍び込んだようだ。


 旦那様こと、当代のリートベルク辺境伯ヴィクトルの筋骨粒々とした威容を思い浮かべながら、ユリウスとクラウスとマリウスはぶるるっと武者震いした。

 

「怖ェだろ、うちの旦那様」

「嘘みたいだろ。貴族なんだぜ、あれで」

「裏社会を牛耳る元締めみてぇな極悪人ヅラなのに、高位貴族なんだぜ、あれで」

 

 裏社会だの元締めだの極悪人だのさんざんな言われようだが、実際にヴィクトルはそろって強面のユリウスとクラウスとマリウスを三人かけ合わせた程度には恐ろしい風貌の持ち主である。三人いわく、顔が恐すぎて泣く子ももっと号泣するらしい。


 ヴィクトルは背もとても高く、軍人らしく武骨で雄々しい。細身のルカと並べば、体格差はひぐまと兎と言ったところか。


 だが、ルカは澄んだ瞳で首を振った。

 

「辺境伯は確かにとても大きな方だけど、少しも怖くはなかったよ?」

「「「マジで!?」」」

「うん。優しくて、愛情深くて、素敵な方だったから」


 ヴィクトルの私室で飲み明かした昨夜は、彼の秘蔵のお宝を拝んだり、アレクシアの幼少期の話を聞かせてもらったりと、ひたすら楽しくて充実した時間だった。


 ヴィクトルの妻と娘への深い愛情を何度も感じられて、何度もほろりと涙したほどだ。


「それに僕はああいう強くて凛々しくて雄々しい方に憧れるというか……。あっ、変な意味じゃなくて! すごく格好いいなって思うんだ」

「あー……そういう……」

「そういう感じかぁ……」

 

 ユリウスとクラウスは目を見合わせた。


 考えてみれば、ルカの想い人はあのアレクシアなのだ。

 一般的な令嬢よりもかなり野性味の強いアレクシアが好みのタイプなら、一般的な貴族よりもかなり雄々しさの勝るヴィクトルのことも、本能的に慕ってしまうのかもしれない。


 猛禽類系と言うか、百獣の王系と言うか、そういう人間に惹かれる性質たちなのか。


「なるほど……?」


 マリウスは首をひねっている。わかるようなわからないような謎の感情であるが、とにかくルカの身が無事だったのなら良かった。


 ヴィクトルの逆鱗に触れて拉致されたと聞いていたから、今ごろは八つ裂きにされて家畜の餌になっているのではないかと本気で心配したのだ。


「なんにせよ、無事でよかったっす」

「あー、ほっとしたら腹が減ったぜ」

「すっげーいい匂いだな。なんすか、これ?」

「朝食用のパンだよ。食べる?」


 ルカは手にミトンを嵌めると、窯からパンを取り出す。

 焼き加減を確かめてから、腹ぺこの三人に向けてさし出した。


「はい、どうぞ。一番乗りだよ」


 ユリウスとクラウスとマリウスは湯気と小麦の香りの立つパンにごくりと喉を鳴らし、三人同時に口に放り込んだ。


「「「うっまぁ………っ!」」」


 強面の三人の顔が、三人ともとろけた。

 

 焼きたてのぬくもり、ふわふわの食感、ミルクの風味とバターのコクがじゅわっと広がる。表面はパリッと香ばしく、内側は柔らかくて口当たりがやさしい。

 まさに至福のうまさである。


「うますぎるぅ……!」

「なんでこんなの作れるんすか?」

「ルカ様さぁ、一応貴族なんでしょ?」

「本当に一応なんだよね」


 ルカは苦笑いした。


 父は貴族で男爵だけれど、ルカは父の嫡子でもなければ跡継ぎでもない。籍には入っているからヴァルテンの姓は名乗れるけれど、ミドルネームは持っていない。


 相続権もあるにはあるが、あの継母と弟がルカにびた一文たりと財産を渡さないだろうことは想像できた。

 

「僕はこの国の貴族の中で一番格下なんだ。家も爵位も継げないし、ミドルネームすらない」


 自嘲ではなく、事実だった。


 この立場を恨んでいるわけではない。

 苦しいのはただ一つ、好きな女性に手が届かないことだけだ。それ以外に不服はない。


「僕はこうやって働いてるのが性に合ってるし、みんなに喜んでもらえるのが何より嬉しいよ。ありがとう、ユリウスさん、クラウスさん、マリウスさん」


 にっこりと笑んだルカに、夢中でパンを咀嚼していた三人がぽかんと口を開けて停止する。


 この胸が痛むのは、たった一つの無念だけ。アレクシアを望める身分でないことだけ。


 思わずぼんやりと彼方を見つめていたせいで、ルカはユリウスとクラウスがマリウスが「守りたい、この笑顔……」と口元を押さえていたことにも気がつかなかった。

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