第39話 辺境伯との対峙

 リートベルク城の二階には広々とした応接間があるが、辺境伯であるヴィクトルの私室にも、間続きとなる形で小さな応接室が設けられていた。


 辺境伯がごく少数の、私的な客を迎えるために用意されたその部屋に、ルカは初めて足を踏み入れた。

 

「座るといい」

「はい!」

 

 ヴィクトルの強面こわもてな顔つきはよりいっそう苦みばしって、まるで煉獄の魔王のような恐ろしい相貌になっていたが、ルカは怖じる様子もなく、言われたとおりに椅子にかけた。

 

「早速だが、君の話を聞こうか……」

 

 ヴィクトルの厳つい面相がさらに厳つく尖った。


 眼光は獲物を噛み殺そうとする肉食獣のように鋭く、発する殺気はあたり一面を焼きつくす鬼神のように殺伐としている。


 一般人なら向かい合うだけで息の根が止まって消しずみになりそうな、威圧感と圧迫感だった。

 

「アレクシアのことを誰よりも愛している、とほざいていたな。いつからだ?」

「初めて出会った時に、僕が一目惚れしました。アレクシア様を見た瞬間、まるで雷に打たれたような気がしたんです」

「ほう。一目惚れ……」

 

 ヴィクトルの太い眉がぴくりとにうごめく。


「はい。アレクシア様は僕の知る貴族の令嬢の誰とも違いました。あの時は上手く言葉にならなかったけれど、今ならわかります……」

 

 これまで出会った中央貴族の娘たちは、蝶よ花よと育てられた深窓の令嬢ばかりだった。


 興味関心といえば流行のドレスに化粧品、香水に宝石にアクセサリー、甘い菓子に恋愛小説に人気の芝居。


 扇よりも重いものは持てず、髪型が上手く決まらなければ外には出られないと閉じこもり、吹き出物が一つでもできればこの世の終わりかのように嘆く。


 腰は細ければ細いほど良いと信じて、貴重な料理を捨てても減量に励む。男に愛され守られ庇護されることが、女として最上の価値なのだと信じて疑わない。

 それがルカの知る貴族の令嬢の姿だった。

 

 アレクシアは違った。


 ドレスではなく狩猟服をまとい、扇ではなく武器を持ち、自ら弓を引いて領民の安全を守り、ルカの窮地を救ってくれた。

 

 大切に育てられた令嬢たちが悪いわけではない。

 けれど彼女たちの誰か一人でも、領地のために自ら働く者がいただろうか。

 たった一度でも、民のために自ら汗水流して行動したことがあったのだろうか。


 要するに、面構えが違ったのだ。

 乳母日傘おんばひがさで陽にも当てぬように守られてきた令嬢たちとアレクシアとでは、自らの責任として双肩に担っているものがまったく異なっていた。


 その生命力と躍動感、領民を守って生きる覚悟にこそ魅せられたのだと、今ならばよくわかる。


 初めて会ったあの日。

 流星のように矢がはしり、美しい花が舞った。


 その一瞬で、心臓を鷲掴まれた。


 まるでアレクシアを光源として、世界が照らし出されていくみたいだった。


 彼女がただそこにいるだけで、目に映るすべてのものが彩りを増していく。今まで知らなかった景色が広がって、山に、野に、世界に満ちていく。


 アレクシアを形成する光彩が本当の色というものならば、ルカがそれまで生きていた世界なんて全部、曇ってよどんだ灰墨色にすぎなかった。


 アレクシアの輝く瞳の色が本物の青で、なびく髪の色が本物の黒檀で、唇に宿る紅が本物の薔薇色だった。

 

 そうしてアレクシアは、ルカの知る世界を変えた。

 ルカの色褪せた視界をあざやかに着色し、本物の色を、初めてのときめきを──生きる希望を教えてくれた。


 初めて知る恋に、ルカは虜になった。

 価値観がくつがえる、というのはきっとあんな衝撃を言うのだろう。


 女性はきゃしゃで、か弱くて、控えめで、慎み深く、淑やかで、男を立て、男に守られるべき。

 それが社交界の常識だった。深く考えることもなく、そういうものなのだろうと思っていた。


 でも、あの時。

 アレクシアが鮮烈すぎて、全部が吹き飛んだ。


 か弱いとかきゃしゃだとか控えめだとか、そんなことはどうでもいい。

 目の前にいるアレクシアが完璧に好みで、理想で、一目惚れだった。


「なるほど……」

 

 ヴィクトルは腑に落ちたようにうなずいた。

 

「君は娘が野蛮だとは思わないのだな」

「思うはずがありません!」

 

 アレクシアの強さはルカの命を救ってくれた。それを野蛮だと嘲るほど、ルカは恥知らずではない。


 むしろ、その勇壮果敢な姿にこそ惹かれた。

 己を鍛え、高め、身につけた力を他者を守るために使う──そんな彼女のすべてが美しいと思った。

 

「ふむ……」


 たった一瞬でいかに価値観を変えられたか。

 たった一目でいかに彼女に魅せられたのか。

 ありのままに話すルカの真剣な顔つきを、ヴィクトルはけわしい仏頂面で見下ろしていた。

 

 アレクシアはヴィクトルにとって唯一の子だ。幼い頃から武勇に名高いリートベルクらしい才能の片鱗を見せてきた。


 リートベルク家は武人の家系である。波乱含みの危地を預かる辺境伯として、これまで高名な武将を幾人も排出してきたし、現当主であるヴィクトル自身も剛腕で鳴らした歴戦の猛者だ。


 アレクシアはその血を、受け継ぎすぎるほど受け継いでしまった。清楚な淑女だった妻の血はどこへ行ったのか──と、ヴィクトルが複雑な想いに駆られるほどに。


 むろん、父としては胆力のある娘を誇りに思っている。


 だが、これまで娘に求婚してきた他家の御曹司たちが侮蔑的な捨てゼリフを残して去っていったのも目撃してきたし、アレクシアの乳母だったブリギッタからも、手塩にかけてお育てしたお嬢様なのに──と嘆きの声を聞かされていた。


 あんなにも男よりも男らしくては、貴族の令息はみんな恐れをなして近寄れないだろう──とも。

 

 だからアレクシアの勇猛さを好ましく想い、そこにこそ惚れ込んでくれる令息がいようとは、正直なところ意外だった。

 

「一目惚れなんて荒唐無稽な話、とても信じてはいただけないかと思いますが……」

「いや、私も妻に一目惚れしたのでな。わからんでもない」

「辺境伯も?」

 

 ヴィクトルはもうこの世にはいない愛妻の姿をまぶたの裏に思い浮かべながら、大きくうなずいた。

 

「君の気持ちはわかった。……では」

 

 ヴィクトルは立ち上がり、大きな背を向ける。戸棚をがさごそと物色したかと思うと、大小さまざまなワインボトルが机上にずらっと並んだ。

 

「よし、飲もう!」

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