第38話 リートベルク辺境伯

 同じころ。

 主厨長のハンスは市場での仕入れから帰城し、料理人仲間たちとひと息をついていたところだった。


 ハンスが干したなつめの実をぽんと口に放り込んだ時。水汲みを終えたルカが厨房に戻ってきた。


「ハンスさん、ただいま」

「ああ、ありがとうございます!」


 ルカは肩に担いでいた水を、軽々とキッチンに置いた。


 この城に来たばかりの頃は痩せた非力な少年に見えたのに、見る間にすっかりたくましくなって……と、ハンスの方がほっこりする。


「私たちもさっき市場から戻ったところです。今日はいいニシンとクラッベンが手に入りましたよ~」

「わぁ、新鮮だね!」


 クラッベンとは小エビのことだ。このあたりでは日常的に食べられている食材の一つである。

 内陸では高級品のクラッベンも、北方の海が近いリートベルクでは手ごろな値段で手に入れることができる。


 火で炒めるか、たっぷりの湯を沸かして茹でるのが一般的だが、この前は実家の料理長ヨハン直伝の特製サワークリームを作って合わせてみたら、感動的においしかった。


「ルカ様、あのサワークリームまた作ってくださいよ~」

「レモンを刻んで、マリネにしてもいいなぁ」

「ニシンはバターでソテーにしますか? 半分は玉葱のスライスと合わせて、酢漬けにすれば日持ちもするし……」


 とれたての新鮮な魚を前に、料理人たちとの話がわいわいはずむ。


 リートベルク領はペルレス王国の最北部に位置する。急流な河川が領地を貫いて流れ、北にのぞむ海へと注いでいるため、この地で取れる魚は海水魚が多い。ニシンやタラ、サケなどが主で、水揚げされたばかりの魚は、生で食べることもできるくらい新鮮だった。


 だから必要以上に手を加えず、油かバターで焼いたり、塩漬けにして生のまま食したりと、素材の味を生かしたシンプルな調理法がほとんどだ。


 一方、ルカが生まれ育った王都は海から遠く、淡水魚が食卓にのぼることが多かった。マスやコイなどだ。


 生で食べる文化はなく、あっさりとした淡白な味わいを濃厚なクリームソースで補ったり、ワインで煮詰めてコクを出したりと技巧を凝らしていた。


 ところ変われば文化も変わる。

同じ王国内でも、都会と辺境では一線を画している。


 大自然に囲まれたリートベルクは漁業だけでなく、畜産や酪農も発達していた。広大な野山を生かして、野菜や果実の栽培もさかんに行われているし、隣国と国境を接していることもあって、古くから外国の食材や調理法も受け入れてきた。


 ──楽しい、とルカは思った。

 ヴァルテン男爵家の厨房で、金にあかせて集めた高級食材を凄腕の料理人が魔法のように調理するのを見て学ぶのも楽しかったけれど。リートベルクの地に代々受け継がれてきた独自の食文化を教えてもらうのもとても楽しい。


 ハンスら地元の料理人たちと一緒に、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら、新しくて美味しい化学反応を起こせた時も、充実感があってわくわくする。


 車座になって和気あいあいと談笑しながら、すっかり盛り上がっていた時だった。


「ハンス!」


 大砲のように打ち出された大声に、一同はいっせいに振り向いた。


 呼ばれたハンスに続いて、料理人たちがはじかれたように次々と立ち上がる。


「みんな! 土産だ。厨房で使ってくれ!」


 どこかで聞いたような気がする声だった。


 直立不動で立つ料理人たちの前に、大柄な人影がざっと覆いかぶさる。太い両手いっぱいに抱えられた土産が、次々と料理人たちに手渡されていった。


 このあたりでは見かけないめずらしい野菜に、貴重な香草。謎の香辛料に、高価そうな陶磁の食器類。瓶に詰まったペーストは肉だろうか。多種多彩な土産物が気前よく、次から次へとわんさか出てくる。


「あなたは……!」

 

 ルカは目の前の光景を見て、停止した。


 恐縮する料理人たちに土産を配っているのは、先ほど水を渡すやりとりをしたばかりの、威風堂々とした巨躯の男だった。彼のとなりにはアレクシアも立っている。


「……あれ?」


 ルカはぱちくりと目をまたたいた。


 先ほどは気が付かなかったが、こうして並ぶと二人はどことなく似ている。

 髪は同じ漆黒の色。まるで食物連鎖の頂点に君臨する猛禽類のような、強さと威厳を秘めた鋭い雰囲気も同じだ。


 ──もしかして、と思った瞬間だった。アレクシアから先に答えが放たれた。

 

「ルカ、私の父だ」

「やっぱり!」

 

 紹介されて、ルカはあわあわと姿勢を正した。

 この城の主──ヴィクトル・アレクサンダー・リートベルク辺境伯。

 

「申し遅れました! ルカ・ヴァルテンです!」

「ヴァルテン? 男爵家の令息か?」

 

 ヴィクトルは怪訝な顔をした。

 てっきり新しく雇った使用人かと思ったが、貴族の子息ということはまさか──。

 

「目端の利く若者だと思ったが……アレクシアへの求婚者だったのか?」

「いえ、そういうわけでは……」

 

 アレクシアは首を横に振った。初対面でプロポーズまがいのことを言われはしたが、それ以降は求婚されていない。


 しかしルカは大きく首を縦に振った。

 

「き、求婚者とは……言えません。言える身分ではありませんが、でも!」

 

 地位も富も何も持たない自分と、結婚してほしいとはもう言えない。

 アレクシアには何の得もないのに、自分を選んでくれなどと望めるはずもない。

 

「でも! アレクシア様のことは誰よりも愛しています!」


 身の程はわかっていても、それでアレクシアへの恋心が消えるわけではなかった。むしろ毎日毎時間毎分、着実に更新し続けている。


 求婚者になれないことは自覚しているが、だからといって彼女を愛していることは偽れない。

 届かなくても、叶わなくても、この気持ちに嘘はつけない。

 

「いい度胸だ」

 

 ヴィクトルの巨体がゆらりと傾いだ。

 岩のように硬い拳が、とてつもない握力でルカの肩をがしっと掴む。

 

「アレクシアのどこに惚れたのか、じっくり聞かせてもらおうか」

「お父様、やめてくださ」

「いいんですか? 是非! お願いします!」

 

 肩に置かれた拳がみしみしと軋んでも、ルカはおびえることなく、水色の瞳を明るく輝かせた。

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