第35話 アレクシアの逡巡
(聞き間違い……ではなかったのか……?)
翌日。執務室の机に頬杖をつきながら、アレクシアは深く悩んでいた。
今になって改めて思い出すのは、初めて出会った日。
深い緑に囲まれた森の中で、ルカが初めてアレクシアに放った言葉。
『──僕と結婚してください!』
膝をつき、手を伸ばし、まるでプロポーズのように捧げられた告白。
(あの時はてっきり、ルカが混乱していただけだと思っていたが……)
狼に襲撃されたばかりで意識が混濁しているのかもしれないと思ったし、その後ルカが婚約破棄されたという報告書を読んだ時は、てっきり元婚約者の令嬢と間違えられたのだとも思った。
聞き違いか人違いなのだから、蒸し返してはルカに悪い。
あの発言には触れずに忘れようと努めた結果、今の今まで本当に忘れていたのだ。
(まさか、あれは本物の告白だったのか? そんなはずが……)
アレクシアは頬杖をついた手をくずして、頭を抱えた。
ぐるぐると脳内を回っているのは、昨夜の出来事。
冴えわたる星月夜の下で、ルカに告げられた言葉。
『──僕が好きなのはあなたです!』
まっすぐな顔。まっすぐな瞳。夜風にも少しもまぎれずに届いた、まっすぐな声。
『片思いなのはわかっているけれど、僕はあなたが好きです──』
「…………」
アレクシアは迷いに迷っていたが、誰にも相談するつもりはなかった。
執事補佐のエヴァルトが、眼鏡の端をキラリと光らせて、鋭く切り込んでくるまでは。
「お嬢様、身が入っておられませんね」
「あ……すまない」
「それほど判断が難しい案件ですか? いつもはこの程度の内容に時間をかけたりはなさらないのに……」
「いや……その……」
視線を泳がせたアレクシアは、エヴァルトに追及されるだけでは済まなかった。
ちょうど部屋に掃除に来たマリーにも、会話を聞かれてしまったのだ。
「お嬢様、もしかしてルカ様ですか?」
マリーはそう即座に言い当てた挙句に、
「ルカ様に何を言われたのですか? いいえ、わかります。やっと告白されたのですね? そうなのでしょう?!」
と、ぐいぐい突っ込んできた。
「……やっと?」
「だってルカ様は最初にこの地にいらした時から、ずっとお嬢様に恋焦がれていらっしゃいますもの」
「……ずっと?」
「ええ。ずーっとです。今さら何をおっしゃっているのですか?」
「……今さら?」
答えがすべておうむ返しになる。
アレクシアが野暮ぶりをさらしていると、エヴァルトとマリーが波長の合ったため息を吐いた。
「本当に何もお気付きでなかったのですね……ルカ様もお可哀想に……」
「まったく鈍感にも程がありますね。恋心の機微もわからないのは旦那様に似たのでしょうか……」
この場にいない辺境伯まで、とんだ流れ矢に被弾する。
その後、アレクシアはマリーの誘導尋問によって、ルカに告白された経緯を洗いざらい白状させられる羽目になった。
普段はおっとりとしたマリーだが、さすがは結婚歴ありで二人の子持ち。この手の話題には強い。
「それで、お嬢様はなんとお返事されたのです?」
「なんとと言われても……何も……」
「「何も!?」」
声をそろえたエヴァルトとマリーは二人そろって、ルカ様お気の毒に……という目をしている。
「どうして何もお返事されなかったのです!?」
「……だって……何を言えばいいのかわからなくて……」
アレクシアは小さくなりながら、おそるおそる尋ねた。
「その……告白だが、誰にでも言っている、ということはないか?」
「ないですね」
マリーはきっぱりと否定した。
「もしもルカ様が根っからの女好きで、若い女とみれば見境もなく告白するような方だったら、とっくにあちこちの女たちに手を出していることでしょう。この館内にも、城下町にも、騎士団にだって年頃の女性はたくさんいますからね」
マリーだって子持ちとは言え妙齢の女だし、メイド仲間には未婚の美人も少なくない。
アレクシアの手前、城で大っぴらに軟派な真似はできないかもしれないが、マリーの言う通り領内の町まで降りれば、もっと多くの女性たちが暮らしている。
もしもルカが城下の女に粉をかけて回るような軽薄な男だったなら、遅かれ早かれアレクシアたちの耳にも入るだろう。人の口に戸は立てられないし、噂が流れるのは止められない。
(それどころか、ルカ様は誰に誘惑されても全くなびかないのよね……)
これは話がややこしくなりそうなので言わないが、マリーのメイド仲間のあいだではルカの人気が急上昇中なのだ。
可愛いという表現がよく似合う顔立ち。貴族なのに少しも偉ぶらない人当たりの良さ。誰にでも優しく、率先して働き、最初は貧相だった体格も見違えるほどたくましく急成長している。そんな男を若い女が放っておくはずがない。
独身のメイドの中にはルカを狙い、あわよくばお近づきになろうとアピールをくりかえしている者もいた。
しかし見事に通じていないというか、そもそも眼中に入っていないというか何というか……。
手作りの菓子を渡せば「ありがとう。みんなで食べよう」とキラキラの笑顔で微笑まれる。
転んだ風を装って体を密着させれば「大丈夫? 具合が悪い? あとは僕がやるから休んでいて」と疑いを知らない目で言われて終わる。
「ルカ様はどんな女性がお好きなのですか?」と期待を込めて尋ねれば「腕力と握力が強くて剣豪で狼の眉間を的確に射抜くような女性が好きです!」と淀みなく
「狼……? 眉間……?」と引いた顔で困惑する相手に「はい! 最っ高に格好いいですよね!」と無邪気な追い討ちをかけるところまで含めて、言い寄られている自覚はゼロだろう。
全くよそ見もしないし、目移りもしない。
本当にただアレクシアだけを見つめている、一途な男なのである。
マリーはにっこりと笑った。
「ルカ様は誰にでも優しい言葉をかけられますが、甘い言葉をかけられたのはお嬢様にだけです」
「……」
何と言っていいかわからずに、アレクシアが黙り込んだ時だった。
いつのまにか部屋に来ていた小柄な人影にようやく気がついて、三人が三人とも固まった。
「……ブリギッタ」
ブリギッタは顔じゅうのしわを深めて笑んだ。笑顔なのに怖い。
「ブリギッタ様。あの、これは」
「……そんなことだろうと思っていました」
マリーがおろおろと言い訳しようとしたが、何もかもが遅かった。
ブリギッタはわなわなと震えたかと思うと、白い髪を逆立てて怒りを露わにした。
「やはり私のお嬢様に言い寄っていたのね! なんてあつかましい! あの身の程知らずの田舎者が!」
「落ち着いてくれ、ブリギッタ。田舎者は我々の方だ。ルカは都会育ちだ」
「そこではありませんお嬢様」
なだめようとするも方向性が違うアレクシアに、マリーが首を振る。
案の定、ブリギッタは落ち着くどころかさらに火に油を注がれたようだった。
「そんなことはどうでもいいのです! この城に世話になっている身で、辺境伯家の令嬢を狙うなど言語道断! 不釣り合いにも程があります!」
「世話になっているのも我々の方だ。ルカにはもっと正当な対価を受け取ってほしいのだが……」
「お嬢様。そうですが、違います……」
ルカは城内における雑務全般を多彩にこなしている。働きで言ったら一般的な使用人の三人分くらいには相当するだろうに、報酬を上げようとしても、住まわせてもらえるだけで充分ですと言ってろくに受け取ろうとしない。
しかし今はそういう話ではない。
脱線するアレクシアに合わせることなく、ブリギッタは引き続きルカをなじった。
「あの方は貴族とは名ばかりの"末端令息"ではありませんか! 生まれは庶子で、ミドルネームもなく、ヴァルテン家の唯一の取り柄である財産さえ相続できる可能性は低いのでしょう? リートベルクに何の利益も
有無を言わせない剣幕だった。
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