第34話 星月夜の告白

 冷たい木枯らしの中にも火照るルカの顔をながめながら、アレクシアは思わず相好を崩した。


(可愛い男だな……)


 ルカの明るくてひたむきな性格は、一緒にいて心地いい。何をしても覚えが早いし、勘もいい。真面目で効率もいい働きぶりには、器用さだけでなく聡明ささえ感じる。


 さらにとっさの判断力も、勇気も持ち合わせた男だというのに、なぜ婚約破棄などされたのだろうか。

 

(……クレーフェ伯爵令嬢は、いったいルカの何が不満だったのだろう?)


 ルカとの婚約解消を望んだという伯爵令嬢のことを思い浮かべて、アレクシアは首をかしげた。


 せいぜい生まれが庶子だということくらいしか思いつかない。ルカのせいではないが、貴族社会においては欠点といえるのかもしれない。


 それともルカに非があったのではなく、弟の方がより魅力的だったのだろうか。


 心変わりと言うと薄情にも聞こえるが、恋愛とは理屈ではないらしいから、他の男に惹かれてしまうことだってあるのかもしれない。


 落ち度のないルカを捨てて弟の手を取ったことは、クレーフェ伯爵令嬢にとっても苦渋の決断だったのかもしれない。


「……ルカは、王都に帰りたいとは思わないのか?」

「全然思いません。僕はずっとこの地で暮らしたいです」


 遠慮がちに尋ねた質問に、あっさりとした答えが返る。


(そんなにも、失恋の傷が深いのか……?)


 この優しくてよく気のつく男は、情も人一倍深いのではないだろうか。

 クレーフェ伯爵令嬢のことも、さぞ深く愛していたのだろう。


 だから彼女が弟を選んだことに傷ついた。弟と元婚約者が暮らす王都にはもう帰りたくないと思うほど、ルカは失った恋に心を痛めているのだろう。


 ──そうか、と独り言のようにつぶやいた声は、アレクシア自身でも驚くほど複雑な、羨望の色を含んでいた。


「愛した相手と遠く離れた地に来て、さぞかし辛いと思うが……愛した相手だからこそ、同じ場所にい続けるのはこたえるのだろうな……」

「えっ?」

「伯爵令嬢のことを忘れることはできないのかもしれないが、ルカがここで暮らしたいと言ってくれることはありがたいと思う。私にできることがあれば……」

「待って、待ってください!」


 ルカはあわてて口を挟んだ。


「愛した……相手? 何をおっしゃっているのですか?」

「何をって……ルカは婚約していたのだろう? 王都に暮らしていた時……」

「していましたが、それが何か?」


 過去に婚約していたのは事実だが、とっくに解消された。元婚約者のナターリアとはもう何の関係もないし、会いたいとも思っていない。


 そう説明しようとした矢先に、アレクシアが謝った。


「いや……すまない。私が不躾ぶしつけだったな」


 元婚約者は、ルカが今も心の奥に秘めているであろう大切な女性だ。


 ルカの方から話題にしてきたわけでもないのに、彼の失恋の傷口に触れるのは礼を欠く行為だった。


 ただ、想いを寄せる相手に婚約破棄されたことでルカはとても傷ついただろうが、それでもリートベルクに来てくれて良かった、と言いたかった。


 ここでの暮らしを気に入ってくれたのなら自分も嬉しいと、そう伝えたかっただけなのだ。


「ルカの傷はまだ癒えていないのだろう。婚約者を思い出すだけでも辛いだろうに、無礼なことを言ってすまなかった」

「いえ、違います! 違うんです!」


 確かにリートベルクに来る前は、ナターリアに捨てられたことに多少なりとも傷ついていたはずだった。


 それが今や一抹の痛みも伴わないことに、ルカは自分でも少し驚く。


 アレクシアが婚約破棄の過去に触れてくることも、別に不躾だとは思わない。公然とした事実だからだ。


 アレクシアはあの場にいなかったが、他の貴族たちはみな婚約破棄の顛末てんまつを見聞している。


 今さら誰に知られようが話題にされようが、特に傷ついたりはしない。


 だが、ルカが今でもナターリアを愛していると、そう思われることは耐えられない。


 ナターリアへの想いを捨てられずに想い続けているなどと、そうアレクシアに認識されていることは見過ごせない。


 その誤解だけは何があっても絶対、絶対に──嫌だ。


 気がついた時にはもう、自制や理性や自戒を突き破り、本音が言葉になってこぼれ出ていた。


「──僕が好きなのはあなたです!」


 何も持たない「末端令息」が、アレクシアと結ばれることはできない。

 どんなに想っていても、この恋は叶わない。


 けれど、いくら実らない片想いであっても、誤解はされたくない。


 ルカが他の女を愛していると、そんな風にアレクシアに思われることだけは我慢ができなかった。


 ルカはアレクシアの青玉の眼を、真っ向から見据えた。


「片想いなのはわかっているけれど、僕はあなたが好きです」


 見返りを求めるわけではない。ただ、伝えずにはいられなかった。


 叶うはずもないとわかっていても、彼女に好きだと言いたかった。


「あなたが好きなんです。あなたのいるこの地に僕もいたい。何も望んだりはしませんから、あなたを想うことを許してください。アレクシア様」


 しばし、沈黙が流れた。


 アレクシアはそっとナイフを置く。ルカと目を合わせることなく無言で立ち上がると、足早にきびすを返した。



「……あぁぁ……」


 残されたルカは、蜂蜜色の頭を掻きむしった。


 また後先を考えずに、衝動的に告白してしまった。


 自分を選んでほしいなど言えるはずもないのに。ただ気持ちを一方的に押し付けてしまった


 アレクシアに迷惑だと思われたら、顔も見たくないと嫌われてしまったらどうしよう。


 いや、居候も同然の身なのに領主の令嬢に懸想する男なんて、迷惑だと思われて当然だ。


「……僕には何もないのに……」


 一応貴族の血を引いているとはいえ、男爵家の私生児。貴族階級においては末端中の末端だ。辺境伯に比肩できるはずもないほど地位は低い。


 実家は潤沢な資産を有しているが、ルカが使える金は一銭もない。


 ルカは何も持っていない。身分も、地位も、年齢もすべてアレクシアより下だ。

 そんな男が言い寄っても、彼女を困らせるだけなのに──。

 

 そこまで落ち込んでから、やっとルカは気が付く。


「はっ……!?」


 固くにぎりしめていた手の中には、皮が半分ほど剥けた芋。


 身分とか地位とかそれ以前に、芋を剥きながらの告白になってしまったことを悟り、ルカは赤面からのその場に膝から崩れ落ちる羽目になった。

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