第33話 どうしようもなく好きなんだ


 満月に近いまどかな月から、白銀の光が降り注いでいた。


「……」


 まっすぐ自室に戻る気にはなれなくて、ルカはふらふらと食糧の貯蔵庫に立ち寄る。


 胸のもやもやが晴れなくて、何でもいいから手を動かしていたかった。

 

 そういえば、さっき肉の林檎酒煮を試作した時に煮汁が余っていた。あれは捨てずにスープにしようと思っていたから、今のうちに作ってしまおう。


 ベースが林檎だから、芋や玉ねぎとも相性がよさそうだ。芋の皮を剥いて、細かく刻んで炒めて、した煮汁と合わせておこう。

 

 ルカは貯蔵庫を開けて、芋の入った麻袋を取り出した。空の木箱に腰かけて右手にナイフを、左手に芋を持つ。


 心を無にして、黙々と芋の皮を剥いていた時だった。


 不意に、背後から名前を呼ばれた。

 

「ルカ?」

 

 ルカは振り返ったが、見るまでもなく声の主はわかっていた。


 強くて凛とした、ルカのこの世で一番好きな声。

 

「……アレクシア様」

「こんな遅くまで働かなくてもいいんだぞ。明日の朝食か? 私も手伝おう」

「あっ、いいです! 僕がやります!」

「二人でやればすぐに終わるだろう」

 

 アレクシアは服の袖をまくって、その場にかがみ込んだ。空いた木箱に座って、一緒に芋の皮剥きに取りかかる。

 

「うーん……ルカの方が上手だな……」

 

 細く剥いた皮をつまみあげて、アレクシアは少し悔しそうにつぶやいた。


 アレクシアも下手ではないのだが、刃物の使い方が攻撃的過ぎて、切断面が必要以上に鋭利だった。ルカの方が無駄なく綺麗に剥けていて、芽を取るのも上手だ。


 ルカはナイフを滑らせる手を止めないままで、アレクシアの顔をまじまじと見つめた。

 

(好きだ……)

 

 彼女のことで悩んでいたのに。

 悩みは何一つ解決していないのに。

 そのことだけがはっきりとわかって、ルカの心にしみじみと沁みてくる。

 

(僕はこの人のことが……どうしようもなく好きなんだ……)

 

 夜のとばりの中に浮かぶ、アレクシアの姿。

 ただ顔を見ただけで、こんなにも満たされる。


 手が届かないと知っているのに、彼女が目の前にいてくれるだけで、幸せな気持ちで胸がいっぱいになる。

 

「いつも思うが、ルカは働きすぎだ」

 

 顔を上げたアレクシアが、労わるように言った。

 

「もっと休め。気など遣わなくていい」


 この地の厳しい暮らしになじめず、去っていく者も少なくない中で、ルカが居着いてくれるのは嬉しい。


 腰を据えて長く暮らしてほしいからこそ、無理はしないでもらいたいとアレクシアは思った。


「アレクシア様こそ、こんな時間まで会議ですか?」

「うん。ここのところ季節外れの長雨が続いたからな……。以前からもろかった地盤がさらにゆるんで、王都とつながる道路の一部がいよいよ怪しい」

「あ……そういえば僕が初めてこの地に来た時も、土砂崩れで道路がふさがれていました」

「そうだろう。そこが悩みどころなんだ」

 

 領地を運営していく上で課題は尽きないが、リートベルク領の弱みの一つは交通網の脆弱性だった。


 石で舗装した道路はあるものの、建設からすでに百年以上が経過し、そこかしこにほころびが見られる。


 長雨が続けば土砂崩れを起こす場所も数か所ほど報告されており、人も馬も立ち往生してしまうことがままある。


 ただ首都から距離的に遠いというだけではなく、この往来面での不備が、リートベルクが辺境という印象をより強くしていた。

 

「私としてはこの機に大々的な工事に踏み切り、道も橋も大きく改修すべきだと思っている。しかしな……先立つものがな……」

 

 リートベルク領は決して貧しいわけではない。領地の面積は広く、隣国との交易拡大に伴って人口は増える一方だ。


 領主の認可があれば新路の建設のための工事を行うことは可能だろう。

 

 だが、道路を敷くのは一大事業だ。


 山を開き、木を伐採し、地面を均して補強し、王都とつながるほどの遠大な新路を築くためには、莫大な費用と人出が必要になる。


 そこに予算を大きく割けば、しわ寄せは他の部分に波及する。


 税は上げたくない。ではどうするかが悩みの種だ。


──結局は金だ、金があれば大抵のことは解決するのだが……と身もふたもないことを思いながら、アレクシアはかぶりをひねった。

 

「領主代行も大変ですね」

「そうだな。だが私はこういう家に生まれたからな……」


 アレクシアは剣も弓も好きだし、望んで稽古もしているが、使う機会がないに越したことはないと思っている。


 領内の治安を守るためでも、ましてや領外での小競り合いにおいても、武力をふるう必要がなければその方がいい。


 ましてや戦争や飢饉に心痛めるのではなく、こうして土木工事のことで悩めるのならば、恵まれている方だと思う。

 

「頭の痛いことは尽きないが、それが私の役目だ。せいぜい粉骨砕身するしかない」

 

 静かに言った横顔からは、ルカがあの祭りの日に感じたのと同じく、アレクシアが領民と領地を何よりも大切に思っていることが伝わってきた。


(だめだ……好きぃ……!)


 愛しさが噴き上げて、頬がゆるゆるに緩んでいく。

 ルカは沸騰する顔を両手でおおった。


「……そういえば」


 ルカが祭りの日のことを思い起こしたせいだろうか。考えが伝播したのか、アレクシアもふとあの日のことを振り返って、改めて礼を言った。

 

「ルカ。祭りの時は本当にありがとう」

「いえ、そんな……」

 

 ルカは恐縮するが、アレクシアとしては何度言っても足りない気持ちだった。


 ルカは事前に示し合わせたわけでもないのに、常にアレクシアの意を汲んで、的確に動いてくれた。


 犯人の人相や背丈をよく記憶していたり、犯人の狙いを推理して目的地を導き出したり。


 どうしてこんなにアレクシアの望むことがわかるのかと驚くほど、以心伝心で行動してくれたおかげで、ルカとの連携は非常に取りやすかった。


 中でも感心したのは、隣国から来た男たちが教会の中で、盗み出した花火に点火した時だ。


 火は導火線に移り、みるみる燃焼していった。

 今にも破裂する、という寸時。

 ルカはためらいもなく刃渡りだけのナイフをつかみ、一分のミスもなく的確に線を断ち、すんでのところで爆発を防いだ。


 訓練を受けた騎士でさえ逡巡したであろう緊急事態に際して、ルカが即座に最適な判断を下し、自身の危険も省みず実行に移したことに、アレクシアは素直に尊敬の念を抱いていた。


 あの時の花火がもしも爆発していたなら、至近距離にいたアレクシアも無傷では済まなかったはずだ。


 教会の内部も損壊したばかりか、周囲に引火して火事につながった可能性も高い。

 

「ルカは働き者で器用なだけではなく、勇敢でもあるのだな」

「そんなこと……全然……」

 

 褒められて、ルカは恐縮した。


──勇敢なのは自分ではなくアレクシアだ、と叫びたかった。

 

 あなたがいたから、勇気をふりしぼれた。

 あなたの愛する人々だから守りたかった。

 いつもあなたが僕に力をくれるのだ──と言いたくて、でも言えなくて、顔だけがどんどん真っ赤になっていく。

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